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鳩山氏のNYT論文は捏造

コメントで教えてもらったが、鳩山氏のNYT論文は彼の寄稿ではなく、Christian Science MonitorがVOICE論文を無断で抄訳して鳩山氏の署名をつけ、それをNYTなどが転載したようだ。これは明白な著作権侵害である。

このように一つの記事を各紙が転載するシンディケーションはアメリカの新聞にはよくあり、責任は最初(と思われる)に載せたCSMにある。NYTは捏造とは知らないで転載したのだろう。しかもこの抄訳は、もとの日本語の論文の「反グローバリズム」の部分だけを抜き出した稚拙なもので、日本の外交方針について誤解をまねく。民主党は抗議して、削除させるべきだ。

追記:読売によれば、事務所が訳して寄稿したらしい。とすれば、鳩山氏の「寄稿してない」という反論が嘘だということになる。
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霞ヶ関というITゼネコン

民主党の圧勝は、予想以上に大きな変化をもたらすかもしれない。ここまで大差になれば、参議院のねじれも自民党からの鞍替えや公明党の「中立化」によって解決でき、実質的に民主党単独政権になる可能性がある。そうなれば、小沢一郎氏の悲願だった「強い与党」として、思い切った改革もできよう。特に重要なのは、民主党がマニフェストにかかげた「官僚主導の政治の打破」である。

その試金石は、すぐやってくる。来年度予算の編成だ。例年なら、きょう概算要求が出そろって省庁間の話し合いも7割ぐらいついているが、今年は民主党が「国家戦略局」によってゼロベースで見直すとしているので、各省庁とも骨格しか出していない。新組織は「戦略室」として発足を急ぐそうだが、スタッフの人事が完了するには、どう急いでも1ヶ月はかかる。正味3ヶ月で一般会計+特別会計の200兆円をゼロから見直すのは、現実には無理だろう。細川政権のときも、政権が成立したのは8月だったが、翌年度の予算はほとんど手つかずで、「国民福祉税」など、かえって大蔵省主導が強まった。

大事なのは、国家戦略局の制度設計である。私がこれまで民主党の政策決定を外野でみていて危惧するのは、自前主義が強くて専門家の意見をあまりきかないことだ。数ヶ月前に、私が「民主党の政策には成長戦略が欠けている」と政調会長も出席した勉強会で指摘したのに、きいてくれなかった。選挙戦に入ってから自民党に指摘されて、あわててマニフェストを修正する始末だ。

このように専門家を軽視する自前主義は、霞ヶ関とよく似ている。官僚が審議会の委員に選ぶのは、自分たちのいうことをきく御用学者だけで、結論も役所が用意する。霞ヶ関が日本最高のシンクタンクだと信じているからだ。民主党内でも、自前のシンクタンクをつくろうという話があったが、小沢一郎氏は「政権を取ったら霞ヶ関を使えばよい」として自前主義を続けてきた。

たしかに個々の官僚は優秀だし、清潔だ。しかし組織になると、自己保存本能が強く働き、権限や予算を拡大した者が出世する。それをチェックしようとしても、政策が法律によってスパゲティ状にコード化され、省庁間で合意形成されているため、その内部構造を理解しないと手がつけられない。結果的に法案化作業はブラックボックスになり、自民党の政治家はペラ1枚だけみてOKを出し、官僚は実装の段階で省益を最大化するようにコーディングしてきた。英米型のシステムでは議員の政策を議会事務局が法案化するが、日本では法案化が官僚機構に丸投げされているため、立法機能が実質的に行政と垂直統合され、政策の中身まで官僚に囲い込まれているのだ。

これはゼネコン構造とよく似ている。きのうネットラジオ中継で、ITゼネコン出身の田端信太郎氏が「設計段階から丸投げされたら、自社のシステムでないと動かないように設計するのは当たり前だ」といっていた(*)。システムの設計を独自規格で囲い込み、アプリケーションも同じ会社でないと開発できないようにして末永くもうけるのが優秀な営業だ。この構造を変えないまま政治家を霞ヶ関に100人送り込んでも、今の副大臣や政務官のように「お客さん」になるだけである。

