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不戦への決意 |
2009年8月15日(土) |
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今年も8月15日がやってきた。オバマ大統領の登場とその発言もあってか、あるいは、戦争の体験者の方が少なくなっていく中での危機感の表れであろうか。「戦争」「核兵器」に関する特集番組が多いような気がする。日本人の死者三百万人、アジア・太平洋の人々の死者1000万人以上という惨禍から私たちは何を学んだのであろう。我が国の憲法を「理想主義的すぎる」という方もおられる。しかし、戦争ほどの悲劇はない。殺す側も殺される側も、である。私は、叔父(母の兄)が戦争で亡くなった。骨一つ帰ってこなかった。祖母はどんな気持ちであったろう。学業を途中で諦めなくてはならなくなった叔父の無念さはどんなであったろう。今、生きていたら、どんな話をしてくれたであろう。全ては還ってこない。だからこそ、「二度と戦争を起こさない」と、私たちは固く決意しなくてはならない。東西冷戦も終結し、世界がグローバル化する今こそ、「憲法九条」を具現化しなくてはならない。あの戦争で亡くなった多くの人の犠牲者の方が残してくれた財産である。
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「ダム」建設のあり方 |
2009年8月14日(金) |
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「徳山ダム導水路問題」については、この間もマスコミの方から問い合わせがある。現時点で考えれば、導水路は問題の方が多いと思う。私の考える論点は@これからの治山・治水の在り方A計画開始から五十年もかかっての完成というあり方B「そもそも」の必要論と「ここまで作ってしまったのだから」論など。最終的な結論を出すには、きちんとした議論が必要だと思うが、いずれにせよ、多くの関係者の人生を翻弄する「ダム」のあり方を、根本的に見直すきっかけとしたい。 |
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核廃絶へのリーダーシップを! |
2009年8月10日(月) |
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「核の惨禍展」が10日、ニューヨークの国連本部で始まった。日本とカザフスタンの国連代表部が、来年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて企画したそうである。おりしも昨日は、長崎原爆の日であり。今回の展示会も、広島、長崎、セミパラチンスク(カザフスタン)の3市が共催とのことである。セミパラチンスクの核実験施設は既に閉鎖されているが、先日、NHK放送の特集番組でも紹介されていたように、旧ソ連の同地域における核実験は住民の人たちに深刻な後遺症を残している。何度も書くが、「核」の最大の問題は、遺伝子に傷を与え、治療法がなく、多くの人が苦しみ続けることである。六日の広島、そして、九日の長崎と、日本は唯一の被爆国として、きちんと「核廃絶」のためのリーダーシップを発揮していくべきである。民主党は、「核持ち込み」密約の情報公開を約束しているが、未来に向けて「非核三原則」の堅持をすべきである。 |
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拉致問題の解決を! |
2009年8月7日(金) |
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クリントン元米国大統領は、二人の米国人記者を連れて帰国した。以前、蓮池透さん(元北朝鮮による拉致被害者家族会事務局長)の講演の中で「なぜ、日本には、自ら平壌に乗り込んで、拉致被害者を連れてこようという勇気ある政治家がいないのか?」という趣旨の話が出た。同氏は、拉致問題解決のためには歴史の事実に触れるべきと思っておられるかもしれない。その著書の中で「拉致家族は、戦前に拉致された朝鮮の人々の気持ちをよく理解できるかもしれません。家族が訪朝し、悲しみを伝えることが、相手の心を動かし、突破口になるかもしれません。」という趣旨のことも書かれている。クリントン氏は、北朝鮮側に日本と韓国の拉致問題解決の要請もした模様という報道があるが、日本は何とか、自らの国の拉致問題を解決してはならない。
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広島原爆の日 |
2009年8月6日(木) |
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原爆記念日である。先日、友人の勧めでスティーブン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」を見た。なぜ、もっと早く見なかったのかと後悔した。映画の冒頭で、「8月6日は何の日か知っていますか?」というインタビュアーの質問に、8人全員の若者が応えられなかった場面が出てくる。しかし、監督の訴えたかったのは、彼らが応えられなかったことではなく、彼らにきちんと教えてこなかった社会や、「核爆弾の悲惨さ」にきちんと目を向けてこなかった人類全体にあるのでは私は思った。この映画は14人の被曝された方と4人の原爆投下に関わった米軍関係者の証言で構成されているが、その中のひとりの方が、体に傷を負い、心に傷を負い生きなくてはならない人を二度と生んではならないという思いを語られる場面がある。戦争はすべての人の人生を翻弄する。私たちは、唯一の被爆国として、あの「核爆弾の恐ろしさ」をきちんと伝え、「戦争をなくし」「核を廃絶する」ために行動する責任があると思う。なお、政府と原爆症認定集団訴訟の原告団とが原告全員を救済することで合意をした。大きな前進であるとは思うが、あの日から64年もたってやっとであるうえ、その中身には不明な点多い。一審で敗訴した原告は救済される一方、原爆症とは認定されないということは、原告の気持ちからすれば、到底納得できるものではないであろう。きちんと本質に目を向ける必要がある。 |
