文字や言葉は物事の断片を切り取るものです。何かを丸ごと伝えることはできません。
にもかかわらず、こうしたブログで記事を書くという行為は、いくつかの断片をパズルのように組み合わせて、何かまとまったイメージを読者にお伝えしようとする試みです。
本質的なことを丸ごと伝えるには、おそらく「波動」のような形でダイレクトに伝えるしかないと思います。
波動とは、光、音、電磁波、振動などです。これらはすべて同じものであり、単に波長が異なるだけです。
だとすれば、人に何か本質的なものを伝えたいときは、波動をそのまま伝えればよいという理屈になります。
ですが、人はホタルとは違って光を発することはできません。生体電磁波というものがありますが、その電磁波を直接ほかの人に伝達することもできません。
もちろん、テレパシーのようなものの存在も技術も、残念ながらまだ十分に実用化されていません。
そうなると、現時点では「音」で伝えるのが最もダイレクトな波動の伝達法ということになります。
その手段は音楽が一番直接的です。もちろん、口から発する言葉も有効ですが、言葉の場合は「言語」という限定されたルールによる制約が大きすぎる感じがします。
楽天ブログの記事では、音や色によるアート系の表現をメインにしたのはそのためです。こちらも別のアプローチによる波動伝達の試みです。
ちなみに、人間の発する振動のうち、最も特徴的な振動は「笑い」ですが、笑いとは「緊張⇒弛緩(リラックス)」を高速度に繰り返す振動波です。ちょうどピンと張り詰めた弦をはじいたときに、「ビーン」と弦が震えて音が出るのと同じ理屈です。
人が大笑いする直前には、必ず「緊張の一瞬」があります。緊張がピークに達し、ふっとその手を離したときに、人の心の弦がビーンと弾けて大爆笑になるのです。
したがって、ある種の恐さがある人はお笑いに向いています。それは人に対して容易に「緊張状態」を生み出すことができるからです。
話がそれました。
自分にとっての意識変容の中核は、「波動」ですべてをとらえる、感じる、受け入れるという習慣が自然に身についたことだと思っています。江戸時代の人もそのことを肌で感じていたようです。
「この世のすべては波で出来ている」(本間宗久:江戸時代の天才相場師)
波動(=波)とは「呼吸」と同じです。呼吸も波も、収縮と膨張のリズムがあります。「呼」と「吸」のどちらが欠けても呼吸は成立しません。それは、両方揃って初めて成立するものです。
同様に、世の中の陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、善と悪、光と闇、男性と女性は、すべて部分的に見れば「二元性」(対立するもの)のように見えます。ですが、本当は呼吸のように両方揃って初めて完璧になるものなのです。
二元性を統合する意識は、ちょうど一番上の図のようなイメージに感じられます。
まず、赤い光(太陽=火=陽)と青い光(地球=水=陰)があり、火と水が出会うことによって最初の生命(=白い光)が誕生します。
その白い光は、陰と陽が統合されたものであり、「プラス+マイナス=ゼロ」の空白のように見えます。
ですが、そこから周囲にしだいに広がる金色に輝くひかりのエネルギーが生み出されます。これは生命が拡散していく様子にも似ています。
このひかりのエネルギーが万物を生み出し、森羅万象を形作る波動となります。ちなみに、人間の肉眼にとって最も明るくうつる光の色は白色ではなく黄色(=金色)と言われています。
そして、これらをすべて含んだ「赤+青+黄」がセットになったイメージが統合意識のように感じられます。
また、あらゆる「色」は、色の三原色である「赤青黄」の組み合わせから作り出されます。ですから、この3種類をすべてバランスよく含む意識が「統合意識」といえるかもしれません。(光の三原色は「赤緑青」ですが、ここでは話を単純化するために「色の三原色」ということでたとえています)
ちょっと抽象的な話になりました。人間でいえば、赤の激しさは男性、青の静けさは女性、黄色は子供にたとえることができそうです。また、赤は感情、青は知性、黄色は直観や感覚にたとえることもできます。
こうした3つの要素(プラス、マイナス、中性)は、森羅万象のあらゆる局面でたくさん見つけることができます。
いずれにせよ、こうした3つの要素(プラス、マイナス、中性)がバランスよく一体となった意識が「統合意識」という感じがします。
人間でいえば、知性(思考)と人柄(感情)のバランスが取れている人、あるいは物事でいえば、論理性(客観性)と非論理性(主観性)のバランスが取れている感じです。
また、人間は宇宙の縮図であるという感じがするのですが、人間の頭脳が左脳(=論理性)と右脳(非論理性)に分かれているのも、宇宙の陰と陽に対応しているようで、とても興味深く感じられます。
自分自身の現在の意識が統合意識なのかどうかはよく分かりません。少なくともいえることは、世の中には善も悪もあってないようなものだということです。
善だけでも不完全、悪だけでも不完全。両方あって初めて「色」や「形」が生まれる…。
片方だけみればすべて不完全であり、無秩序であったり、混沌としていて、どこか不自然な感じがします。
ですが、両方セットでみた瞬間、すべて完全であり、完璧であり、奇跡のような美しい物事を際限なく織り成す宇宙の呼吸だという感じがしてなりません。
最初に述べたように、こうしたイメージはあくまでも私個人のイメージを単純化してお伝えているものです。ですから、これが唯一絶対のイメージではありません。おそらく「統合意識」とは千差万別で、人の数だけあるのものだと想像しています。
以上の記事が少しでも皆さまのご参考になれば幸いです。