ITゼネコンが役所を食い物にするのは、官僚が専門知識をもっていないからだ。同じように官僚が政治家を食い物にしてきたのも、政治家が地元利益にしか関心のない素人だからである。「政治主導」を実現するには、自前主義を捨てて国家戦略局に外部の専門家を入れ、各省庁の法令担当を戦略局に集めて議会事務局のような機能をもたせる必要がある。民主党には「日本版ケネディスクール」をつくって自前の政策スタッフを養成しようという構想もあるようだが、そこでも法案化の訓練が重要だ。このようにして立法と行政を水平分離することが、官僚主導を打破する第一歩である。

(*)田端氏によれば、このテクニックを業界では「シャブ漬け」というそうだ。のりピーより、こっちのほうがはるかに深刻な中毒だ。
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日本政治の正体

16年前の非自民連立政権は「久米・田原政権」ともいわれた。テレビ朝日が「55年体制が終わる」という露骨なキャンペーンを張り、久米宏氏や著者が政権交代を支援したからだ。のちに当時の報道局長が「55年体制を突き崩さないとだめなんだという姿勢で選挙報道に当たった」とオフレコの会合で発言したのを国会で追及されて辞職した。

しかし本書の見立てによれば、自民党政治の終わりは田中角栄の倒れた1985年に始まっていたという。田中は首相を退陣したあとも「闇将軍」として党内最大派閥を率いて実質的な権力を握り続けたが、これによって傀儡政権が続き、自民党内の意思決定が混乱した。1984年に竹下登のグループ「創世会」がクーデターを起こし、それに怒った田中は酒を飲み過ぎて翌年倒れた。創世会を旗揚げしたリーダーは小沢一郎氏と梶山静六氏であり、のちの経世会には鳩山由紀夫氏も岡田克也氏もメンバーとして加わった。

このころ田中的な利益分配の政治に限界が見え、日米貿易摩擦が激化して日米関係も変質し始めていた。「このままでは日本がアメリカにぶち壊される」という危機感から、中曽根政権は規制改革を打ち出し、前川リポートは外圧を使って「内需拡大」を打ち出して改革を進めようとした。ところが官僚機構は許認可権を離さず、内需拡大を「430兆円の公共投資」にすり替えて、逆に権限拡大をはかった。このとき外圧を利用して利権の拡大をはかったリーダーも小沢氏だった。

しかしこうした手法はバブル崩壊で行き詰まり、1992年の金丸事件の処理を小沢氏が誤って竹下派が分裂した。このとき小沢氏は、思い通りに動かなくなった自民党を壊すために、離党という荒技に出た。その後も彼の関心は自民党を割って社会党をつぶすことしかなく、政界再編を仕掛けては失敗を繰り返した――という「小沢史観」が本書のストーリーである。安直といえば安直だが、小沢氏の迷走が日本の政治の混乱の最大の原因であることは否定しようがない。そしてこの政治の混乱が、日本経済の「失われた20年」の最大の原因だった。

こうみると、日本政治の直面している問題もプレイヤーも、20年前からほとんど変わっていないことに唖然とする。20年間にたまった宿題は山ほどあるが、まず20年前にやるべきだった規制改革をちゃんとやり、官僚支配を脱却することだ。そしてそれができる「プロの政治家」は、民主党には小沢氏しかいない、と著者はいう。残念ながら、それが日本の政治の現実だろう。

*アマゾンのタイトルは間違ってますよ。
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Shadow Shogun


選挙報道では、日本のメディアより海外メディアのほうがはるかに的確なコメントをしていた。彼らが注目しているのは、もう明白な選挙の結果よりその後の人事だ。特に100人以上の「小沢チルドレン」が当選して、かつての田中派のような「党中党」になりそうな小沢グループの動向が焦点だ。1993年の細川政権のときの小沢一郎氏の政策は高く評価されているが、彼が幹事長になると「二重権力」になって政策決定が不透明になるので重要閣僚として処遇すべきだ、とForeign Policyはアドバイスしている。

私は宮沢政権末期に、竹下派の事務総長だった小沢氏にインタビューしたことがあるが、そのころの彼は輝いていた。その後の16年間、不幸なことに彼を超える政治家はあらわれなかった。今の民主党のバラマキ福祉路線は、彼の本音ではないだろう。あのときの理想に立ち返り、全部リセットしてはどうだろうか。どうせ誰もあのマニフェストが実現できるとは思っていないし、政権交代は約束を破ることなのだから。

今夜はライブドアのネットラジオでdankogaiと一緒に開票速報にコメントすることになった。日本政治の「失われた15年」を取り戻すにはどうすればいいか、twitter中継もまじえて議論したい。
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「東アジア共同体」という幻想

