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きょうの社説 2009年8月31日
◎民主党政権へ この国の形を示してほしい
衆院選で民主党が圧勝したのは国民の多くが「変化」を望んだ結果にほかならない。変
化の先にどんな政治があるにせよ、民主党に投票することによって自民党政治、とりわけ麻生政権の幕を引くことを選んだのだろう。歴史に深く刻まれる選挙とはいえ、戦後政治の大きな転換点と後世に評価されるには、かつての細川政権の二の舞にならず、政権運営を安定化させる必要がある。衆院選は争点を「政権交代」の是非に単純化した民主党の戦術が奏功し、自民党政治の 不満の受け皿になった側面が強い。ひとたび風が吹けば一方になだれ込み、民意を増幅させる小選挙区制のダイナミズムが前回の「郵政選挙」とはまったく逆の形で表れた。 悪化する雇用情勢への対応や経済のテコ入れ、予算編成など待ち受ける難題を考えれば 民主党に大勝に浮かれる余裕はない。政権公約には政治を変えようとする部品は並んでいても、この国の形をどうするかという全体像は必ずしもはっきりしていない。何より大事なのは政権党にふさわしい国家ビジョンを明確に示すことである。 国際社会の秩序はより複雑に変化し、内政でも少子高齢化への対応や霞が関改革、地方 分権など課題は山積する。年金、医療、介護など国民生活に直結する切実なテーマに対応しきれなかったことが自民党の敗因でもあろう。行き詰まった制度や仕組みに対して的確な処方せんを示すことが次期政権の責任である。 国の基本政策である外交、安全保障にあいまいさを残し、党内議論を先送りするような 姿勢はもはや許されない。官僚主導政治を政治主導に変えるという民主党の方向性は間違ってはいない。実際に政権を担えば机上の政策と現実との違いにも直面するだろう。問われるのは現実への対応力である。 自民党は地方や業界団体などの支持基盤が決定的に崩れたことが壊滅的な大敗につなが った。人材も枯渇し、再生の道のりは極めて険しいと言わざるを得ない。だが、自民党が長期政権でしみついた旧弊を一掃し、生まれ変わってこそ民主党政権も鍛えられる。そうした切磋琢磨を通して「二大政党制」の姿も見えてくるのではないか。
◎石川で自民1勝2敗 多数でも「ひ弱さ」アダに
天地がひっくり返るほどの衝撃のなかで、石川の政界地図が大きく変わった。石川1区
と3区で、自民党の前職2氏が小選挙区の議席を失い、1勝2敗と負け越す光景を、信じ難い思いで見た県民もいるのではないか。自民党の敗北を、民主党側に吹いた暴風のすさまじさだけに求めるのは間違いだろう。 大きな要因として、ここはやはり、自民党のひ弱さ、結束力のなさを指摘しておかねばならない。政治の本質は「数は力」であり、議会制民主主義においては、過半数を制した者がすべての力を手にする。 だが、石川県議会に限っては、この常識が通用しなかった。46議席中27議席の過半 数以上を持ちながら、自民党は県政の表舞台でも裏舞台でも主導権を少数野党の新進石川に握られ、常に鼻面を振り回されてきた。 06年の県議長選では、自民党のベテラン県議6氏が新進石川の宇野邦夫幹事長を議長 に推し、自民党内で多数派工作を進めたり、認められないなら役職を辞すと息巻く者まで出た。大騒動の末、「宇野議長」誕生は幻に終わったが、少数派にいいように切り崩され、右往左往する自民党県議の姿は、「烏合の衆」よろしく、見事にバラバラだった。 民主党の小沢一郎代表代行は、同党代表を務めていた昨年3月、福井俊彦日銀総裁の後 任選びに際し、政府・与党の人事案に反対した。これには「反対のための反対」との批判もあったが、野党が参院で過半数を握る強みを国民に知らしめるがごとく、与党を揺さぶり、当時の福田政権を追い詰めた。翻って石川県議会の自民党は、人事面などにおいて、数の力をもって「ノー」を突き付けるようなことが一度でもあっただろうか。 強い新進石川には、民主党の小沢グループと似た匂いがある。「奥田党」の流れをくむ 、自民党に似た「古い顔」と、民主党の応援団という進歩派を気取る「新しい顔」である。この二つの顔を巧みに使い分けるところなどそっくりだ。中央政界で民主党が政権を握る今、新進石川が「民主党」を名乗るときが来たのではないか。
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