2009年8月31日2時45分
比例区で復活当選し笑顔を見せる野田聖子氏=31日午前0時59分、岐阜市、恵原弘太郎撮影
比例区での復活当選が決まり笑顔を見せる野田聖子氏=31日午前0時53分、岐阜市、古沢孝樹撮影
「女性初の首相候補」と期待されてきた岐阜1区の自民前職、野田聖子消費者行政相(48)が、比例で復活当選したものの、小選挙区では民主新顔柴橋正直氏(30)に敗れた。
ヒマワリの冠と首飾りをつけた野田氏が、岐阜市の事務所に姿を見せたのは、日付が変わった31日午前1時前。「多くの優秀な仲間が落選する中で、生き残らせていただいた。新しい自民党を作る担い手としてがんばりたい」と笑顔で話した。
05年の衆院選では、郵政民営化に反対して離党に追い込まれ、無所属で自民公認の「刺客」と戦った。それに比べれば、6選をめざした今回は、自民党公認を受け、消費者行政相の肩書もあり、選挙は盤石のはずだった。
ところが、郵政選挙で自民が分裂したしこりを修復できなかったことで、中選挙区時代の派閥を引きずる「反野田」勢力が息を吹き返した。これに、自民への逆風が加わった。
公示日直前には、地元・岐阜市選出の元自民県議、笠原多見子氏(44)が、「野田氏を支援できない」と民主の比例東海ブロックから立候補を表明。古くからの自民支持団体の一部も公然と反旗を翻し、柴橋氏の支援に回った。
危機感を募らせた野田氏は、当初予定していた各地での応援演説をやめ、地元に張り付いた。「本人」と書いたのぼりをはためかせながら自転車で商店街を走り、早朝のJR岐阜駅前にも立った。「反野田」で離れた支持層の穴埋めを無党派層に求める戦略だったが、なかなか成果はあがらなかった。
選挙戦終盤には、麻生首相や舛添厚生労働相、小渕少子化担当相が、野田氏の応援に岐阜入りし、巻き返しを図った。27日夜の総決起大会では、野田氏の親族と後援会幹部が壇上で土下座をしてみせた。だが、追い風に乗る柴橋氏の勢いは止められなかった。