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山の中の鉄道博物館、最後の夏 移転控え大にぎわい

2009年8月30日11時15分

写真:往年の車両と長谷川操・中部天竜駅長=佐久間レールパーク、山吉写す往年の車両と長谷川操・中部天竜駅長=佐久間レールパーク、山吉写す

写真:建物内には往時の鉄道グッズやジオラマなどが展示されている=佐久間レールパーク、山吉写す建物内には往時の鉄道グッズやジオラマなどが展示されている=佐久間レールパーク、山吉写す

写真:「ゲタ電」と呼ばれたクモハ12形。ゲタのように日常の足として使われたことが由来といわれる=佐久間レールパーク、JR東海提供「ゲタ電」と呼ばれたクモハ12形。ゲタのように日常の足として使われたことが由来といわれる=佐久間レールパーク、JR東海提供

写真:戦前に京阪神で活躍した「モハ52形」=浜松市天竜区の佐久間レールパーク戦前に京阪神で活躍した「モハ52形」=浜松市天竜区の佐久間レールパーク

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 愛知県豊橋市からJR飯田線の特急で約1時間、中部天竜駅の構内にあるJR東海の鉄道博物館「佐久間レールパーク」(浜松市天竜区佐久間町)。名古屋港への「移転」に伴い11月1日で閉園が決まった今年、開館時以来のにぎわいを見せた。

 開館は91年4月。開くのは土日祝日と春の大型連休、お盆だけで、冬季の11〜2月は休園というのどかな博物館だ。建物内に鉄道用品、屋外に16両の車両が展示されており、月替わりで一部の車両に乗れる。同駅を含む区間の切符があれば入場無料。「青空の下で懐かしい車両が見られる」と北海道や九州からも熱心なファンが訪れるという。

 同駅はもともと、佐久間ダムの建設資材を運ぶ列車の入れ替えや留置に使われていた。同社の須田寛・元社長(現相談役)が車両の保存に取り組んでおり、本格的な博物館ができるまでの暫定施設として、広い敷地がある同駅に白羽の矢が立てられた。

 豊かな森に囲まれた天竜川流域はかつては林業で栄えていた。レールパークは地域の活性化につながると、当時の佐久間町(05年に浜松市と合併)も歓迎だった。駅長の長谷川操さん(58)は「豊かな自然とともに鉄道を楽しめるのが売り。名古屋に移ると、自然の楽しみがなくなるという寂しさはある」と話す。

 旧・佐久間町長の小原侃之輔さん(73)も熱心なファンたちが忘れられない。「青春時代の車両が残されているからか、壁をなでたり、背もたれにほおずりしたりする人もいた。これは町だけではなく、日本の財産だと思う」と、惜しみながらも名古屋への移転に納得している。

 今年の来園者は28日現在で約6万人。昨年を2万人強上回り、開園の年に並ぶ。昨秋来の不況もあってか、父母も含めて一家全員で楽しむ客も目につくという。

(山吉健太郎)

    ◇

 レールパークにある鉄道車両は16両。戦前に京阪神で急行電車として活躍し、流線形の車体で人気を誇った「モハ52形」(37年製造)は飯田線で定年を迎え、そのまま保管されている。「ゲタ電」と呼ばれた「クモハ12形」は長谷川駅長が高校時代に通学で乗っていた型。父は同線の運転士だった。

 初代新幹線「0系」の先頭部分も展示。「夢の超特急」も、運転台を見ると手動のレバーやスイッチが並んでおり、アナログな雰囲気だ。

 新しい「JR東海博物館(仮称)」が名古屋港金城ふ頭に開館するのは11年春。

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