鳩山氏のNYT論文は、予想どおりアメリカの専門家に酷評されている。
オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。
中国が最大の対米輸出国になった時代に、グローバリゼーションを否定して「東アジア共同体」なるものを提唱する発想は信じられない。これもどうせ政権についたら修正するリップサービスだろうが、鳩山家に代々受け継がれている「反米のDNA」もあるのかもしれない。

鳩山一郎はハト派ではなく、自民党の「右派」の源流の一つである。岸信介ほど過激な国家社会主義者ではなかったが、ロンドン海軍軍縮条約を「統帥権干犯」だと攻撃し、これがのちにGHQにとがめられて公職を追放された。戦後も、吉田茂が引退したあと「対米自立」をめざして安保条約や憲法を改正しようとしたが、果たせなかった。鳩山由紀夫氏は、こうした祖父以来のナショナリズムを継承しているのだろう。

親米(欧)か反米(親アジア)かというのは、明治以来、日本の国家戦略の大きなわかれめだったが、戦前には前者は少数派だった。福沢諭吉の「脱亜入欧」はアジア蔑視として批判を浴び、北一輝や石原莞爾などの国家社会主義者は中国との連帯をめざした。それが満州国や中国侵略に拡大し、最後は対米戦争という自殺行為にゆきついた。

思想的にも、「近代の超克」などの議論は、鳩山氏の「グローバリズム批判」よりはるかにレベルが高かった。社会を原子的個人に分解する近代化が伝統的社会に亀裂を生み、人々の精神的荒廃をもたらしているという批判は文明論としては正しいが、日本がそれに代わって発見したと称する「大東亜」の価値観は、単なる軍事的プロパガンダに成り下がった。

現在の地政学的な状況をみても、東アジアがEUのような共同体になれる条件はない。第1に中国や北朝鮮という社会主義国を含み、政治的な合意が不可能だ。第2に国家の共同体とは基本的に軍事同盟であり、日本と中国が共同の敵と闘う事態は考えられない(中国が敵になる可能性はあるが)。第3に経済発展のレベルや賃金水準が違いすぎ、完全な自由貿易圏にして(EUのように)移動の自由を保障したら、中国から数億人の移民が日本に押し寄せるだろう。

しいて共通点をあげれば、漢字文化圏で地理的に近いことぐらいだろう。しかし渡辺利夫氏も指摘するように、これは錯覚である。日本と欧米のほうが日本と中国よりはるかに文化的共通点が多く、政府が反日感情を国民に植え付けてきた中韓と「和解」するのは容易ではない。海を介した海洋国家同盟においては日米同盟も日中同盟も大した違いはなく、サイバースペースでは地理的な距離そのものに意味がない。

要するに、東アジアで共同体を構築できる客観的条件はないし、それは望ましくもないのである。それよりFTAやEPAで個別に自由化を進めるのが現実的だ。もっとも日米FTAに農協がツッコミを入れたぐらいで腰砕けになる民主党が、東アジア自由貿易圏のリーダーになれるはずもないので、アメリカ政府が心配するには及ばないが。
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競争が友愛を築く

鳩山由紀夫氏によれば、「市場原理主義」が文化や伝統を破壊して、信頼にもとづく社会の秩序を危うくしているそうだが、それは本当だろうか。Francois et al.によれば、規制改革によって労働市場が競争的になると、労働者の信頼は高まるという。


秩序を維持するメカニズムは2種類ある。一つは伝統的な「小さな社会」を支える長期的関係=安心で、これはグローバルな市場で維持することはむずかしい。もう一つは「大きな社会」で機能する契約ベースの信頼=友愛(fraternity)である。それは無条件に人類を愛する「博愛」ではなく、特定の結社や契約にもとづく信頼関係だから、友愛が機能するためには安心社会とは異なるルールの体系が必要だ。友愛社会は不自然なルールにもとづくものだから、安心社会ほど心地よくないが、文化や伝統の違いを超えて広がりをもつ。

安心社会に慣れた人々にとっては、こうしたルールの変更は「国家の品格」を破壊するものと映るかもしれない。日本のように大きな社会で安心メカニズムが機能してきたのは稀有な例だが、ここ20年の閉塞状況は安心社会が行き詰まったことを示唆している。いったん安心の失われた社会で、長期的関係を再構築することは非常にむずかしい。本気でやろうと思ったら、鳩山氏のいうように「グローバリズム」を拒否して農業を保護し、地方に補助金をばらまいて衰退する農村を守るしかない。そういう「小国主義」もそれなりに一貫した政策だが、それは友愛とはまったく逆の思想である。
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約束を破るメカニズム

