洋々youyouのブログ

アセンションをキーワードとした日々の気づきを綴るブログです。

2008年08月

ハイヤーセルフ

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「ハイヤーセルフ」という言葉があります。

文字通り訳すと、「高位の自分」(Higher Self)という意味です。


人は、いろいろな可能性を持って生まれてくる存在です。だんだんと成長するにつれて、それは植物の種子のように、その人の本質的な部分(=個性)となってしだいに開花します。

現実の人間は不完全なものです。すべてが完璧な人はいません。

しかも、大人になるにつれて、余計な「我」や「常識」や「固定観念」などの現実の垢がだんだんこびりついてきます。

しかし、どんなに齢を取っても、その人の本質的な部分は変わらない気がします。

それを言葉で何と呼べばよいのか分かりません。個性、良心、魂、本質、才能、波動、光…などさまざまな捉え方があると思います。

人は自分自身のことは意外と分からないものです。自分にどんな良さがあるのか、人と違ってどんな個性があるのが、どんなに素晴らしい輝きがあるのか。。。

ですが、生きているかぎり、すべての人はあらゆるメッセージを発し続けている存在だと感じます。それは、笑顔1つにもその人らしさが現れるし、文字1つにもその人らしさが現れるものだと思います。

ですから、たった一言のコトバ、たった1つの笑顔、たった一文字の中にも、その人らしさが現れるわけです。

たとえば、ブログは文字(および画像)が中心ですが、いろいろな人のブログを見ているうちに、それぞれその人独自の波長があることを感じるようになりました。

それは色彩であったり、音であったり、香りであったり、風のようなものであったり、文字ではなかなか表しにくい印象です。

ブログは「文字」という限定された記号を用いて情報を発信するものですので、その分だけ、その人自身の本質が純度高く現れているような気がしてなりません。

「ハイヤーセルフ」という存在もその1つです。

ハイヤーセルフとは、その人自身の上位の自我ということですから、その人が意識できる部分を含んだ、はるかに拡大した意識だと考えています。

それは、人格をもった存在とも少し違う気がします。

私が感じるのは、色、音、香り、風、輝きなど、いわゆる波長(波動)に近いものです。

それは人によってすべて異なります。

私が感じるハイヤーセルフのイメージは、人によっては天使のように純粋な波動であったり、女神さまのように慈愛に満ちた波動であったり、叡智に満ちた威厳ある存在のようであったり、科学者や音楽家のようにインスピレーションに満ちた存在であったり、人によってまさに千差万別なのです。

いろいろブログを拝見しているうちに、一人として同じ印象の人はいないことに気づきました。それは、人格というよりも、自然の様々な動植物、鉱物、大地、山、川、風などと同じように、自然のエネルギーがそのまま存在しているような印象なのです。

ですが、古来から世界中で、天使や龍や精霊の存在が伝説として残っているように、ある種の普遍的な波長というものが存在していることも強く感じます。

一番上の絵は、あるブロガーさんのハイヤーセルフの印象を線と色彩で表現したものです。

記事を読んで感じた印象をそのまま絵にしてみたものですが、下書きなしで油性ボールペンでスケッチし、あとから水彩で色をつけてみました。

第一印象は「色と光」でした。ちょうど朝日がさしこむような柔らかい金色の光です。その光のグラデーションの中、軽やかな音が響く感じもありました。音楽家であれば、それがインスピレーションになって、おそらく曲想のヒントになるのだと思います。さらに、香りも感じました。さわやかな花のような香りです。同時に、温かさと優しさ、無邪気さ、天真爛漫な波長も感じました。

あくまでも線と色という限定された記号を用いた情報ですので、完全に正確にお伝えするのは難しいのですが、私が感じた印象を絵画的に表現すると、上記のようなイメージ画のようになったのです。

出来上がってからよくよく見ると、古来から伝わっている「天使」(エンジェル)のイメージにとても近いことに気づきました。

ご本人の了解なしに描いたのですが、あとで確認したところ、どうやらご本人の風貌にも似ているようです。

自分で自分の顔を直接見ることが出来ないのと同じように、自分のハイヤーセルフはなかなか見えにくいと思います。

ほかにも、お気に入りブロガーさんのブログ記事から感じる印象を数点、イメージ画にしてみました。

以下は、姿や形などはなく、ほとんど色だけという感じなんですが、その奥に眠るように佇んでいる女神さまのようなお姿を感じます。娘のようでもあり、母のようでもあり、少女のようでもあり、子供のようでもあり、老成したようでもあり、無垢の赤ちゃんのようでもあり、繊細で多次元的な波動を持った方のイメージです。(クリックすると拡大できます)


光のイメージ











以下は、一番上のイメージと似ていますが、もう少し知的な印象のあるブログ記事にインスピレーションを得て描いたものです。こちらは、どちらかというとブルーの叡智という感じがします。



ブルーイメージ









いずれにしても、同じ人でも、日によって異なるイメージを感じます。それは、その人の個性だけでなく、住んでいる場所、周囲の自然、ファッションや持ち物などを含めたイメージのようです。逆に言えば、その人の周囲の環境すべてが、その人自身の存在の本質を表しているかのようにも思えます。

言い換えれば、そうしたイメージは、その人の周囲にある、刻々と変化する森羅万象のエネルギーを表しているのかもしれません。

おそらくそうしたものをすべて包含したもの全体が「ハイヤーセルフ」と呼ばれているものの正体ではないかと考えています。

ですから、私の感じるハイヤーセルフとは、人格ではありません。

その人の持つエネルギーや波長に加えて、その人が住んでいる風土、自然、持ち物、好きな動植物などのすべてのエネルギーの総体であると感じます。

人はおおいなる大自然の一部です。

「ハイヤーセルフ」という言葉をキーワードとして考えれば、すべての人にとって、自分が意識できる小さな部分だけを「自分」だと考える時代は、もうそろそろ卒業してもよいのではないか、という気がしました。

