洋々youyouのブログ

アセンションをキーワードとした日々の気づきを綴るブログです。

2008年11月

意識の変容(その2)

32ac754f.JPG今回は「二元性の統一(=統合意識)」というテーマで整理したいと思います。

文字や言葉は物事の断片を切り取るものです。何かを丸ごと伝えることはできません。

にもかかわらず、こうしたブログで記事を書くという行為は、いくつかの断片をパズルのように組み合わせて、何かまとまったイメージを読者にお伝えしようとする試みです。

本質的なことを丸ごと伝えるには、おそらく「波動」のような形でダイレクトに伝えるしかないと思います。

波動とは、光、音、電磁波、振動などです。これらはすべて同じものであり、単に波長が異なるだけです。

だとすれば、人に何か本質的なものを伝えたいときは、波動をそのまま伝えればよいという理屈になります。

ですが、人はホタルとは違って光を発することはできません。生体電磁波というものがありますが、その電磁波を直接ほかの人に伝達することもできません。

もちろん、テレパシーのようなものの存在も技術も、残念ながらまだ十分に実用化されていません。

そうなると、現時点では「音」で伝えるのが最もダイレクトな波動の伝達法ということになります。

その手段は音楽が一番直接的です。もちろん、口から発する言葉も有効ですが、言葉の場合は「言語」という限定されたルールによる制約が大きすぎる感じがします。

楽天ブログの記事では、音や色によるアート系の表現をメインにしたのはそのためです。こちらも別のアプローチによる波動伝達の試みです。

ちなみに、人間の発する振動のうち、最も特徴的な振動は「笑い」ですが、笑いとは「緊張⇒弛緩(リラックス)」を高速度に繰り返す振動波です。ちょうどピンと張り詰めた弦をはじいたときに、「ビーン」と弦が震えて音が出るのと同じ理屈です。

人が大笑いする直前には、必ず「緊張の一瞬」があります。緊張がピークに達し、ふっとその手を離したときに、人の心の弦がビーンと弾けて大爆笑になるのです。

したがって、ある種の恐さがある人はお笑いに向いています。それは人に対して容易に「緊張状態」を生み出すことができるからです。

話がそれました。

自分にとっての意識変容の中核は、「波動」ですべてをとらえる、感じる、受け入れるという習慣が自然に身についたことだと思っています。江戸時代の人もそのことを肌で感じていたようです。

「この世のすべては波で出来ている」(本間宗久:江戸時代の天才相場師)

波動(=波)とは「呼吸」と同じです。呼吸も波も、収縮と膨張のリズムがあります。「呼」と「吸」のどちらが欠けても呼吸は成立しません。それは、両方揃って初めて成立するものです。

同様に、世の中の陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、善と悪、光と闇、男性と女性は、すべて部分的に見れば「二元性」(対立するもの)のように見えます。ですが、本当は呼吸のように両方揃って初めて完璧になるものなのです。

二元性を統合する意識は、ちょうど一番上の図のようなイメージに感じられます。

まず、赤い光(太陽=火=陽)と青い光(地球=水=陰)があり、火と水が出会うことによって最初の生命(=白い光)が誕生します。

その白い光は、陰と陽が統合されたものであり、「プラス+マイナス=ゼロ」の空白のように見えます。

ですが、そこから周囲にしだいに広がる金色に輝くひかりのエネルギーが生み出されます。これは生命が拡散していく様子にも似ています。

このひかりのエネルギーが万物を生み出し、森羅万象を形作る波動となります。ちなみに、人間の肉眼にとって最も明るくうつる光の色は白色ではなく黄色(=金色)と言われています。

そして、これらをすべて含んだ「赤+青+黄」がセットになったイメージが統合意識のように感じられます。

また、あらゆる「色」は、色の三原色である「赤青黄」の組み合わせから作り出されます。ですから、この3種類をすべてバランスよく含む意識が「統合意識」といえるかもしれません。(光の三原色は「赤緑青」ですが、ここでは話を単純化するために「色の三原色」ということでたとえています)

ちょっと抽象的な話になりました。人間でいえば、赤の激しさは男性、青の静けさは女性、黄色は子供にたとえることができそうです。また、赤は感情、青は知性、黄色は直観や感覚にたとえることもできます。

