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【政権交代】

選挙回顧(上)

2009年09月01日

写真

麻生首相の応援演説に集まった人たち。会場にはすき間が目立った=8月28日、別府市

 ◆やせ細る自民の屋台骨

 「逆風の選挙だ。風速50メートルの暴風雨の中を、前へ前へと進んでいる。皆さんの力を貸してほしい」

 選挙戦最終日の29日、佐伯市の大型商業施設の駐車場で開いた集会で、自民の衛藤征士郎氏が声を張り上げた。続いて登壇したまり子夫人は涙ながらに「夫をもう一度国会に送り、命を燃焼し尽くさせて下さい」と訴えた。

 衛藤氏は閣僚経験もあるベテラン。これまでの選挙では他候補の応援のため、3、4日は選挙区外へ出ていたが、今回は自分の選挙に集中するため、地元に張り付かざるを得なかった。終盤には、有権者の多い日田市、佐伯市を中心に党組織や業界団体の締め付けを強化。支持者一人一人に自ら電話を掛け、投票を呼びかけた。

 電話を受けた支持者の一人は「あんなに必死な衛藤氏は見たことがない。よほど危機感を感じていたのだろう」と驚く。

   ■   ■

 逆風は、安倍元首相、福田前首相の「政権投げ出し」に加え、麻生内閣も含めた閣僚の相次ぐ不祥事によるところが大きい――。衛藤氏の選対本部長を務めた古手川茂樹県議はこう受け止めている。投開票翌日の31日、「(閣僚が)失言したり、眠ったり……。個人の資質が党全体の問題にされた」と悔やんだ。

 有権者が自公政権への不満を高める中、民主は政権公約(マニフェスト)を掲げて政権交代を呼びかけた。衛藤氏は民主のマニフェストについて、財源の裏付けがないと批判してきたが、選挙区での落選が決まると「高速道路はタダ、高校の授業料もタダ、こども手当2万6千円。自民党があれを持っていたら勝てたと思う」と率直に認めた。

   ■   ■

 長年、自民を支えてきた集票組織のほころびもあらわになった。

 「選挙となれば、昔は協力者カードが山のようにテーブルに積まれていたもんだ。それが今回は、前回の半分ほどしか集まっていない。本当に情けない」

 1〜3区で自民候補を推薦した県建設業協会の幹部は嘆く。公共事業の激減を受けて業者の倒産が相次ぎ、10年前に929社あった会員企業は、574社に減った。「自民は実績、実績というが、高速道路の工事にしても、仕事をもらえるのは大きい会社ばかりで、地元業者は潤わなかった。みんな明日のメシのことで精いっぱいで、選挙どころじゃない」

 市町村合併が進み、選挙戦の「手足」となる地方議員の数が減った影響もある。岩屋毅氏の後援会幹部は「議員数が減ったうえ、不況で建設業界も動けず、まとまった運動ができなかった」と振り返った。

   ■   ■

 自民にとって「命綱」とも言える公明との選挙挙力をもってしても、今回は逆風をかわせなかった。朝日新聞社が選挙当日に実施した出口調査の結果によると、県内では自民、公明支持層の約3割が選挙区で野党候補に投票し、選挙協力のほころびがうかがわれた。

 公明は県内の比例区で10万5千票の獲得を目標に掲げていたが、8万7千票余りにとどまった。公明党県本部の竹中万寿夫代表は「自民にとって厳しい選挙だっただけに、自民からは(比例の票は)どれくらいだろうか……」と、票のバーターが十分、機能しなかった可能性を指摘した。

 自民党県連の志村学幹事長は「公明とは10年間一緒にやってきた。信頼関係もある」。竹中代表も「野党共闘していく」と話し、連携を継続していく考えだ。自公にとって、来年夏の参院選が党再生の試金石になる。自民党県連は候補者を公募で決める予定だ。

     ◇

 民意のうねりが16年ぶりに自民党を下野させた。今回の総選挙で、県内でも民主が大きく得票を伸ばし、自民は選挙区で全敗した。選挙戦の現場で何が起きていたのかを2回に分けて検証する。

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