最後になりましたが、今回の作品画像の掲載を快く承諾していただいた楽天ブロガーの方々に心よりお礼申し上げます。


追伸:
いつもお越しいただきありがとうございます。身辺の多忙のため、当ブログの更新は9月上旬までとさせていただきます。次回の更新は未定ですが、9月の第一週はできるかぎり頻繁に記事をアップしたいと思います。

一人の人間としての力

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20代で会社を経営していたとき、ある雑誌のインタビューを受けたことがあります。

当時は、なんのコネも資金も持たず、ゼロから創業したベンチャーを経営していました。

既存の枠組みにとらわれないやり方を試していたので、内外から賛否両論があり、それなりに注目を集めていました。

そのインタビュー記者は、わざわざ自宅まできてくれました。

私よりも1回りほど年上と思われましたが、端正なマスクで、公家と野武士をあわせたような独特の雰囲気のあるフリーライターでした。

それまでもいくつかの雑誌の取材を受けたこともあったのですが、彼の質問はそれまでの記者の視点とはまったく異なるものでした。

一言でいうと、まったく妥協がないのです。

物腰柔らかい口調ながらも、本質的な部分にぐいぐい切り込んできて、まるで日本刀のような鋭い切れ味があったのです。

当時、私はまだまだ社会人1年生のヒヨッコのような若造でした。

ですが、ちょっとでもあいまいな答え方をすると、まるで真剣勝負を挑んでくる武道家のような迫力と鋭さで踏み込んできました。

いつしか、真剣に答えている自分に気づきました。

ビジネス社会では、めったにホンネで語れることはありません。そのホンネを一点の曇りもなく引き出すような、そんな質問を次々とぶつけてくれたのです。それは気持ちよいほどでした。

1時間以上にも及ぶインタビューが終わると、彼は別人のように柔和な表情に変わりました。その豹変ぶりも見事でした。

「私はいろいろな人物に会うのが好きでこの仕事を選んだんですよ」と笑っていました。

妙に印象に残るライターでした。

1年以上経った頃でしょうか、だいぶあとになって彼の正体が判明したのです。

名刺交換したときは「織田孝一」となっていたのでまったく気がつかなかったのですが、本名は織田信孝(おだのぶたか)氏。

Wikipediaにも載っている有名なフリーライターです。

織田孝一氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E5%AD%9D%E4%B8%80


あの戦国時代の覇者・織田信長の血を最も濃く受け継ぐ織田家の当主だったのです。

信長には23人の子供がいました。その信長の次男であった織田信雄の直系の子孫です。

あのスケートの織田信成選手よりも、はるかに織田家の血の濃い由緒ある当主です。

人づてで聞いた話ですが、ご本人は「織田信長の末裔」という肩書きで見られるのを嫌っていたそうです。ですから、インタビュー前に自分の素性を明かすことはしないのがポリシーだそうです。

私は、そこに人としての本来のあり方があると感じました。

肩書き、年齢、性別、バックなどを一切頼らず、人としての自分の力のみを信頼する。

名前も、単なる記号にすぎない。相手の姿や形にすらとらわれない。

どこまでも心眼で相手の本質をみすえてやろう!

フリーライターの織田孝一氏の姿からは、そんな気迫を感じたのです。

まさに現代の信長の姿を彷彿とします

私は年齢よりも若く見られるほうだったので、二十代の会社経営時代には、きっと高校生のように見られたと思います。

そして、ビジネスの現場で多くの海千山千の経営者とやりあっていくうち、2種類の経営者がいることに気づきました。

最初に気づいたのは、「若造のぶんざいで何をいうか」という、上から目線タイプの経営者や重役がとても多いことでした。比率としては、大体8〜9割でしょうか。下っ端ほど威張っている印象を受けました。

一方、私の姿や形にとらわれず、その本質を値ぶみするような、鋭くも温かいまなざしを感じる経営者も少なくありませんでした。

「眼力がある」といわれているやり手の経営者ほど、後者の傾向がありました。

そして、私がきちんと正論をぶつけると、それをしっかり受け止めてくださり、いったん両者の利害関係が一致すると、誰よりも心強い支援者となってくれました。

フリーライターの織田孝一氏も、後者の経営者に近いものを感じました。

いつも思うのですが、「社長」という肩書きだけでは社長になれません。

例えば、絵画作品は作品が命です。その作者やタイトルなどは二次的なものです。

ところが、子供が描いたような稚拙な絵でも、「ピカソ」(Picasso)というサインがキャンパスの片隅に入っているだけで、ガラリと評価が違ってしまうのです。

ピカソのサインがあれば、目の色を変えて数百億の金が飛び交い、世界中から奪い合うように作品を買い求める人がたくさんやってきます。

「サイン1つに100億」…私はいつもそう冗談を言いながら、上野の美術展などに行くと、家内や子供にはなるべく「画家名」や「タイトル」を見ないで作品を鑑賞するようにいいます。

8歳の長男が描いた絵の中には、明らかにピカソの二流版画よりも上と思われる絵が何枚もあります。

ですが、「これを1億で買ってください。小学生の子どもの作品ですが、ピカソの版画よりもだいぶお買い得でし♪」とどこかに売り込んでも、きっと誰も見向きもしないと思います。

同様に、世の中の多くの経営者は、「社長さん」という「肩書き」や「ラベル」や「会社の大きさ」や「知名度」などに頼る傾向がまだまだ多いのでははないかと思います。

そういう意味で、こうしたブログの匿名性は、とても大事だと思います。

匿名だからこそ、内容だけで勝負できるわけです。

「あの人」が書いたから信用するのではない…その「内容」に見るべきものがあると思ったときだけ読んでいただければよい。

そして、私という書き手のことなど忘れて、少しでも当ブログの内容を役に立ててもらえればありがたい。

そう思いつつ書いてきた私のブログの役割もあとわずかです。

正直、信長の末裔としての「織田信孝」という記号には、あまり魅力を感じませんでした。

ですが、一人の人間力だけで真摯に対峙してくれた「織田孝一」氏の姿は、今なお私の目に鮮やかに焼きついています。

一点の曇りもなく自分自身で在りつづけること、織田氏からはそう教えられた気がしました。


追伸:
一番上の写真は、信長に最も似ていると織田家に伝来する写実肖像画です。原本を明治時代に写真撮影して、宮内庁などに納められたそうです。当時の宣教師の画家ジョバンニ・ニコラオ[イエズス会画派]による1583年〜90年の作品とされています。