こうした3つの要素(プラス、マイナス、中性)は、森羅万象のあらゆる局面でたくさん見つけることができます。

いずれにせよ、こうした3つの要素(プラス、マイナス、中性)がバランスよく一体となった意識が「統合意識」という感じがします。

人間でいえば、知性(思考)と人柄(感情)のバランスが取れている人、あるいは物事でいえば、論理性(客観性)と非論理性(主観性)のバランスが取れている感じです。

また、人間は宇宙の縮図であるという感じがするのですが、人間の頭脳が左脳(=論理性)と右脳(非論理性)に分かれているのも、宇宙の陰と陽に対応しているようで、とても興味深く感じられます。

自分自身の現在の意識が統合意識なのかどうかはよく分かりません。少なくともいえることは、世の中には善も悪もあってないようなものだということです。

善だけでも不完全、悪だけでも不完全。両方あって初めて「色」や「形」が生まれる…。

片方だけみればすべて不完全であり、無秩序であったり、混沌としていて、どこか不自然な感じがします。

ですが、両方セットでみた瞬間、すべて完全であり、完璧であり、奇跡のような美しい物事を際限なく織り成す宇宙の呼吸だという感じがしてなりません。

最初に述べたように、こうしたイメージはあくまでも私個人のイメージを単純化してお伝えているものです。ですから、これが唯一絶対のイメージではありません。おそらく「統合意識」とは千差万別で、人の数だけあるのものだと想像しています。

以上の記事が少しでも皆さまのご参考になれば幸いです。


意識の変容(その1)

70a0a5da.JPG
今年の9月から11月にかけて、何度か意識の変容と思われる状態を体感しました。


現在は、ひどく特殊なようでいて、ある意味ではきわめて自然(=素のまま)のような不思議な日々を送っています。

一言でいえば、あらゆる物事があまりにもうまく流れ続けている感じです。

それは主観的な面と客観的な面の両方があり、今回はそれらを覚え書きとしてまとめてみたいと思います。

私の場合、以下の5つの面において、一種の変容と思われる劇的な変化が現れました。

1)身体
2)心(メンタル)
3)人間関係
4)社会的な活動
5)周囲の環境


1)身体

1)の身体は、食生活や生活習慣の浄化による健康の部分が大きいと思いますが、それだけでは説明のつかない部分も多くあります。

第一に、睡眠や食事が少量でも長時間働けるようになったこと、第二にキズや疲労の快復が早くなったこと、第三にツメなどの伸びが異常に早くなったことなどです。

また、電磁波や食品添加物に対する感覚が鋭くなった反面、以前よりも影響を受けにくくなっている感じがあります。

電磁波にひどく敏感なのは昔からの体質でしたが、近くで携帯電話をしている人がいても、以前のような強い頭痛などの体の不調はあまり感じなくなりました。

むしろ、昼夜を問わず、建物の中まで伝わってくる紫外線か宇宙線のようなエネルギーのほうがはるかに体にこたえます。それは日焼けをしたときのような皮膚がひりひりする感じや、頭の芯にくる頭痛、背骨への違和感などとして感じられます。その強さは日によってだいぶ違いますが、今年の8月下旬から9月以降にだんだん強くなってきている感じがします。ここ数日は特に強く感じます。

身体的には10代に若返ったような快調ぶりで、体が軽く、とても心地よく感じます。

2)心(メンタル)

肉体的な健康と相互に影響し合っているのだと思いますが、無尽蔵にエネルギーが湧いてくるような、それでいてひどく静かで、ほとんど何も感じないような「白紙」のような心境でもあり、同時にとてつもなく豊かで充実した感じもあります。

この感じは一口に表現できないのですが、簡単にいえば「満ち足りて完璧」な状態としか表現できません。特別な高揚感や歓喜というわけでもないのですが、とても心地よく「Everything is OK!」という感じです。

心やメンタル(感情や五感の印象など)の働きは、すべて必要なときに、必要な機能が必要なだけ働いてくれる感じです。思考はもちろんのこと、喜怒哀楽の感情、五感が与える印象、直観などはすべて「道具」のように感じます。

それらの道具は、自分自身そのものではなく、それらは自分に備わっている「機能」という感じがしっくりきます。そして、その「機能」が一部変容したような感じがあるのです。

例えば、感情面でいえば、1日ごとにまったくの「白紙」になります。前日までに抱いた感情(喜怒哀楽)は記憶としては覚えていても、翌日にはきれいさっぱりリセットされ、完璧にニュートラルな感じになります。

