洋々youyouのブログ

アセンションをキーワードとした日々の気づきを綴るブログです。

2008年06月

「水と植物」の研究

af7dc33c.JPGこの1週間、「水と植物」をテーマにする科学研究を行っていました。

さまざまな水を入れたコップで、植物の葉(ミカンの葉)がどれだけ長持ちするかを確かめるという単純な実験です。

雨水や水道水など、10種類の水を用意しました。1つのコップに3枚の葉を入れました。念のため、同じ水を2個のコップに用意しました。

つまり、

10種類の水×3枚の葉×コップ2個ずつ=60枚のミカンの葉

を観察したことになります。

これらのコップは、室内の直射日光の当たらないところで保管しました。


1週間の観察結果によると、植物にとって良い水は以下の順位でした。

1)ペットボトルの天然水(南アルプス天然水)
2)雨水 
3)天然水ミネラル麦茶
4)浄水器を通した水道水(=浄水) 
5)液体肥料を入れた浄水 
6)生の水道水 
7)生の水道水(ソーラ水)  
8)水道水+砂糖 
9)水を一切やらない   
10)中性洗剤入り水道水

1)〜3)までの差はごくわずかでした。いずれも天然水がまじっているせいか、1週間経ってもほとんど枯れませんでした。

意外だったのは3)天然水ミネラル麦茶(市販ペットボトル)です。4)の水道水よりも良好なのは、やはり天然水成分が含まれているからなのかもしれません。浄水器などを使ってどんなに人工的に安全性を追求しても、やはり天然のものにはかなわないようです。

5)は「切り花が長持ちする」という液体の化学肥料ですが、やや枯れが目立ちました。やはり人工的なものはダメなようです。

6)〜10)は顕著に順位が出ました。

6)と7)は同じ水道水ですが、7)は太陽の光に5時間ほどあてたものです。いわゆる「ソーラ水」と呼ばれているものです。

太陽光にあてた「ソーラ水」は植物や人間の体に良いとされていますが、実際はほとんど変わりませんでした。むしろ、太陽に当てない水道水のほうが植物が生き生きとして見えました。

人間の体ではまだ分かりませんが、少なくとも植物にとって「ソーラ水」は思ったほど(顕著に)良いものではないことが分かりました。

「ソーラ水は人体にも植物にも良い」と言われますが、そうしたことを鵜呑みにせず、やはりきちんと科学的にデータを検証することが大切だと思いました。

8)の砂糖水は、切花の延命措置として利用することがあるのですが、さらに悪い結果となりました。

9)のように水を一切やらないと2日ほどで枯れ始めました。やはり水は生命の基本です。

10)はわずか1日で腐り始めました。驚くべきことに、水に触れた部分から赤茶けてきました。1週間もするとどす黒く変色しました。

比較的毒性が弱いとされている食器用の中性洗剤ですらこの結果です。昆虫を死に至らせる農薬や食品添加物などの毒性は、考えただけでも恐ろしくなります。

ちなみに1週間以上経って、最後までほとんど枯れなかったのは「1)ペットボトルの天然水」「2)雨水」でした。両者とも、ほとんど区別できないほど青々としていました。

やはり自然のサイクルで作られる天然水や雨水こそが、植物にとって最も適していることが分かりました。

小学生の長男も、この結果にはかなりの衝撃を受けたようです。

「これから学校の水道水は飲まないで、プール(雨水)の水を飲むよ!」と真顔で言っていました…。



追伸:
次回は「言霊」に関する科学的研究の結果をレポートいたします。まだ実験途中ですが、驚くべき事実が判明しつつあります!

光の国

e1e10662.JPG

いきなり声をかけられた。

「洋々さん、今夜、つきあってください」

最初に断っておくが、色気のある話ではない。私に声をかけた相手は男性ジャズピアニスト。同じスポーツクラブでたまに挨拶するだけの仲である。相手の本名も、どこに住んでいるかも知らない。年齢は60歳をとうに超えているようだ。

180センチをゆうに超える巨体。口ひげをはやし、サングラスをかけている様子は、まるでどこかの組長のような貫禄がある。周囲の人はなんとなく近寄りがたく感じているようだが、私は親子ほど齢の違うその人に対して、以前からなんとなく親しみを感じていた。