ちなみに信長は身長170cm前後、推定体重55kg-60kg、痩せ型で色白、500m先まで声がよく通り、血液型はA型。

いつもお越しいただきありがとうございます。次回の記事は来週アップします。

才能の本質

先週の記事の後日談です。

楽天ブロガーにKISAさんという素晴らしいアーチストがいます。

創造の源泉☆湧きあがるままに
http://plaza.rakuten.co.jp/spacetera/diary/200808100000/

まずはKISAさんのパステル作品を3点紹介させていただきます。


恋心作品1「恋心」








叡智作品2「叡智」









慈愛作品3「慈愛」





上記3点は、私がそれぞれ「恋心」「叡智」「慈愛」と勝手にタイトルを付けさせていただきました。

以下、KISAさんの記事の抜粋です。


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(1枚目)
わくわくがとまらない ハイな状態
この作品は「無条件の愛」・・・朝目覚めたときに、ハートがこんなパワーで膨れ上がっていました。

(2枚目)
そこを超えていくと
とても静謐で ピュアな核にいきつくようです。
これは「内なる光」・・・天と地、陰と陽を統合した 
あらゆる感情の渦を越えた 愛と喜びだけの静かな世界
救いを求めて、ひたすら祈り続けていた時に生まれた絵です。

(3枚目)
この時期 この地球に生まれてきた私たちは
内なる神・真我を実現し 調和のとれた世界を創造していくことが 本懐なのでしょうから。
作品のテーマは「やすらぎ」。。。。。
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「シンクロ」というコトバがあります。

どれも素晴らしい作品ですが、特に2枚目が先週の私の記事とシンクロしています。

以下、先週の私の記事です。


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あえて視覚的なイメージでいえば、中央にとてつもなく壊れやすい繊細な少年少女のような澄み切った愛おしい意識があって、それを中心に四方八方に放射状に輝く強いエネルギーが取り囲んでいるような状態です。

形としては、太陽の周囲に光が輝くさまに似ているかもしれません。周囲の輝きには、熱のようなものはなく、涼やかな香りと色彩があふれています。
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KISAさんの2枚目の作品は、まさしく上記の私の描きたかったイメージをそのまま絵にしてくださったかのようです。

こういうシンクロを見ると、ヒトというのはどこか心の深いところでしっかりつながっている、ということをつくづく実感します。

同記事の前半には、KISAさんが即興で描いた絵葉書の連作があります。

これも私の墨絵の100連作とシンクロしているような気がしました。

体を動かし手を使う喜び
http://plaza.rakuten.co.jp/ascensionyoy/diary/200805080000/

ところで、上記の3枚の作品は、意識変容の3段階(恋心⇒叡智⇒慈愛)を実にうまく表現されていると思いました。

心身の浄化を進めていくと、あるレベルに達するとネガティブな気分がなくなり、「ハイな意識」すなわち恋する感覚に近いような状態になります。

これが意識変容の第一段階です。上記の1枚目の作品に相当します。

この段階を進めていくと、しだいに祈りにも似た集中状態を経て、森羅万象についての「叡智」が生まれてきます。圧倒的な創造エネルギーの発露があるのもこの段階です。上記の2枚目の作品に相当する段階です。

3番目の段階は、万物に対する「慈愛」です。上の3番目の作品に相当します。この作品からは、聖母マリア様や観音様のような深い慈愛を感じるのは私だけではないと思います。

すべての人は、「意識変容の3段階(恋心⇒叡智⇒慈愛)」のプロセスを繰り返し経ながら、しだいに高い次元へと移行するプロセスにあるのだと思います。

ここで大事なことは、この3つの段階(恋心⇒叡智⇒慈愛)は、どれが高いとか低いとか、比較できるものではないということです。

それらはちょうど光の周波数のように、境目なく広がっているように感じます。つまり、低い周波数が「恋心」だとすれば、高い周波数が「慈愛」であり、それらは連続的につながっているのです。

