1 大好きなユネスコ憲章の1節。
冒頭に掲げたユネスコ憲章の1節は、僕の大好きな言葉です。
いま世界を見渡すと、戦争とテロのニュースが途切れることがありません。
国内に目を転じても不安を誘うような痛ましい事件が後を絶ちません。
そして、その多くは「短絡的な暴力」だったり、「プロ意識の欠如」だったりと、当事者が「思考停止」に陥っていることが原因となっているように見うけられます。
ユネスコ憲章にあるとおり、平和の回復と創造の出発点は教育にあるのです。
2 「奨学金」後進国ニッポン。
奨学金の話をすると「どうしてそんな地味なテーマを」という顔をされることがよくありますが、地味だなんて大間違い!
いま問題の「格差社会」の元凶といってもいいのです。
日本の未来を左右する、とても根本的で現実的なのです。
だいたい、先進諸国の中で、学生が経済的な理由で就学を断念したり、学生の学費・生活費が親の家計を逼迫している国なんて、日本以外に見当たらないのです。ご存じでしたか?
【リサーチ】欧米各国の奨学金制度
3 アメリカ:あらゆる面で圧倒的な奨学金制度。
低所得者用の公的なペル奨学金、連邦政府が保証人となる民間のスタフォード奨学金、大学生と大学院生を対象とした補完的なパーキンス奨学金という3階建ての制度に加え、きめ細かな制度があり、総額、受給者数、保障の厚み、自由度の高さ、などあらゆる面で圧倒的。全ての意欲ある学生に対して「学習権」が均等に保障されています。
4 イギリス:「希望者全員に奨学金」を実現。
イギリスには伝統的に「教育とは本来無償のサービスである」という考え方が存在し、年間授業料は日本の1/10程度。経済的な理由により就学を断念させられることのないシステムの制度設計受給資格に収入制限がなく、原則として希望者全員が奨学金を受け取ることが可能です。しかも学費を完全にカバーするだけでなく生活費の大半もフォローするなど、経済的な理由で修学を断念させられることがないシステム設計となっています。
5 ドイツ:「必要な学生に必要な金額」を公が保証。
「教育の効果は国家・社会に還元する」という思想に基づき、公的な性格の強い制度です。法律によって一定基準を満たした者は自動的に奨学金の給付対象となるため、必要とする学生全員が、いま必要とする額を受け取ることができます。「教育が不十分な事による貧困階級の再生産」といった現象を緩和でき、大変フェアな制度です。もちろん、金額も受給者が生活していく上で十分な金額です。
6 フランス:家庭ごとのニーズにピンポイント対応。
まず国立大学の学費は原則無料なので給付金は生活費にあてられます。そして、「所得水準(5段階)×家庭内事情(17段階)」の組み合わせにより、なんと85パターンの給付額を設定。各家庭ごとの事情やニーズにきめ細かくピンポイントで対応でき、より国民本位な奨学金を給付できるようになっています。いまの日本の行政に必要なものは画一的な制度ではなく、国民一人ひとりに合わせた柔軟な政策対応ではないでしょうか。
【チェック】日本の奨学金制度の実情
7 英米の1/3。先進国中、最低の水準。
日本においては独立行政法人である「日本学生支援機構」が主体となって奨学金事業を行っています。2005年度の事業規模は7500億円ほど。単純比較ですがこれはアメリカの1/10程度です。また給付対象は高校生で全学生の約3.5%、大学生で約25%、その他の高等教育機関等を合わせた全体で約22.3%で、これは大学で見れば、アメリカ・イギリスの約1/3で、先進国中、間違いなく最低の水準にあります。
8 低所得層のチャンスを奪う格差社会の元凶。
大学の学生生活費(学費と生活費の合計)と奨学金の金額を比較すると、奨学金は学生生活費のわずか1/3程度です。生活費どころか学費すら満足にまかなうことができず、学生は在学中もアルバイトに明け暮れるか、もしくは進学そのものを諦めるしかありません。低所得層出身者の相当数が経済的理由のため、望む教育を受けることができず、半ば強制的に不利な立場のまま社会人にならざるを得ないという非常に由々しい問題が明らかになります。
9 「学習権」を奪う給付基準 。
日本の奨学金は給付基準が学業成績であるため、成績が優れた学生しか給付を受けられません。しかし、低所得層の学生は仕事をしながら勉学を行っている場合が多いので、勉強だけ行っている学生に比べると学業成績が劣る傾向にあっても不思議はなく、学力による給付対象の選考が、本来、奨学金を必要としている学生の就学機会を奪うという、矛盾をはらんだ現状が浮き彫りになります。これは「学習権」を保障した日本国憲法及びユネスコ憲章に違反する可能性もあります。
【まとめ】これが奨学金制度の「世界標準」
10 その1:学習権の保障。
諸外国において、できるだけ広範な学生に奨学金を付与することをめざしています。家庭の貧困なその影響をできるだけ排除し、学習意欲のあるすべての人に均等に教育機会が与えられるよう、生まれや能力に応じた区別を行わないようにしているともいえます。これは「学習権」という全ての人間に生まれながらに保障された当然の人権を各国が認識しているということです。さて、日本はどうだったでしょう?
11 その2:勉強に集中できる給付額の保証。
諸外国において、奨学金が学費分は確実にカバーし、学生の生活費まで保障する水準まで与えられています。ヨーロッパではもともと学費が非常に安価なことも含め、「学習権」を限りなく追及した成果だと言えるでしょう。アルバイトに明け暮れる日本の学生の姿を思い浮かべると、到底「学習に集中している」とは言えません。
12 その3:教育を国家の基幹目標とする。
諸外国において、全ての国が教育を国の根幹であると位置づけ、それに大変な力を注いでいます。ヨーロッパでは教育問題を語れない人間は政治家になることができないとまで言われています。それも「教育こそ国力の源泉だ」と見なす長期的な視点を持っているからこそでしょう。これまでの日本の政府にはこのような視点はあったでしょうか? 日本は質、量、規模、満足度、どれをとっても欧米諸国の足元にも及ばず、国際的に見て完全に立ち遅れています。
【すずかんの提言】4つの処方箋
13 処方箋1:奨学金の規模を大幅に拡大。
日本の奨学金の給付総額7500億円ほどでアメリカの1/10程度だということは上の書いた通り。そのことが不十分な給付金額や、厳しい選考基準を生む背景になっています。これを3兆円規模に拡大すれば希望者の9割に必要な金額の奨学金を給付できるという資産があります。そこまでが無理にしても、まずは1兆円規模をめざし、漸次拡大を図ることが大前提となります。
14 処方箋2:学力による選考基準の廃止。
奨学金の給付選考基準において学力を用いることは人権侵害の疑いすらあり、何をおいてもこれだけは早急に取りやめねばなりません。そして所得水準に応じた選考体制を確立することが必要です。学生の学習機会を奪う学業成績基準を改め、より公平な基準のもとに奨学金の給付を行うシステムの確立が望まれています。
15 処方箋3:教育制度の理念から見直す。
誰のために、何のために教育を行うのか、ということを明確にし、教育目標を再考する必要があります。例えば、教育費の負担を学生個人に負わせるオーストラリア型のシステムか、国家の繁栄という形で恩恵を受ける国自身が担うドイツ型のシステムか、それとも全く異なる発想のもと、そのいずれでもない受益者が負担するシステムを構築するかして、教育制度の理念をいま改めて構築し直す必要があります。