妻(44)は2月8日夕、病室を出て約1時間後、硬い表情のまま戻ってきた。しばらくして私にこう話し出した。胸につかえた感情を吐き出そうと、病院の屋上で声がかれるまで「バカヤロー」と叫んだという。
後日、さらに説明してくれた。疲れが増すにつれ、自分がベッドの脇にいることが治療の妨げになっていると思えてきた。共同洗面台の前に置いた荷物も整理しなければと焦っていたらしい。それまで胸に納めてきた不安、恐怖が何でもないことでも爆発してしまいそうだった。
看護師に「私物を置かないように」と言われたのは、そんな時だった。頭が真っ白になり、自分がここにいていいのか分からなくなったというのだ。
私は「そばにいてくれるだけで十分」となぐさめた。気が晴れたのか、翌日、妻は穏やかになっていた。
化学療法が始まる2月16日が近づいてきた。ある日見舞いに来た同僚が「化学療法は生殖能力に影響するらしい」と言った。医師の副作用の説明にそんな話はなかった。私たち夫婦に子どもはいない。もうできない、とあきらめていたが動揺した。<社会部・佐々木雅彦(43)>
毎日新聞 2009年9月1日 地方版