アセンションプロセスとは、これらすべての周波数をバランスよく備えることだと思います。

「叡智」だけ突出していてもバランスが悪いし、「恋するハイテンション」だけでも不十分です。

すべての周波数をバランスよく備えるようになれば、周波数の厚みが出て、虹色に近い光、すなわち白色光線になります。

穏やかな優しい白色光線は、ヒトが最も癒される光の色です。この色は「慈愛」すら超えた普遍的な「愛」の色であると感じます。

こうして考えると、このようなバランスのとれた周波数の色に近づくことが、アセンションプロセスの最終目標なのではないかとすら思えてきます。

実を言うと、私が考える才能の本質とは白色の光に近い「万物に対する愛」なのです。

俗なコトバで言えば「好きであるということ=才能があること」という感じです。

たとえば、絵の才能の本質は、「描くことが好き」です。技術とかは二次的なものです。絵にかぎらず、何か好きなことであれば、それらはすべて才能の片鱗なのです。

本来、絵画とは、カタチのある視覚的表現を通して、目に見えないものを表現するものだと思います。

KISAさんのことは、単なるアーティストを超えた「愛ティスト」さんという感じがします。

KISAさんの作品はどれも非常に美しいのですが、それもただ表面的に美しいだけでなく、どれも深い「心」がしっかり入った作品だと感じます。

鎌倉時代の仏像の彫り師を彷彿とさせる、最近ではあまり見かけないタイプのアーティストさんです。

KISAさんの作品群から感じるのは「万物への愛」…こうした根源的な感覚を呼び起こしてくれるのです。


       ☆          ☆         ☆


【追記】
本記事のアップ直後、またシンクロがありました。

KISAさんの最新記事
http://plaza.rakuten.co.jp/spacetera/diary/200808160000/#comment

上記の記事に掲載されている一番上の作品「文殊菩薩」は、本記事でも解説している「白色のオーラ」を表現しているそうです。

また、私が感じた鎌倉時代の仏像の彫り師の姿は、以前、別の方にKISAさんの前世の1つだといわれたことがあるそうです。

私は個人的にKISAさんとお会いしたこともなければ、どんな方かも存じなかったのですが、こういうシンクロがあるというのは本当に不思議に感じます。


       ☆          ☆         ☆


【追伸】
今回の3点の画像の転載をご快諾くださったKISAさんに心より御礼申し上げます。

いつも当ブログへお越しいただきありがとうございます。次回の記事は来週の更新となります。

自己凝視

2e8ac3fc.JPG今週最後の記事です。

ここ数ヶ月、自己凝視をしていて気づいたことがあります。


以下の3点です。

1)「何もしないでよい」ありのままの状態を思い出したこと
2)表面的な意識と深層心理的な意識があること
3)繊細な高次元の意識の周囲に力強いエネルギーが取り巻いていること

自己凝視を突き詰めれば、いわゆる自分の心に素直・正直になります。

ですが、この「素直・正直」というのが本当に難しいのです。

意外に、自分の「正直(=本心)」というのはなかなか自分では分かりません。

人には、表面的な意識と深層心理のような意識があるからです。

通常、意識できるのは表面的な意識だけです。深層心理的な意識は、自分では意識できません。

ですから、「なんとなく違和感がある」といった、ごくごく繊細な感覚を大切にしなければなりません。

そうした繊細な感覚を大切にして、しだいに見えてきたものは、自己の中心に内在する澄み切った意識でした。

その意識の形は、私にとってはとても意外なものばかりでした。

あえて視覚的なイメージでいえば、中央にとてつもなく壊れやすい繊細な少年少女のような澄み切った愛おしい意識があって、それを中心に四方八方に放射状に輝く強いエネルギーが取り囲んでいるような状態です。

形としては、太陽の周囲に光が輝くさまに似ているかもしれません。周囲の輝きには、熱のようなものはなく、涼やかな香りと色彩があふれています(上の図を参照)。

中央の部分が高次の意識のような感じがします。それは、とても繊細で弱弱しいもので、透明感があるものです。守ってあげないと、すぐに失われてしまうような愛おしい感じがします。この荒々しい三次元世界では、とても生きていけないようなデリケートな意識なのです。

ところが、その周囲には、圧倒的な輝きがある力強いエネルギーが取り巻いているのです。中央の微細な意識を慈しみつつ守るような、まるでボディガードのような感じです。

その両者がセットになったのが、今の自分の意識です。

中央の意識は、何かを肯定するものでもなく、否定するものでもなく、ポジティブでもなく、ネガティブでもなく、あるいはどちらでもない中途半端な状態でもなく、愛おしさの結晶のような静謐で不思議なエネルギーに満ちた宝石のような意識です。たとえていえば、透明な水晶に似ているかもしれません。

その意識に焦点を当てると、いろいろな行動のエネルギーがわいてきます。

私の場合、現実社会にしっかりと根をおろしながら、新しい高次元的な世の中を模索したいという気持ちになるのです。

私はどちらかというとボランティアとか人助けが苦手です。

親切や善行を施して人から「ありがとうございます」と感謝されたり、「あなたの行為は素晴らしい」などと褒められるのが、表面的には嬉しい気持ちがある反面、心の深いところではどうも居心地が悪いのです。

むしろ、人から感謝されたり、誰にも褒められたりしない状態で、こっそり人の役に立つことのほうがずっと気が楽です。(もちろん、人から非難されたり、罵倒されるのが好きなわけでもありませんが…)

その理由はこれまで自分でもよく分かりませんでした。

「自己凝視」によって、それが明らかになりました。

それは、真の叡智とは、孤独の中でしか生まれてこないということです。

叡智とは、他者との関わりで生まれてくるものではないと思うのです。

他者との関わりとは、叡智を表現する場であって、どちらかというと、それは叡智の実践・検証の場でもあります。

叡智の根源は、本当の自分自身に立ち返ったところにあります。それには一種の孤独な状態が必要です。

ここでいう「孤独」とは、いわゆる「孤独感」ではありません。一人でいても、満ち足りた至福の状態を伴うからです。私の場合、しいていえば、何か好きなことに没頭・集中している状態に一番近いかもしれません。ですから、周囲にたくさん人がいても、家族と過ごしていても、そこにはある種の孤独が存在します。

「孤独」という表現が適切でなければ、「個」という意識なのかもしれません。あるいは「一人の時間」と言い換えてもよいかもしれません。

自己の内面に深く没入し、キラキラ輝く叡智を現実世界に持って帰る。そして、それを現実世界で実践・検証したあとに、再び自己の内面にフィードバックする。

こうしたことの繰り返しなのです。

だとすれば、私にとっては、人助けやボランティアなどは存在しません。

すべての人にとって、自分を救うのは自分自身だからです。人から何かを与えられるのではなく、外界の物事との触れ合いを通して、「自らを助ける」というのが本当だと思います。

ですから、前の記事のようなプロジェクトも、「世の中を救おう」とか「人様の役に立ちたい」とか「善行をしよう」とか「人に感謝・賞賛されたい」といった意識とはまったく無縁のところから生まれてきます。

「自分ができることをする」「自分がしたいことをする」「自分らしくあろうとする」…ただそれだけです。

そこには使命感もなければ、悲壮感も責任感も一切ありません。ただただ自分らしくありたいと思う心だけから発しているものです。

ひょっとしたら、来年には彗星が地球に衝突して、この三次元的な地球に人類は住めなくなるかもしれません。

そうして、今進めているプロジェクトがすべてムダになってしまう可能性もあります。

それならそれでいいと思います。

たとえ明日、彗星が衝突して三次元的な地球が滅ぶことがわかっていても、親子三人で嬉嬉として今日のドングリを拾う時間を楽しみたいと思います。

今の時代、こういう希望が大切なのだと思います。

その日を自分らしく、100%生き切ること…。

どうやら、それが自分の奥深いところにある心、すなわち水晶のような部分を深く満足させるようなのです。

その部分を何と呼べばよいのか、いまだによくわかりません。心の核のような部分でもあり、喜怒哀楽のような感情を超えた普遍的な存在のようでもあります。そして、それはこの宇宙の万物につながっている感じがします。