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2009年8月5日(水) |
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クリントン元大統領が訪朝した。拘束されている二人の米国人記者の解放が目的であるが、それだけならば、違う人選で済んだのだろうと思う。やはり、今後の米朝交渉への入り口という意味合いが強いと思う。私は、北朝鮮の核実験を中止させるためには、六カ国協議という国際的な枠組みと、できるだけ早い時期の米朝の交渉再開が必要だと思ってきた。実行ある制裁措置を行いつつも対話の窓口を開き、アジアの平和を実現しなくてはならない。 |
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裁判員制度始まる |
2009年8月4日(火) |
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裁判員制度が始まった。私は、同制度の早急な運用開始に反対してきた。その最大の理由は、審議を短期(四日間)でおわらせるために、予め証拠の整理を行い従来に比べかなり簡素化している点。さらに、裁判員がその証拠に関する疑問を感じても、新たな証拠の調査を依頼できるわけではないという点。また、より職業的な経験が必要とされる凶悪な刑事事件に採用され、残酷な場面の写真を見なくてはならない中、量刑を決める上で被告の心理状況など深い所にどこまで近づけられるのか懸念を感じる点。さらには市民感覚がより必要と思われる「行政訴訟」においてこそ同制度が採用されるべきなのにそうなってはいないという点等である。また、今回、裁判員に呼び出しを受けた73人のうち、6人には届かず、18人は事前に辞退を認められたという。また、6人決まった裁判員の性別に偏りがあった。これらは今後の検証が必要であるが、かなり気にかかるところである。開かれた司法は必要である。しかし、本当に今回の裁判員制度は国民が望んでいたものなのであろうか。ここまできた以上、今後の状況をみつつ改善していくしかないわけであるが、きちんとした検証とフォローが必要である。
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2009年8月3日(月) |
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夕方、民主党三・四区支部合同で、国民新党を支援する郵政事業関係者の皆さんに呼びかけての講演会を開催する。あまり、郵政民営化見直しに関連しての両党協力ばかりにスポットがあたるのは本意ではない。重要なことは、郵政民営化に象徴される自民党「小泉改革」の行き過ぎた弱肉強食社会の問題点を指摘し、国民生活本位の政治を取り戻すことである。 |
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2009年8月2日(日) |
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公示に向け、あわただしい中であったが、聞いておかなくてはならないと、名古屋市主催の「徳山ダム導水路事業からの撤退の是非を話し合う公開討論会」に出かける。賛否両論からの四人の方が意見陳述を行った。それぞれ、なるほどというお話をされたし、会場から貴重な質問や意見もあった。残念ながら、私は民主党愛知県連の街頭演説のために途中退席したが、なかなか聞きがいがあった。旧徳山村の方が言われた(後で新聞記事で知った)「50年も(人生を)左右された末にダムは不要なのか?」という意見は胸に響いた。賛否両論、それぞれがなるほどと思う。しかし、二つの考え方には、ある意味、異なる思想が流れている気もした。その意味で、私は「異常渇水を超えられるダムはない」という考え方にある「自然に対する畏敬」の気持ちは大切だという気がする。もちろん、文明社会は、自然との闘いの中で発達してきた部分もある。しかし、それでは限界があるというのも真実ではないだろうか。自然を超えるためにも、自然との共生が必要なのではないだろうか。もう、そろそろ根本から考え方を変える時ではないだろうか。なお、四時から、栄の街頭で連合愛知・民主党共催の「街頭演説会」。私も候補予定者の一人としてマイクを握るが、そこにぶつけるように、五時から自民党の演説会が行われた。 |
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2009年8月1日(土) |
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自民党のマニフェストも発表され、各党のものが出そろう。マスコミの取り上げも大きく、かなりの政策論争選挙になると期待できる。しかし、自民党のマニフェストにはがっかりした。政策に魅力を感じないのである。いかに多くの人が現在の状況に苦しんでいるのかを感じとっているとは思えない。民主党は個人が豊かになることが社会の発展につながると唱え、自民党は相変わらず、組織や団体を優先してようである。なお、今朝、新聞社の取材を受けるが、この間のマニフェスト・政策論争選挙への流れを受け、「徳山ダムの導水路」問題に特化したものであった。残念ながら、この問題について、県連の最終結論はまだ出せていない。しかし、この問題については、何とか「純粋で冷静な分析に基づく再検討と判断をする場」づくりをまず、したいと思っているので、慎重にていねいにやりたいと考えている。この間、動き出してみて、長い経緯の中で絡まった糸をとぎほぐすのには少し時間をかけるべきではと思い始めている。 |
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