聞けば、自分がピアノ演奏するジャズバーに一度ぜひ来て欲しいという。私はジャズはまったくの素人だが、ピアノの音が大好きなので、喜んで応じた。

ピアノの音は不思議だ。金属のハンマーが叩き出す衝撃音のうち、耳に不快な音だけを樹木の板が吸収してくれる。だからピアノの音色は樹木が濾過した清涼な音色だ。金属が響き、樹木が濾過し、人間が演奏する。演奏する人間の体の70%は水だ。だから、ピアノは、「金と木と水」の奏でる音色なのだ。

「よく来てくれました」

こじんまりとした落ち着いた雰囲気の店だった。客は二十人ほど。その日にかぎって、老夫婦が多かった。

「ありがとう、私は洋々さんが大好きです」

私はじっと相手の眼を凝視した。その瞳は温かく澄んでいる。悪い人ではない。だから、自然にその言葉を受け入れることができた。

「あなたはまっすぐ人の目を見て話せる方だ。あなたの前では素直になれる気がする」

そういって、長い物語を語り始めた。半世紀ほど前のことだ。彼はアメリカにいた。「20世紀の巨匠の一人」と呼ばれる黒人ジャズピアニストに師事していたのだ。老巨匠の自宅に3ヶ月ほど住み込んでいたそうだ。

「なんど演奏してもOKが出なかったんだ。キミの演奏には魂(ソウル)がないってね」

彼は若い頃にその巨匠の演奏に衝撃を受け、その巨匠にあこがれ、その巨匠のスタイルを徹底的に模倣したそうだ。

「やっぱり僕には才能がないと思ったよ。自分なりに完璧な演奏をしたつもりだけど、ダメだった…」

そう言うと、カクテルをぐいと飲み干した。周囲の喧騒の中、彼の周囲には静かな時間が流れているように見えた。

「いよいよ明日、帰国するというとき、なぜか日本の童謡を弾きたくなったんだ」

彼は、「赤とんぼ」「七つの子」「荒城の月」「春の小川」「故郷(ふるさと)」を弾いた…異国の地で、次々と母国の童謡を即興で演奏したのだ。ふと顔を上げると、そこには老巨匠の顔があった。

「それがキミのソウルだ。私にはこれ以上、何も教えることはない」

そう言って老巨匠は微笑むと、彼をしっかり抱きしめたという。

「洋々さん、あなたは以前、僕のジャズCDを聴いて『とても日本的な感じがしました』と言ってくれた。嬉しかったよ。実はこの話は、家内以外は誰にもしていないんだ」

そう言って彼は立ち上がると、マスターに「ピアノを借りるよ」と声をかけた。

人々のざわめきの中、店内に静かにピアノの音が広がりはじめた。「赤とんぼ」の曲だった。しみじみと情感のこもった、語りかけるような演奏だった。いつの間にか、誰も会話をする人はいなくなった。みんな、じっと演奏に聞き入っている。

「赤とんぼ」「七つの子」「荒城の月」「春の小川」「故郷(ふるさと)」のメドレーだった。


うさぎ 追いし かの山
小鮒 釣りし かの川
夢は 今も めぐりて…
忘れ がたき ふるさと


その最後の曲が終わると、静寂の時が流れた。周囲を見ると、涙を拭いている老婦人、そっとハンカチを差し出すご主人、皆なそれぞれが感きわまった面持ちだった。誰かが力強く「パチパチ」と拍手を始めた。しだいにそれは大きくなり、店中が全員の拍手のうずに巻き込まれた。

彼はゆっくり立ち上がり、お辞儀をした。席に戻ってきた彼は、いたずらっぽく微笑むと、私に向かって握手を求めた。私は立ち上がり、その手を力一杯握り締めた。誰よりも大きく、暖かな手だった。

「ありがとう、おかげで今日は最高の演奏が出来た」

誰も想像しなかった名演奏。そこに偶然立ち寄った人々だけが分かち合えた至福の時間…お互い名も知らず、もう二度とこの人生で会えないかもしれない…そうした人々の人生の一コマに贈られたプレゼント。