1)心の中心に水晶のような澄み切った部分があり、
2)少し離れたその周囲に力強い創造のエネルギーがあり、
3)それを三次元に表現する健康な肉体がある。

この三者が一体になったものが自分自身です。

1)〜3)のどれかが一番大切というわけではありません。そのどれにもとらわれない自分がいるからです。

自分はどの一部分でもないけれども、全体として何かが満ち足りている…そんな矛盾した表現がぴったりです。

自己凝視の旅はまだまだ続きます。


追伸:
いつも当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。次回は来週末以降の更新となります。

プロジェクトX

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以下、現在進めている多くのプロジェクトの1つです。

本邦初公開です。


■ドングリパン・フランチャイズ(モニター)参加募集!

職種:ドングリパンをはじめとする各種食材の採取・製造・販売。
勤務地:木の実・雑穀・山野草・果実等が自生する郊外(希望地を選択)
応募条件:自然の中を歩くのが好きな健康な男女(未婚・既婚問わず)
勤務時間:自由(日の出から日没まで4時間〜7時間程度。夜間はなし)
待遇:土地付き一戸建て支給(無料貸与)、各種食材と天然水支給(無料)
収入:自由設計(勤務時間による:目安としては1日1万円〜3万円程度)
月収の目安:最低15万円〜最大60万円程度(税込み)
フランチャイズ契約:勤務規定等の強制は一切なし。本人の自立と選択を最優先。
フランチャイズ参加費:資本金不要(交通費、コピー費、通信費等の実費のみ)

仕事の内容:1)2)は必須。3)〜5)は希望に応じて行う
1)日本各地に自生する木の実・雑穀・山野草・果実等の人手による採取・納入(事前に許可を得た山林および畑地、野原、国有地等から手作業で採取する)
2)100%太陽光発電の自給自足型エコ化システムハウスのモニター(既存ハウスメーカー提供)
3)採取した食材および製造した食品の現地販売(当フランチャイズでも買取保証)
4)木の実・雑穀・山野草・果実等の自生状況の調査データの収集
5)ドングリレシピを含む各種レシピの開発(任意)

本フランチャイズの活動:
1)衣食住の完全保証(必要に応じて生活備品を無料支給)
2)ドングリレシピを含む各種ノウハウの提供
3)フランチャイズ参加者の活動支援(ドングリ採取の事前許可等)
4)原材料の安全性に関する評価
5)採取した食材、および製造したドングリメニュー等の買い取り
6)100%自給自足型エコ化システムハウスのモニター情報の分析
7)同システムハウスの開発・販売
8)フランチャイズ基金の設立・運営

本フランチャイズの特徴:
・日本各地に自生する木の実・雑穀・山野草・果実等の人手採取による原価ゼロシステム
・太陽光発電エコハウスによる電気の100%自給自足システム
・土地・建物を無料貸与(モニター希望者のみ。所有権は別途購入可能)
・支給される土地の広さは平均60坪(30坪タイプ〜120坪タイプ)
・木炭を利用した調理・暖房システム(ガスや石油を使わない)
・連絡には0円のモバイルPCを利用
・井戸と雨水を利用した生活用水の確保
・貨幣交換の極小化(節税&GNPゼロ化運動の推進)

参考データ:
・1kgの牛肉を生産するには穀物10kg以上が必要。
・米は単位面積あたりの収穫率が他の穀物より高いが、ドングリは米の数十倍の収穫率を誇る(単位面積あたり)。
・田んぼは、初夏〜秋までしか自然生態系を維持せず、水田に住む生き物は限定されるが、ドングリは1年中通して様々な生態系を維持し、非常に多くの生き物を養う。
・単位面積当たりで比べると、ドングリの木が吸収するCO2および生産する酸素は、水田の数百倍〜数千倍。
・パン食の原料の一割を国産どんぐり粉に切り替えるだけで、日本の食料自給率は大幅に改善する。
・国内に自生するドングリ、木の実、雑穀や果実は栄養価が高く、安全性も高い。ただし、大気汚染や周囲で散布した農薬などの影響による安全性の評価が必要(現在調査中)。
・ドングリが食材として使われていない最大の理由は、コクゾウムシ等の幼虫が内部に生息していることが多く、メーカー側で食材としての管理が難しいとされるため。

本フランチャイズの基本理念:
日本の風土は、本来、1億2千万人を養って余りあるほどに豊かな食材の宝庫であり、田畑のように自然を作りかえる労働をしなくても、自生する農作物だけで国内で100%自給自足可能であるという理論に基づく(具体的な裏付け調査は実施中)。それにより、自然破壊ゼロ、労働時間の極小化、貨幣経済の不要化が実現され、GNPが限りなくゼロに近くなり、地方分散型の個人ベースの自給自足経済が可能となる。

当然、税収も減るが、現在のような巨大な政府(国家公務員制度)が不要となり、最小限のテクノロジーおよびインフラをベースとすることにより、貨幣経済を脱却した自然との共生文明の実現を加速化できる。

また、ドングリ食は自然を一切破壊しない。田んぼのような膨大な労働コストも必要とせず、CO2排出はゼロ。さらに、地方の過疎化に伴う膨大な休耕田(山林・畑)の再利用も視野に入れることができる。

フランチャイズ参加者は、資本金不要、衣食住が完全に保証され、生活の心配がない。自立と選択を基本とする労働により、必要なだけの収入が得られる。

また、当フランチャイズはノウハウ(コピー実費)および土地建物の提供であり、あらゆる団体と無関係であり、組織化(株式会社など)は一切しない。したがって、営業・宣伝などの運営コストもほとんどかからない。

支給する土地建物は、太陽光発電・井戸(雨水)・木炭(調理・暖房)などを基本とする次世代の100%自給自足型エコ化システムハウスのモニターを兼ねている。

このエコ化システムハウス施工費や土地取得費などは、既存の建売ハウスメーカーが負担(現在すでに開発中)。したがってモニター参加者はこれらの土地建物を無料で利用できる。