喜びや嬉しさや楽しさなどのポジティブな感情も同じです。翌日にはきれいさっぱり消えているので、同じものを見ても、毎回のように新鮮な喜び、感動、発見があり、あまり飽きることがありません。

逆に、怒りや落胆などのネガティブな感情も、翌日にはきれいさっぱり消えています。ですが、記憶としては残っているので、昨日と同じような過ちを避けることができます。

つまり、「感情の記憶力」ともいうべき部分が脳内から排除され、昨日とのエネルギーがさっぱり切れる感じなのです。

ある意味で、これが一番大きな意識変容かもしれません。これは今年の10月10日頃から目立ってきた傾向です。

これらの変容に関しては、まだまだ不思議なことが多く、いずれまた別記事でまとめたいと思います。

3)人間関係

ある意味で最も劇的な変化があった分野です。簡単に言えば、人間関係の再構築という感じです。それは、家族、友人、知人、仕事での人間関係など、あらゆる面に及んでいます。その中には明らかに好ましい変化もあれば、説明がつかない変化もあり、まだ進行中です。それらについては、いずれまた別記事でまとめたいと思います。

4)社会的な活動

現実生活では、膨大な時間と労力を要するさまざまな仕事に取り組んでいます。いずれも(第三者的に見れば)困難な新規事業です。ですが、いまはそれらに対するプレッシャーも、心配や不安もありません。それどころか結果に対するこだわりもゼロです。それらが成功するかどうかも、ほとんど関心はありません。

今取り組んでいる「どんぐりプロジェクト」に対しては、客観的に見れば、おそらく誰よりも熱心に、全精力を傾けて取り組んでいるように見えていると思います。実際、家族や周囲の知人や友人にはそのように見られています。ですが、自分の体感としては、そこに注ぎ込んでいるエネルギーはゼロです。

それをあえてコトバで表現すれば、上流の川の水を下流に流す際に、わずかに方向を変えるような仕事のやり方をしています。

そして、そうしたプロジェクトが成功すれば、たくさんの人の今後の仕事のあり方に良い影響があると思います。ですが、そうした仕事を人のためにやっている感じはまったくありません。もちろん、自分自身のためでもありません。

しいていえば、それが自然であり、あまりにも当たり前のことであり、誰がやってもいいのでしょうが、たまたま自分の環境を利用すればそれが実現できそうだから、という感じです。

感覚としては、すべて自然な流れを活かし、無理やムダな努力を一切していないので、ほとんど何もしていないのと同じような気すらするほどです。

たとえて言えば、自分自身は何も変化しないのに、存在しているだけで化学反応の速さを大幅に促進する「触媒」のような役目を果たしていると感じます。

かつて会社を経営したときは、身を削り、心身がボロボロになるまで駆けずりまわり、何もかも自分の力で出来ると思っていたので、ある意味では180度の意識転換といえそうです。

とはいえ、一連のプロジェクトが来年あたりにブレークすれば、社会的には成功なのかもしれませんが、いまはそうしたことにすらほとんど関心もありません。プロジェクトが軌道に乗ったら、すべて人にまかせて、あとは自然の成り行きにまかせようと思っています。こうした心境の変化も、以前では考えられないものです。

5)周囲の環境

いま、とても不思議な感覚に包まれています。肉体を持ち、三次元の物理的世界に住んでいて、人として生きていながら「自分は本当に人間なのだろうか?」という思いです。「そもそも自分は本当に存在しているのだろうか」という素朴な疑問すら感じます。

子供の頃からずっと自然に親しんできました。その感じ方は、誰もが同じだと思っていました。ですが、普通の人が「自然が好きだ」というのと、自分の感じ方がだいぶ違うことに気がついたのは、小学生になってからでした、

私の場合、人間よりも、鳥や虫、動植物、樹木などのほうが自分に近い存在だと感じます。というより、もともと自然と人との区別がつきにくい感覚なのです。

あえて誤解をおそれずに言えば、自分の親に対しても、ゴキブリに対しても、ほぼ同じ愛情を持って接していました。どちらも愛しい命であることに変わりはありません。

日付が変わってしまいましたが、本日11月26日は私の誕生日です。小学校1年のとき、「誕生プレゼントは何がいい?」と母親に聞かれました。その日のことを今でもありありと思い出します。私は次のように答えました。