最近、麻生首相は「政権交代ではなく政策選択を」というようになった。たしかに政権交代は手段にすぎないので、それによって政策がよくなるのかどうかが問題だが、政権が交代しないとできないこともある。

沖縄返還の際の密約について、外務省はようやく元局長の裁判への出廷を認めた。これは民主党が「政権をとったら密約に関する公文書を公開する」といっているため、方向転換したものだろう。当ブログでも何度も書いているように、これはアメリカでは公文書が公開されているので、もはや密約でさえない。

ところが外務省は「アメリカが勝手に作ったメモだ」などという言い訳で密約の存在を否定してきた。密約を結んだ共犯者である自民党政権が続くかぎり、この明白な嘘をくつがえすことはできない。こういうときは、そういうコミットメントのない民主党が政権につくことによって、外務省との暗黙の契約を破ることができる。だから政権交代すること自体に意味があるのだ。

これは企業買収(特にLBO)によって資本効率が上がる原因でもある。企業では経営者と従業員が雇用や賃金などについて多くの暗黙の契約を結んでいるので、同じ企業が存続するかぎり、この約束を破ることができない。LBOは、企業の所有権を移転することによって、新しい経営者が「そんな約束は知らない」といって人員整理する約束を破るメカニズムである、とJensenはのべた。

いま日本に必要とされているのも、政治家や経営者をがんじがらめにしている暗黙の契約を破ることだ。もちろんカウンターパートにしてみれば、天下りを当てにして地獄の残業を続けてきたのに、その「配当」をもらおうとしたら約束が破棄されるのではたまったものじゃない、という不満もあるだろう。LBOは資本家によるホールドアップ(事後的な機会主義)だというSummers-Shleiferの批判もある。

しかし公平にみて、今の日本で長期的な約束をすべて守り続けることは不可能である。90年代にも、大蔵省は護送船団行政の約束を守ろうとして問題を先送りした結果、不良債権を10倍以上に増やしてしまった。すでに実態が破綻している財政と年金を改革しないまま、さらにバラマキを続けたら、今度は日本経済全体が破綻する。たとえば年金を確定拠出に切り替えるとか支給年齢を大幅に上げるとかすると「約束が違う」と騒ぐ人々が出てくるだろうが、どこかでリセットすることは避けられない。先送りすればするほど破局は大きくなり、将来世代に大きな負担がかかる。

ところが民主党は後期高齢者医療制度も廃止し、福祉予算の増加を抑制する目標も廃止するという。おまけに民主党の支持団体でもない農協の脅しに屈して、日米FTAを引っ込めてしまった。鳩山氏のような「やさしい」性格では、暗黙の契約を破ることはむずかしい。かつて国民が小泉純一郎氏を歓迎したのは、彼が自民党をぶっ壊して過去の約束を「知らない」といえるキャラクターだったからだ。

この意味では政権交代は必要条件ではなく、約束を破れるリーダーが出てくれば、行き詰まりが打開できる可能性もある。カルロス・ゴーンが日産を再建したのは、「私はそんな話は聞いていない」といえたからだ。そのとき日産の幹部は「ゴーンさんのやったのは私たちが提案したこと。何をやるべきかは社員がみんな知っていた」といっていた。たぶん今の日本でも、国民は何をしなければならないかを知っているだろう。鳩山氏に必要なのは、約束を破る勇気だけである。
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バーナンキのFRB

21世紀の歴史が書かれるとき、2008年9月15日は世界史を変えた日として記録されるだろう。あのときリーマンを破綻させていなければ・・・というhistorical ifを多くの人が繰り返したが、当事者がどう判断したのかはよくわからなかった。本書は、その内幕をWSJの記者が当事者へのインタビューによって明らかにしたものだ。WSJに要旨が出ている。

本書によれば、災厄をもたらした主犯はバーナンキでもポールソンでもなく、議会である。バブルで大もうけした投資銀行を税金で救済することは許さない、という議会の圧力と闘い、取引を行なうことにポールソンは大部分のエネルギーを費やした。9月7日のファニー・フレディの国有化で「バズーカ」を使い果たして、彼は翌週のリーマンのときには、もうこれ以上議会を説得できないと考えていた。バーナンキとガイトナーは最後まで何とかしようと試みたが、最終的にはポールソンと同じ結論に達した。

