ソローの「森の生活」というのはご存知でしょうか?
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
(Henry David Thoreau、1817年7月12日 - 1862年5月6日)
ソローは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州生まれの作家・思想家・詩人・博物学者です。
およそ200年前のアメリカに生まれた彼は、自由に生きるために簡素に暮らし、定職につかず、生活を小さくすることを提案しました。
最近、「ロハス(Lifestyle of health and sustainabilityの略)」という言葉がはやっていますが、この言葉はまさにソローの森の生活にふさわしいと思います。
シンプルライフ、エコライフが生活スタイルとして流行している現在、ソローの生き方は大きなヒントになると思います。
ソローは生涯定職を持ちませんでした。教師になってもみましたが、わずか二週間でやめました。自宅で開いていた私塾も、「お金にはなるけれど自分の為にならない」という単純明快な理由で辞めてしまいました。
彼は「森の家」というミニマムハウスを建て、そこに住みました。すべて手作りです。
ソローの「森の家」:
http://www.bepal.net/b_choi/0405forestlife/kikou.html
この家は歴史的な遺跡として復元されています。
当時の物価を現在に換算すると、なんと84000円程度で手づくりの一軒屋を建てています。
現在は景気の先行きが危ぶまれ、不動産の世界でも値下がりが顕著になっています。米国発のサブプライムローン問題で全世界同時株安が起こると、政府は景気が「悪化」したと発表し、TVやマスコミでも「不況」をさかんに報道します。
よく「景気が悪い」という言い方をしますが、最近、どうもその「悪い」という形容詞が不自然に感じられてならないのです。
そもそも、景気とは、「売買や取引などの経済活動全般の動向のこと」を意味します。地球規模で考えると、経済活動が高まれば高まるほど、自然破壊が進みます。原油を掘り出し、たくさんの製品や食糧を生産し、二酸化炭素を排出し、大量のゴミを生み出し、海や河川や陸地だけでなく、大気も汚染します。
要するに、私の眼には
景気が良くなること=地球環境の破壊
としか見えないのです。
ですから、逆に
景気が悪くなること=地球環境の破壊ストップ
であれば、これは地球全体で考えれば、きわめて好ましいことです(「人間中心」に考えれば「悪い」ことになります)
すべての物事は、ミクロで見た善悪だけが絶対的なものでなく、よりマクロで見れば善悪が逆転したり、さらにマクロで見れば善も悪もなかったりするのだと思います。
ところで、もし全員があくせく働かなくても衣食住に足りる社会であれば、「景気が悪い=環境破壊が少ない=ロスの少ない」ということになり、「世界同時不況」は地球環境にとっては非常に好ましい、ある意味で理想的な状況という見方もできます。
冷静に考えて、世界有数の衣食住が豊かな現代の日本に生まれて、会社でのストレスに苦しめられ、なおかつ過労死に至るほど働く必要があるでしょうか?
私の答えは断じて「ノー」です。もし世界中の人が先進国と同じ生活をしようとすれば、宇宙船地球号のタイムリミットは秒読みになってしまうでしょう。
自然界の気持ちになって考えて見れば、経済活動を一時的に収縮してでも、地球環境の破壊活動を一刻も早くやめるのが最優先だと思います。
数ヶ月前、ガソリンが1リットル160円代に高騰したときは、道路を走る車がずいぶん減りました。そのせいか、とても空が高くて、今まで見たこともない美しい青い空が広がりました。
ほんのわずかに車を乗るのを減らしただけで、都心でも格段に空気が綺麗になるのです。自然の再生力の偉大さをつくづく痛感しました。
本来、「自然を復活させる」というのは、とても人間本位の傲慢な発想だと思います。自然はもともと驚異的な復活力を備えているからです。人間がいちいち樹木などを植えなくても、人類が破壊活動さえしなければ、50年も経たないうちに豊かな森林が完全に復活します。
人が何かすることによって、自然が再生するわけではありません。むしろ余計なことを何もしないのが自然にとっては一番好ましいのです。
同様に、「絶滅しそうな動植物を保護する」と言い方も、動物から見れば人間本位の考え方です。たとえて見れば、駅のホームで他人を線路上に突き落としておいて、列車に引かれる寸前に「じゃあ救ってあげよう」という感じです。
動植物たちは、人間に自分たちの生殺与奪権を与えて何も言いませんが、彼らも同じ地球の仲間であることを考えれば、絶滅の危機になるようなロスのある活動を最初からしないように配慮したほうがよいと思います。
こうした本末転倒な発想は、自然環境や動植物に対してだけではありません。人間に対しても、同じような扱いをしています。
例えば、現代の日本には、路上生活者、フリーター、ニート、日雇い労働者、生活保護家庭、住所不定無職など、さまざまな労働階層を表す言葉があります。そして、彼らの存在が社会的な底辺であるかのように言われることが少なくありません。
その背後には、「社会人の義務として、朝から夕方まで休みなく働かなければ世間は認めない」という集合意識が見え隠れする感じがします。
ですが、自然を破壊し、地球を破壊し、自殺者が死因の第三位となり、年間3万種も他の生物まで大絶滅に追い込みながら、私たちはいったいどこへ行きたいのでしょうか。
もしもニートの方が悪の集団であるならば、一生懸命働いて経済は発展したけれど、その結果として現在の地球の状況をどう説明すればよいのでしょうか?
