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私は毎日、朝から晩まで私の地元、東京のまんなかを交通渋滞を縫って走り回っています。車での移動もありますが、実際に脚で走り回っているのです。長距離ランナーならぬ、長距離ウォーカーでしょう。
活気にあふれる新宿の街々、最近大きく再開発された六本木周辺、汐留周辺、お台場、あるいは隣接している昔からの落ち着いた地区、青山、赤坂、麻布、高輪、芝、三田、愛宕、番町、麹町、神田・・・東京のまんなかは400年来の江戸の良き名残を色濃く残しながら戦後苦労して立ち上がった街々です。そして時代の流れに先導的見識で次への時代を見据えて街作りを進めてきた所ばかりです。
こうして毎日この場所に立つと、先人達の努力、今生活しておられる皆様の努力をひしひしと感じます。この大切なこの大きな街々、町々を今後安全でよりよい発展に繋げるためどうしたらよいか、考えをめぐらす毎日です。皆様の心からの希望を支え、実現させてゆく、そのお役に立ちたいと願っています。
気持ちがいくら強くても、簡単に解ける問題ではありません。順々と研究・討議を重ね、手順を積み重ねて実現に導かなければなりません。私は主軸となって働きたいと強く決意しています。
大きなプロジェクトは、主軸が多方面への協力者をしっかりと持たないと実現するものではありません。それが人脈というものです。信頼され、相応の対応があって、初めて事が実現する。国の機関、都の機関を動かしながら、区、街、町の関係者達と連携プレイで、公正で適正で良いアイディアのプランが創案され実現される。
ここに生まれ育って働いてきた者の実感です。長い間に培ってきた私の知識と経験の全てをつぎ込んで夢の一つ一つを実現させていきます。
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34歳当時 |
34歳初出馬の時は・・・
●政治を志した動機
平凡なサラリーマンとして、社会に出たわけですが、税制や都市問題で政治の矛盾を肌身に感じた。これは政治の主導権を握っている自民党がふるい体質、農村政党の体質で固まっているためだ。自民党を俊政党に脱皮させなければならない。そのためには俊の若い代表者を送り込まないと・・・
●与謝野鉄幹・晶子について
世間の人は誤解してるんですね。鉄幹は”赤貧、洗うがごとき”状態だったし、父は45年間の役人生活で清潔であることを誇りにしてきた。貧乏で平凡な家庭でしたよ。
血統がいいとか、名門とかいうのは犬や馬の世界と決まっている。日本はそんな社会じゃあない。そりゃあ、祖先に学ぶべきものはありますよ。日露戦争の最中に”君、死にたもうことなかれ”なんて、なかなか言えませんよ。それに引き換え、今の政治家は・・・
●留学し・・・
中学三年から高校二年まで、父親について海外生活。カイロでは、ナセル革命の嵐を目のあたりに見て、「日本をよくしてみせるぞ」と思った。
●目指す政治
都市問題のほか、政治家として取り組みたいのはエネルギー問題。今後の日本には、必ずエネルギー危機がやってくる。環境問題もからめ、国際的な視野でこれからどう対処するか。
(1972年11月34歳時の抱負)
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今現在は・・・
私は、中学3年、高校1・2・3年の4年間を海外で過ごしました。
そのうち3年3ヶ月は、父親の勤務地である、エジプトのカイロで過ごしました。
カイロのイングリッシュ・スクールに入学し、3年間全寮制のこの学校で多感な少年時代を送ったのです。この学校には、英国人を中心に22カ国の国々から生徒が集まって、米国の子供もおりましたし、エジプトをはじめ中近東のあらゆる国々からも優秀な子供たちが送り込まれておりました。
その様な環境の中で、私は初めて日本人であると言うことを自覚せざるをえなかったのです。日本が戦争に負けて、三流国の扱いをされていた頃ですから、私は敗戦国の国民の一人として扱われていました。
その時、私は思ったのです。ひとつは、勉強では絶対によその国の生徒に負けないようにしよう。それから将来は、日本を一流の国にして、世界から尊重・尊敬される国にしなければならないということです。
現在の日本は、戦後の先輩たちの涙の出るような努力の結果出来上がったのだと思います。今の若い人たちは、豊かさというものを当たり前のこととして受け止めております。他の国と違って、日本は努力しなければ、豊かさを維持できないという国だと言うことを忘れてはいけないと思います。
また、政治・経済・文化の面でも、世界の国々から尊敬される国々にならなければならないと思っています。どの面をとっても一流といわれたいものです。日本の豊かさを維持し、また世界からは、日本の国柄に尊敬の眼差しをむけられる国にすることが政治の責任であると思います。エジプトでの生活、外国人との交わり、それが私の政治生活の原点であると思っています。
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※さらに詳しい内容は「私の通ってきた道」をご覧下さい |
ゴルフ:政治家の必修科目の趣味。社会人の頃から始め、永田町の大物と仲良くなるたびに腕はどんどん上達? |
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パソコン:文部大臣時代に、新聞記者からコンピュータは面白いと教えられ、今では事務所で使うパソコンも製作している。 |
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カメラ:父親からカメラをもらい、それ以来どこへ行くときも持参する。ポスター撮影も自慢のハッセル・ライカ等で・・・ |
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天体望遠鏡:学生時代、天体望遠鏡を覗いてからハマる。今は埃をかぶって自宅に保管してある。 |
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囲碁:一昔前までは永田町では定番の囲碁。プロに学び、永田町では一番の実力者となるも・・・(アマ7段) |
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釣り:餌を付けるのが苦手であるのにも関わらず、魚を釣るのは大好き人間。海外視察に行ったときに、大物を釣り上げた? |
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