ところが議会は、リーマンの破綻後も事態の深刻さを認識せず、銀行救済の「ポールソン案」を否決して、世界的な株式大暴落の引き金を引いた。選挙戦の最中に、有権者に不人気な銀行救済策を審議しなければならかったことが不幸なタイミングだった。しかしその後は、バーナンキは通常のFRBのルールを超えて大胆な緩和策をとり、ダメージを最小限に抑えた。

今回の危機全体をみたとき、最大の原因はやはりグリーンスパンの行なった金融緩和が長すぎたことと、金融規制がいい加減だったことに求められている。なぜ投資銀行の自己資本比率は1/30でよかったのか、なぜ格付け会社のAAA安売りにFRBもSECも対応をとらなかったのか――その背景には、投資家が市場のことを一番よく知っているというグリーンスパンの哲学があった。

バーナンキは、明らかにグリーンスパンより慎重な経済学者であり、今回の危機は彼が議長でなかったら、もっと悲惨な結果になっていただろう。そしておそらく彼以外の議長でも、長年にわたって蓄積した巨大なバブルを何事もなく収拾できたとは思われない。危機が去ったと結論するのは早すぎるが、彼を再任したオバマは賢明な選択をしたというべきだろう。
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沈みゆく日本

今週のニューズウィーク日本版の特集も「沈みゆく日本」。東京支局の書いた記事も含めて、幸か不幸か民主党政権への期待は高くないようだ。他方、Economistのサイトには"Japan sees the light"という記事が出ている。
Yet a revolution may indeed be taking place in Japan. First, the LDP's dominion is probably over. Second, and more important, the politics of Japan is changing because the people of Japan are changing. [...]

Consensus and discipline are fine virtues in vehicle-assembly plants, where almost everybody works to a preordained plan. Such factories, however, will count for less and less of Japanese economic output, as the yen rises and manufacturing shifts to cheaper parts of the world. Increasingly, the Japanese will need to produce goods and services that require irreverent imagination and individual initiative. Firms trying to dream up new kinds of financial derivatives need employees who are inventive rather than obedient.
これは、実は1993年6月23日に宮沢内閣不信任案が成立して国会が解散されたあとの記事だ。あのとき、確かにわれわれは光を見たのだが、それは幻だった。このときEconomistが日本の新政権に期待したことは、何も実現されないで16年が過ぎた。そのときの記事を彼らが再掲するのは、「16年前の宿題を今度こそ片づけろ」という意味だろうが、鳩山氏はそれを片づけられるのだろうか。
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ネット選挙を「解禁」した自民党


「野党化」した自民党が元気だ。麻生氏は野党党首のほうが似合っているし、民主党に対するネガティブ・キャンペーンもおもしろい。出色なのは、YouTubeにも出ているネットCMだ。特に注目されるのは、最新作の「ラーメン篇」の日付が8/21と自民党の公式サイトに掲載されている点だ。公選法では、公示後のウェブサイトの更新は公選法で禁止されてるんじゃなかったっけ?

自民党の広報によれば、「政党の通常の政策、政治活動で、問題ない。候補者の名前は出さないよう、十分気を付けている」という。これは正しい。私も先週のASCII.jpのコラムで書いたように、何が公選法にいう「選挙運動のための文書図画の頒布」にあたるかは法的な定義がない。自民党のいうように政党の広報活動は「選挙運動」ではないという解釈も成立するし、ウェブサイトの更新は何も「頒布」していないという解釈も可能だ。

最大の問題は、すべてのウェブサイトの更新を「文書図画の頒布」として禁止するという総務省の解釈が、法的な根拠もないのに公式の解釈としてまかり通っていることだ。これこそ官僚が立法と警察と裁判所をかねる「官治国家」の典型的な症状である。特に憲法に定める表現の自由にかかわる問題については、明文で禁止されないかぎり自由と解釈するのが当然だ。選管がOKを出さないかぎり禁止と解釈してきたのがおかしいのである。

自民党がこれまでネット選挙の解禁を妨害してきたのは、彼らの支持基盤である老人に不利だからだが、大手メディアが「民主党圧勝」一色に塗りつぶされると、ウェブを使って反撃に出てきた。鼠でも追い詰めれば猫をかむので、自民党も野党に転落すればエネルギーを出して、政治はおもしろくなるだろう。ますます政権交代が必要になってきた。
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