答えは誰の目にも明らかだと思います。そろそろ今までの利益中心の資本主義システムというOSを入れ替える時期が来ているのだと思います。
皆なが疲れ果てています。経済成長という神話(=夢や幻)の時代から、そろそろ卒業してもいい時代になっていると思います。
というわけで、当初の構想は、ニート向け、そして疲れたサラリーマン向けに300万円住宅または500万円住宅を提供することでした。
現在、999万円の2階建て一戸建てが販売されていますが、私が企画したのは土地付きの注文住宅です。一戸建てが土地付きで300万円〜500万円の価格帯で購入できれば、月々5〜7万円程度で10年ローンが完済します。これなら普通の家庭が普通に働いても無理なく住宅を購入できます。
早速、いくつかの注文建築メーカーに見積もりを出し、また建売ハウスメーカーの社長にコスト的な実現可能性についていろいろご意見を聞いてみました。
結論から言えば、シンプルな間取りの設計を工夫し、材料費や工賃を徹底的に削り、ユーザー(=施主)の手作りなどを加味すれば、一棟500万円以内の戸建ても可能だということが分かりました。
ところが、ここで大きな問題に直面しました。最近は20代、30代での就職浪人が増えています。その多くは独身です。独身で親元に住んでいればいいのですが、そうでない場合で無職時代が長いと、月々5〜7万円程度でも経済的には苦しい可能性があります。そう考えると、300万円でも、500万円でも、住宅としては高すぎることになります。
そこで次に考えたのが、最初に紹介した「ソローの家」の日本版ミニマムハウスを開発することでした。目標としては、原価20万円、販売セット30万円の手づくりキットを開発することでした。
そうしたミニマムハウスとして、さまざまな工法(在来工法、2×4など)を検討した結果、高温多湿にも対応する一方で、北海道のような寒冷地にも適しているタイプのものは「ドームハウス」(一番上の写真)であるということが分かりました。
私は初めて知ったのですが、上記の写真を見たときに本当に驚きました。私が以前にビジョンで見た近未来の日本のドーム型の集落にそっくりだったからです。よくよく見ると、全体的な雰囲気も縄文時代の竪穴式住居にそっくりです。
上記の写真は岡崎工芸(http://www.okazakikougei.co.jp/domehouse.html)から引用させていただきましたが、直径7mのタイプで480万円です。重さ80kgのユニットを手作業で組み立てるので、大人が二人もいれば、手づくりでも完成します。そこで、実際にこのドームハウスに住んでいる人の家に訪問してもらい、住み心地を聞いてきました。以下、その要約です。
1)四角形の部屋よりも空間が広い
2)直線ではなく曲線なのでストレスが少ない
3)冷暖房効率がよい(中央に小さなストーブ1つで部屋全体が隅々まで温まる)
4)部屋が球体なので、人が住むと自然な空気の流れ(対流)が生じる
5)音の響きがよく、オーディオルームとしても最適
6)人の声が明瞭かつ綺麗に聞こえて心地よい
7)球体なので頑丈で地震や台風などの揺れに強い。
8)施工や撤去費用が安いので引越しが楽
問題は価格です。販売価格480万円では高すぎます。いろいろ調べているうちに、材料セットだけで30万円のものもあることが分かりました。ただし、そのタイプでは水周り(風呂、トイレ、水道)などが別予算なので、やはり100万円近くかかります。バスやトイレのユニットは既存のものを購入するからです。
例えば、阪神大震災時の仮設住宅の建設コストは200万円。新潟中越震災時の仮設住宅の建設コストは400万円です。
これらに比べると、100万円のドームハウスというのはかなり安いコストですが、実際は整地、建設、撤去、解体、運搬、廃棄までのトータルの環境コストを考える必要があります。
それらを全部含めると、100万円のドームハウスでも、およそ4倍のコストがかかることが分かりました。そうなるとトータル400万円。もちろん、整地は1回行なえば済むし、移動しなければ撤去、解体、運搬、廃棄のコストはゼロになります。したがって、一棟あたり100万円〜400万円という計算になります。
本当は、縄文時代の竪穴式住居(ゴミゼロの自然素材)を開発したいところですが、それでは均一の素材を確保することが難しいので、建築素材に関しては、枯れ枝や産業廃棄物でドーム材が作れないかを検討してもらっています。
現在は、安い土地を確保する調査も同時進行で進めています。たとえば、山林などは土地としては安いのですが、そこに建築する許可を得るのがかなり難しいことが分かりました。
また、山林の中に家を建てるには、傾斜地などの基礎(地盤)をしっかり固めるのに膨大なコストがかかります。また、丸太を使ったログハウスなどは、材木自体がもともと高く、大幅なコストダウンを図ることができないのですが、既存の別荘地などをリフォームして再利用する方法も検討しています。
こうした一連のプロジェクトは「ミニマムハウス」という名称で、現在もさらなるコストダウンを目指し、引き続き建築メーカーの協力を経て研究中です。最終的には販売価格10万円台で提供できる現代版「ソローの家」も開発したいと思っています。
なお、現時点では、ドーム型ハウスも候補の1つにすぎません。現在は、日本中のさまざまな立地条件を考慮して、どのような形状、立地、大きさのミニマムハウスを提供すればよいか、引き続き調査を実施中です。
次回は、いよいよ本プロジェクトの中枢部となる新しいOS(=新経済システム)の一端をご紹介したいと思います。