フランチャイズ参加者に求められる唯一の条件は、健康で、戸外の自然の中を歩くことが好きであること。

フランチャイズ参加者に要求される作業は、事前に許可を得た山林、畑地、野原、国有地等から手作業で木の実・雑穀・山野草・果実等を人手で採取すること。基本的にノルマはない。また、フランチャイズ参加者が採取した食材は、本フランチャイズが100%買取保証する。フランチャイズ参加者がドングリパン等を製造・販売して得た収入は基本的に使途自由。

フランチャイズ参加者は、寄付や売上金の一部の上納などを一切要求されることはない。ただし、希望者には、世界各地の発展途上国への直接支援、他のフランチャイズ・プロジェクト支援などの活動を紹介。

本フランチャイズの最終目標は、あらゆる組織や団体、政府、教義、貨幣に依存せず、かけがえのない自然および国土を一切破壊せず、個人ベースの自給自足経済を生み出すこと。それにより、石油エネルギーや貨幣経済に頼らない日本固有の新しい文明圏を創出することである。

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まだ草案の段階なので、内容が十分に整理されておらず、読みにくいかと思いますが、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。

現在、執筆業のかたわら、人脈、金脈、情報脈をフル活用して、上記プロジェクトの実現可能性を探っています。

ドングリメニューも、すでに30種類以上が完成済みです。

もちろん、ドングリだけでなく、日本に自生するさまざまな木の実、雑穀、果実、野草の活用も視野に入れています。

幸い、親友の一人が建売ハウスの専門メーカーの二代目社長であり、格安の自給自足型エコハウスの開発に乗り気です。建坪20坪くらいの一軒家(平屋)が200万円未満で出来ないか個人的に研究してくれています。

予定としては、今年の秋のドングリ収穫時期に開始し、できれば来年から本格的に実施したいと思います。

モニター候補地として、関東近辺の超格安物件(坪単価4万円未満)をいろいろ見て回っています。

次世代の「100%自給自足型エコ化システムハウス」の完成が当面の目標です。

以下の4種類を用意しています。

30坪タイプ(独身者向け)
60坪タイプ(夫婦向け)
90坪タイプ(夫婦+子供向け)
120坪タイプ(二世帯向け)

所有権を持たなければ無料で貸与し(最小限の維持費のみ)、購入したい場合には超格安で販売します。

「30坪の敷地+建物」エコハウスセットの販売価格は300万円(土地所有権含む)を予定しています。

金利にもよりますが、ローンなら毎月5万円で7年程度で完済します。学生やニートさんでも手軽に購入できるのではないかと思います。さらに、採取したドングリ等の納入でローンの支払いを代用出来ないか、法律上の問題を検討しています。この問題がクリアできれば、貨幣を一切使用しない新経済システムを構築できます。

また、このエコハウスセットは、生活のための必要最小限の構成ですので、DIY感覚で手作りの自分の好みの家に完成させていく楽しみもあります(シックハウスの原因になる塗装や化学処理もゼロ)。

このプロジェクトは、現在進めている多くのプロジェクトの1つにすぎません。

上記フランチャイズが完成したら、プロジェクトの所有権をすべて第三者に譲渡する予定です。(「国境なき医師団」のような中立的な福祉団体を予定しています)

ですから、上記プロジェクトが広く世の中に出回る頃には、私は次のプロジェクトに移行しているので、一切私の個人名が表に出ることはありません。

今の時期、こうしたプロジェクトを手がける理由については、次回の記事でまとめて書きたいと思います。

最近、ますます時間が足りなくなってきています。来月にはブログからも完全に離れて、各種プロジェクトに専念する予定です。

ですから、当ブログで皆様とお会いできる機会も、残りわずかになってきました。

1分1秒を名残惜しみつつ、もうしばらくおつきあい頂ければ幸いです。


追伸:
当記事は、フランチャイズモニター参加を募集するものではありません。今年初のモニターは、20〜30代の独身ニートさん数名にお願いする予定です。

上記は私の100%オリジナルアイデアですが、このブログの内容にもとづく新規参入、アイデアの借用、その他類似する行為の一切を容認いたします。地球温暖化の緩和に少しでも役立てて頂ければ本望です。

大企業のスポンサー、銀行融資、各種団体や宗教法人との提携など、その他の資本参加に類する一切の提携はご遠慮させて頂いております。本プロジェクトは、既存の組織や建物や資本に一切依存しない、100%個人ベースの活動を目指しています。

当プロジェクトに関するご感想・お問い合わせはコメント欄にお願いいたします。お時間の許すかぎり、回答させていただきたいと思います。

アセンションプロセスとは

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前回の記事の続きです。

現時点で私が考えている個人のアセンションプロセスとは、次のようなものです。


1)心身の浄化
2)自己凝視
3)創造性の発露
4)社会的な表現
5)個人の自己実現


1)2)3)は同時に進行するものですが、4)と5)は人によってすべて異なります。

4)と5)の内容を書いてしまうと、人さまの「自立と選択」を限定するおそれがあります。

ですから、前回の記事では、あえて4と5)の中身を書きませんでした。

4と5)のポイントは以下の通りです。

A. 外部のものから離れ、1)〜3)で「自分の感覚」をしっかりと手に入れる。
B. 自分の感覚を確かめるために、4)と5)で外部の世界と触れ合う。
C. 4)と5)で「経験」したことに基づき、再び1)〜3)に立ち還る。

私の考えるアセンションプロセスとは、A〜C の繰り返しです。

また、4)と5)は、あくまでも1)〜3)をベースにしています。

したがって、最初に1)〜3)によって、「自立と選択」をしっかりマスターすることが大切だと思います。

一般に、「自立と選択」は、「自由」と誤解されやすいと思います。

「自由」を求める心は、皮肉なことに「囚われ」の一種です。

本当の意味での「自立と選択」は、表面的な「自由」ではありません。

「喜んで不自由な環境でも許容できる」というほどの自立心です。

ですから、他人が見れば不自由な環境にありながらも、「自立と選択」がきちんと出来ている人はたくさんいます。

逆に、一見すると「自由人」のようでいて、心が何かに囚われている人もたくさん見かけます。

そういう意味で、「自立と選択」というコトバに囚われないことが大事だと思います。

ここで大事な点があります。

4)および5)の内容は、人によってすべて異なります。また、4)と5)の順序もそれほど厳密なものでありません。

以下のような感じです。

経営者であれば、会社を経営すること
サラリーマンであれば、サラリーマンを全うすること
画家であれば、絵画作品を創作すること
主婦であれば、主婦業に従事すること
科学者であれば、研究活動を行うこと
教師であれば、生徒を教え導くこと
音楽家であれば、演奏したり楽曲を生み出すこと
学生であれば、学生生活を充実させること


