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Sun 2009.08/30

[]東浩紀伊藤剛竹熊健太郎らによるヱヴァ鼎談 簡易レポ 東浩紀・伊藤剛・竹熊健太郎らによるヱヴァ鼎談 簡易レポ - ピアノ・ファイア を含むブックマーク はてなブックマーク - 東浩紀・伊藤剛・竹熊健太郎らによるヱヴァ鼎談 簡易レポ - ピアノ・ファイア

 先日、25日夜に朝日カルチャーセンターで行われた、鼎談講座「ヱヴァ」をめぐって − あれから14年の手元のメモ記憶によった簡易レポートです。

講座内容

テレビ放送から14年、今夏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されました。今、ヱヴァをめぐって何か起きているのか。14年の間に起きた変化とは。「大人になる」こととは何か。本作をきっかけに出会った3人が語ります。

 実際の内容を振り返ると、この「大人になることとは何か」「作り手が、受け手が、大人になることで何が変わったのか」というのが一番重要テーマのはずで、(伊藤剛さんはなるべくそっちに振ろうとしていましたが)でもちっともそういう話にならなかったのはモッタイナカッタですね。

 「私達はこんな大人になりました」っていうのは自分側からあまり語りたくないようなことなんでしょうか。


 個人的には、トミノが大人に(まるく)なり……、そして庵野さんも大人になり、っていう変化が今年代のアニメ界で最大の事件性だったと思うのですけどね。


 ……と、簡易レポートのはずが、指摘(しかもかなり結論)から始めてしまいましたが、以下、講座の箇条書きです。

 主催側が録音しているかどうかわからないのですが、個人的なメモ記憶による再現であることを重々ご承知ください。文責は筆者にあります。


ヱヴァ」をめぐって − あれから14年 簡易レポート(敬称略)



 要約すると、「崩壊していて狂っていた旧エヴァはとにかく事件性に満ちていて、でもそんな狂気を感じられない新劇場版は評価する気になれない(そういう作品には素晴らしいとだけ言っておけばいい)」という雰囲気の東浩紀と、「旧エヴァ庵野さんが凄いことをやっていたのがわかったけど、今回の庵野さんは何をやってるのかわからない以上、自分には語りにくい」と正直に述べる竹熊健太郎に押される形で、あまりヱヴァ破そのものの問題には踏み込まない講座でした。

 途中、漫画家西島大介乱入したり、鶴巻監督についても言及すべき、といった流れもありましたが、その時はメモを取っていなかったので、どのタイミングの発言だったのか思い出せません。


 ちなみに、東浩紀の言う「ヱヴァ破の物語」に関するぼくの反論は、簡単には以下のように述べられます。

  1. 凡庸という評価とレッテルが、そもそも印象批評でしかないだろうということ。個人が抱く「凡庸さ」をヱヴァ破の内容に重ねて見てしまう(同一視してしまう)かどうかの問題でしかない。「凡庸とは何か?」というエクスキューズがなければ取り合うことができない
  2. 庵野総監督脚本レベルの表現を諦めて、映像表現のみに専念しているのだ、という憶測も、(スタッフインタビューから垣間見える)強い責任感を感じているさまや、執筆に苦闘する様子などをこれでもかというくらいに無視した結論であって、こうした「無視」があるだけでも、「物語に語るべきものは無い」という意見は退けていい(ここで再度用心しなければならないのは、「東浩紀個人の文脈や価値観にとっての凡庸さ」と、「個人以外の価値基準における凡庸さ」は別物であって、個人一人の価値観における是非を云々していては議論が進まないということだ。東浩紀はいくらでも「自分批評的文脈における語る価値の無さ」を取り出せるのだが、それはアニメ作品を語ることとは無関係な文脈なのだ)
  3. もし仮に凡庸で陳腐だとしても、「それをいまやること」「旧作から変化させたこと」という現象には、事件としての意義があるのでは? 本当の意味で「語るべき価値が無い」というのは、ヱヴァ破を含めた現代の作品のほとんどが「軒並みに凡庸である」ような状況……つまりヱヴァ破が「凡百の作品」と呼ばれるような場合においてだが、今はヱヴァ破が「凡百」といえるほど、周囲の作品群が凡庸揃いだとは考えられない。つまり言葉定義上、凡庸と凡百は価値が異なる。「凡庸ではあるが凡百ではない」という評価は充分成立するし、周囲から逸脱した「凡庸さ」は事件に足る出来事になりうるだろう、という視点を欠いてはいけない

 正直なところ、竹熊・東の両氏にとって、新劇場版について言及するのは「今回で一区切り」にしたい、というくらいの気持ちのようで、これ以上の語りを要請する必要は特に無いと言っていいかもしれませんね。

 重要なのは、彼らに語らせることではなく、「彼ら以外の語り」をもっと促進させることだろう、という思いを今回新たにしたのですが、いかがでしょうか。

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