「何もいらないからこれ以上ゴキブリさんを殺さないで」

あらゆる虫たちが大好きだった私にとって、カブトムシとゴキブリの区別はなかったのです。

なぜ大人たちがゴキブリを見ただけで殺そうとするのかまったく理解できませんでした。(ゴキブリは不衛生だという迷信がありますが、それは事実ではありません。住んでいる住まいが清潔なら、ゴキブリはまったく無害で清潔な昆虫です。)

幼い頃から、カブトムシやクワガタと同じように、ゴキブリも絶好の遊び相手でした。

そのときの両親の表情は複雑なものでした。なぜなら、両親は虫が大の苦手だったからです。結局、その願いは却下され、代わりにバースデーケーキを与えられ、そのバースデーケーキの一部をゴキブリさんに与えてもよいという許可をもらっただけでした。

いま、当時の感覚が一層強まっています。自然と動植物と人間の区別がなくなっています。すべてが自分の「同胞」だという感じがしてなりません。それどころか、町並みや建築物などの無機物ですら、「仲間」のような感じがしています。すべて愛おしくて大切な存在ばかりです。

幼い頃、いつも遊んでいた野原の近くに「日本初のファミリーレストラン」の本社がありました。その野原はひそかに「虫の天国」と呼んでいた素晴らしい場所でした。そこは植物の生育が他の場所の何倍も旺盛で、昆虫や鳥などの数が非常に多い場所だったからです。その上空(Sky)には、いつもヒバリ(Lark)が賑やかにさえずっていました。今思うと、風水的にきわめて恵まれた場所だったようです。

しかし、1975年頃にそのファミリーレストランが日本中で大ブレークすると、その「虫の天国」は一夜にして更地にされ、広い駐車場に変わってしまいました。幼い子供心にも、そのときのショックは筆舌に尽くしがたいものでした。

そのファミリーレストランの名は、このたび日本中のすべての店舗から消えることになりました。30年以上の月日を越えて、そのニュースが私の誕生日直前に発表されたのは何か不思議な符号のような感じがします。

それに伴い、幼い頃の感覚がいま再びよみがえってきています。。それが何を意味するのかはまだわかりませんが、これからだんだん明らかになってくると思います。

久しぶりの記事なので、とりとめもなく書いてしまいました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

当ブログの記事はあくまでも私個人の変化の記録であり、それが万人に当てはまるかどうかは不明ですが、何か少しでも皆様のご参考になれば幸いです。

今後も、思いつくままに気楽に書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。


ブログ再開のお知らせ

aba405d8.JPGこんにちは。洋々です。おひさしぶりです。大変ご無沙汰しております。

今週が多忙のピークでしたが、やっとブログ更新の時間が取れました。

livedoorブログに引っ越して以来、楽天ブログは放置状態でしたが、いったん下記ブログの記事をすべて削除しようと思います。

楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/ascensionyoy/

すべての物事には新陳代謝があると思います。

両方のブログも、そろそろ心機一転したいと思います。

楽天ブログは音楽、自然、絵画、動植物などのアート系、こちらのブログのほうは、文章中心の形でこのまま続けたいと思います。

どんぐりプロジェクトの経過などは、こちらのlivedoorブログのほうにアップする予定です。

どちらのブログも週に1回程度、これからも不定期の更新になると思います。

ブログは、広い意味でのアセンション(意識変容)を内包した記録の一部だと考えています。

ただし、他者に対する情報発信というよりは、自分自身の覚書のようなものとして続けたいと思っています。

ちなみに、縄文プロジェクト(=どんぐりプロジェクト含む)の最終計画の準備がやっと調いました。本格的な稼動は来年度からです。

かなり大きな予算が動くことになるので、いまは人事を尽くして天命を待つという感じです。

また、おかげさまで書き下ろし本も無事に刊行の運びとなりました(自然科学系の読み物です)。

ブログでは一切宣伝はしませんが、ご縁のある方に手に取っていただけることを楽しみにしております。

なお、早ければ数日中には新しい記事をアップする予定です。

それでは、またよろしくお願いします♪

p.s.
一番上の写真は、我が家に隣接した公園の風景です。近所を散歩しながら、いつもこの樹木たちを眺めています。この近隣には、縄文時代の遺跡が数多くあります。
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • livedoor Readerに登録
  • RSS
  • livedoor Blog(ブログ)