こうした日常の活動を通して、1)〜3)でとらえた感覚を、4)および5)で表現していくのが私の考えるアセンションプロセスです。

ですから、4)と5)のバリエーションは無限にあると思います。

したがって、このブログで4)と5)という分類をご紹介しても、個人差が大きすぎて、ほとんど意味がない感じがしてしまいます。

ですが、私の場合の4)と5)の具体例をご紹介することはできます。

現在という時代は、おそらくすべての人が1)〜5)のプロセスを通して、地球全体のアセンションに向けた準備をしている真っ最中なのだと思います。

私自身、その準備の一環として、次の世代に向けたいくつかのプロジェクトに着手しています。

次回の記事では、読者の方々の何かのご参考になることを願って、現在手がけているプロジェクトの一端をご紹介したいと思っています。


追伸:
当ブログにお越しいただきありがとうございます。今週の土日は多忙のため記事をアップできそうもありません。そこで、できれば明日中にもう1本、記事をアップしたいと思います。

もし明日中にアップできない場合、続きは来週末にアップいたします。

自立と選択

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以前のブログで「周囲のすべてがアセンション教科書」と書きました。

その書物は至るところにあります。

それを手にとって読むかどうかはその人の選択しだいだと思います。それは本気で読もうと決心した人の目の前に意外な形で現れます。

現時点で私が考えている個人のアセンションプロセスとは、以下のようなものです。

1)心身の浄化
2)自己凝視
3)創造性の発露

1)2)3)は同時に進行するものです。おおまかな順序として、1)⇒2)⇒3)へと進んでいくのだと思います。

1)については、楽天ブログで詳しく書きました。

2)については、主にこのブログで綴っているテーマです。自己凝視によって、自分自身の本質を偽りなく見つめることができます。

3)については、まだこのブログではほとんど扱っていません。1つだけ申し上げれば、創造の本質は「破壊と創造」だと思います。特に「既存のシステムの破壊」…これこそが、弥勒の世の建設のキーワードだと考えています。

実は、このあとに4)と5)のプロセスがあります。特に大事なのは、これらのプロセスだと考えています。個人的には、これらのプロセスをクリアすれば、個人のアセンションのための準備がほぼ完了すると考えています。これらについても、折を見て当ブログでご紹介したいと思います。

ところで、アセンションプロセスのキーワードとして、「自立と選択」があります。

私が考える「自立」とは、自己の本質に目覚めるということです。それは、外部の物事に依存せず、自己の本質に合うものを選択し、そうでないものを手放すという繰り返しの作業です。そして、それは1分1秒ごとに行うものです。

例えば、私は携帯電話を一度も持ったことはありません。今後も永久に使うつもりはありません。これも「不要なものを選択しない」という選択の1つだと思います。

私の考える「自立」とは、自分にとって真に必要なものだけを残し、不要なものをすべて手放すことです。

本来、この世界には「不要なもの」は存在しないと思いますが、個人の人生は「選択」の連続です。何かを選択した瞬間から、「必要」と「不必要」の区別が可能になってくるのです。

ですから、「自立」と「選択」は、かならずセットで考える必要があります。

今の私にとって一番大事な仕事は、次々と舞い込んでくる仕事の多くを断ることです。

「手放す」(=断る)というのは、きわめて重要な選択の1つだと思います。

以前の私は、来た仕事を全部引き受けてしまい、自分のキャパシティを超えても、なかなか上手に仕事を断ることができませんでした。ですが、自分が納得のいく仕事をするには、必要な仕事を選択し、そうでない仕事を断る(=手放す)必要があることに気づいたのです。

こうして日常からどんどん不要なものを手放すと、しだいに本当の自分自身が見えてくるようになります。それが「自立と選択」の入り口に立ったということです。

ただし、ここに大きな落とし穴があります。

「自立と選択は良いことだ」という考えに囚われているうちは、「自立」も「選択」も、なかなか手に入れることはできないのです。それは、「自立と選択」という執着を持ったままになっているからです。

物理的な持ち物と同様に、心が何かに囚われたままだと、新しい意識を持つことはできません。

以前の私がそうだったように、現代人は、もうこれ以上持ちきれないという限界まで、いろいろなものを心の中に握りしめていると思います。

「来た仕事を断れない」という意識もそうだし、「もっともっとがんばろう」という意識もそうです。それらはすべて囚われの一種だと思います。

本当の意味での「自立と選択」は、「自立と選択」という意識自体すら、少しずつ手放すところから始まると思います。

あえて感覚的なコトバで表現すれば、数ヶ月前の私の「心の体重」は300kg超でした。現時点ではいろいろなものを手放した結果、心の体重は50kgくらいまで軽やかになっている感じがします。ただし、身体のダイエットと同様に、「心のリバウンド」にもつねに注意が必要です。

ですから、「自立と選択」をマスターするには、毎日の欠かせないトレーニングが必要となってきます。日常で起きてくるあらゆる物事を楽しみながら、心の奥の声に素直に耳を傾け続けるのです。

そうすると、しだいに日ごろの自分の行動が本物の「自立と選択」に変化してきます。つまり、自分の本質に合わないこと(=自分の心にウソをつくこと)は、したくても出来ない体質に変わってきます。

そのうち、物事が自分の思い通りにならなくても、結果にこだわらず、「次にどうしよう?」と自分の頭で考える習慣が身に付くようになります。

すると、他人や書物など何かに依存せずとも、本当に自分がすべき事が自然にひらめくようになります。たとえ問題が起きても、うまくいく方法を自分で見つけることができるようになるわけです。ですから、本当の意味での「自立と選択」が実践できるわけです。

そうなると、日常において「分かった!」という瞬間を1日に何十回も味わえるようになります。表面的な頭で判断することをやめて、目の前の物事に深く深く集中するのがキーポイントです。

私の感覚でとらえた本当の意味での「自立と選択」とは、祈りにも似た深い集中と没頭の結果として得られる、「分かった!」の繰り返しです。そして、その後に来るのが上記3)の「創造性の発露」なのです。

「創造性の発露」とは、具体的には好奇心、探究心、創意工夫、新しいアイデア、表現したい欲求、芸術やスポーツや武道への興味、人間に対する洞察など、ありとあらゆる形で現れてくるエネルギーです。つまり、現実世界で活動するための根本的なエネルギーが増大することを意味します。

武道には、「心技体」というコトバがありますが、私の考えるアセンションプロセスの順序は「体⇒心⇒技」です。

「体」とは、1)の心身の浄化です。心身ともに余計なものをそぎ落とすことです。

「心」とは、2)の自己凝視です。自分の心に正直かつ素直に向き合うことです。

「技」とは、3)の創造性の発露です。現実世界での叡智や行動力に結びつくものです。

現代人は、よく「何をしたいのかわからない」と言います。「将来何をすればいいか」「自分はどんな仕事に向いているのか」「自分はどんな人間なのか」「どう行動すれば正しいのだろう」と悩む人もいます。あるいは、「アセンションプロセスはどれが本物か」と迷っている人もいます。

それらの問いに対する答えは、頭の中だけで考えたり、人や外部に教えを求めたり、書物やブログを読んだり、答えを探す旅に出ているうちは、永遠に見つかりません。むしろ、日常の目の前の物事に集中しているうちに見えてくるものです。

すべての答えは、毎瞬毎瞬の行動の中で「わかった!」という気づきの積み重ねの中にあります。分かる内容は、人によって異なります。なぜなら、求めているもの(=問い)が人それぞれ異なるからです。具体的な問いを持つ人には、具体的な答えが与えられやすくなると思います。

いずれにせよ、すべき事はただ1つです。日常の仕事や家事や人間関係を大切にし、その中で自分の心を丁寧に凝視しつづけることだけです。単なる「観察」より、さらに集中度の高い「凝視」を心がけることです。

心の眼が寄り眼になるくらい、瞬間瞬間に集中して、自分の心を凝視してみてください。そうすれば、周囲の物事が自分の心の中にクリアに映し出されて、物事の本質が鮮やかに見えてくるようになります。そして、次の瞬間、現れてくるのは「創造性の発露」です。

それこそが、一人ひとりすべて異なるマンツーマン方式のアセンションプロセスだと思います。


追伸1:
いつも当ブログにお越しいただきありがとうございます。次回は来週もしくは再来週のアップになります。現在、非常に多忙な日々で、当ブログをアップする時間も限られてきています。次の記事では、現在進行中の多数のプロジェクトの一端をご紹介したいと思います。

追伸2:
一番上の写真は、有機無農薬玄米で試作してみた自家製玄米ワイン(発泡酒)です。これは一夜酒(ひとよざけ)と呼ばれ、わずか2日で出来る江戸時代の知恵です。華やかな香りで甘酒なみの低アルコール飲料です。子供でも飲めます。よく冷やして飲めば、ビールよりも数段美味しいです。

光と影

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油彩を始めたのは大学時代です。

特に好きなのは、光と影が対比するモチーフ(題材)を丹念に描くことです。


好きな画家はフェルメール、レンブラントなどのオランダ絵画です。フランスバルビゾン派のコローやクールベも好きです。

最近のお気に入りのモチーフは、カーテンや窓です。どちらも、光と影を室内に取り込むものだからです。

上の写真は、油彩で描いた大作の一部です。このカーテンの横には、漆黒の髪の美形モデルさんがいます。

写真ではなかなか鮮明に出なくて分かりにくいと思いますが、カーテン部分には、非常に多くの色彩を使っています。

ごくわずかの光の粒子を少しずつ置いていくような感覚でした。

このときに描いたカーテンは、光と影がキラキラと遊んでいるようで、本当に綺麗でした。

写真で撮影しても、硬い紙のような感じになってしまい、そうした感じがどうしても写しとれないので、何時間もかけてカーテンを描きこみました。

絵画の世界では、

「愛情は細部に宿る」

という言い方があります。

実際、時間をかけて細かく描きこむと、描いたものがとても愛しく感じるのです。

風で揺れるカーテン、何時間見ていても飽きませんでした。

カーテンは、光のグラデーションが特に美しいと思います。

まるでピアノの音階のように、明暗の諧調が美しいメロディーをかなでます。

個人的には、どちらかというと、黒白のようなはっきりした明暗よりも、そうした微妙な光と色の変化が好きです。

光と影が作り出す微妙な変化は無限で、ほんのわずかな違いでも印象がずいぶんちがってきます。

光と影は、自分自身の心の中にもあります。それがさまざまな陰影をつくり、現実のさまざまな面白いドラマを織り成すのだと思います。

光と影が織りなす世界の美しさは、本当に不思議です。

アセンションの世界では「光と闇」を対比することがありますが、個人的には、

「美は陰影に宿る」

と考えています。

ですから私にとっては、光も影(闇)も、どちらも大切な光の要素です。

今年の夏は、コローもフェルメールも日本にやって来ています。

すでにチケット購入済みなので、彼らの光と影のゆらめきに会いに行くのが今から楽しみです。


窓


←窓枠を描いた習作です。



追伸:
いつも当ブログにお越し頂きありがとうございます。今週はあと1回、記事をアップしたいと思います。
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