一夜限りのステージ。二度とはないコンサート。演奏者も、観客も、等しく輝いていた。すべてが完璧に調和していた。

その夜、私にとっての「光の国」が見えた気がした。


追伸:
この話は実話です。つい1週間前のことです。拙い文で、どこまでお伝えできたか分かりませんが、少しでもそのときの感動をシェアしたくて書かせていただきました。その夜、店のお客さん同士で偶然とは思えない奇跡の再会があったりして、本当はもっともっと感動的な一夜でした。このところ、こうしたドラマが続いています。まだまだお伝えしたいことが山ほどあります。次回は科学研究をテーマにした記事をアップしたいと思います。

アセンションとは


10年ほど前、ある大きな神社の神主の息子さんが、私の自宅まで仕事を依頼に来られたことがあります。

立派な神社を継ぐ方ですので、本来なら自分で来られなくてもいいはずです。その方は、車を使わずにご自分で歩いて来られ、和室に正座して深々と頭を下げて、私がその仕事を引き受けたことに対して丁寧に御礼を述べられたのです。

私が「代金は後払いの銀行振り込みでいいですよ」というのに、1枚1枚丁寧にお札を数えて、まるで神社に奉納するように差し出し、丁寧に御礼の言葉を述べて帰られました。

一回りも二回りも年下の若造に対して、一人の人間として、最大限の礼節を尽くしてくださったわけです。

直接お会いしたのは、その一度きりです。ですが、私の人生において鮮烈な印象を残してくれました。「すべての人の背後に神仏を見る」というご本人の言葉通り、その方の謙虚な姿勢に心打たれたのです。

それは私にとっての無言の教えでした。

当時無名だったその方の著作は、今では大きな本屋さんに行けば見つけることができます。スピリチュアル系の華やかな本とは違い、その方の著作は目立たない哲学書のコーナーにあります。

私は、単に有名になったり、才能があったり、富や地位や名声を得た人を羨ましいとは思いません。普通の生活の中で、人として誠意あふれる人を敬愛し、また自分もそうなりたいと願っています。

すべての答えは、日常での自分自身の心の中にあります。

私は、本当の意味での「精神の自由」もしくは「魂の自由」を獲得することこそが、人としてのアセンション(意識変容)の本質だと思います。

最近、ますますこの思いが強くなっています。

ですから私の言葉はもちろん、どんなに偉い人、権威のある人の教えであっても、他人の言葉を盲信せず、自分の魂の声に素直に耳を傾けることが大切だと思います。ネット上の文字や言葉は、どのようにでも受け取ることができるからです。

もちろん、言霊や、文章のもつ波長から何かを感じることは可能です。ですが、他人の言葉から何かを感じたとすれば、それらはすでに自分が持っているものだと思います。

人は生まれながらにすべてを知っている存在です。自分がもともと知らないことは、どんなに教えを受けたり、文字を読んでも知ることはできないと思います。

人は生まれながらにすべてを知っているからこそ、文字や教えを刺激として何かを「思い出す」ことが出来るのだと思います。

すべての人は、その人独自の「個性」です。そして、一人ひとりの個性は、この宇宙で唯一無比の宝石のようにかけがえのない存在だと思います。

私は、人間のみに与えられた一人ひとりの個性を尊重すると同時に、地球における人類としての責任の重大さを痛感しています。なぜなら、地球上のあらゆる生き物の中で唯一、人間だけが「地球を破壊できるほどの超巨大な自由」を与えられているからです。

いま、地球環境は、限界ぎりぎりのところまできています。1日110種、年間4万種類という気の遠くなるようなペースで地球の動植物が絶滅しています。これだけ見ても、未曾有の事態です。

1)このままでは地球自体の存続すら危うい。
2)そこで地球という星は、次元上昇(アセンション)するという選択をした。
3)それに伴い、人類も従来の意識から脱却した意識変容が求められている。
4)そうした意識変容(アセンション)によって人類も存続できる。
5)その節目となるのが2012年である。

客観的に見て、地球上で最大の絶滅危惧種は人類です。そのために1日でも早く、一人でも多くの人の意識の覚醒(アセンション)が求められ、意識の変容を促す膨大なエネルギーがこの地球上に降り注いでいる…。

これが現在の「アセンション」に対する私の理解です。

古代の人々は、森林、巨石、山、川、太陽、月、星、花鳥風月など万物に「カムイ(=自然の神々)」を見ていました。私は、そういう素朴で素直な自然信仰に基づいた超高度文明の世界を子供のころから夢見てきました。縄文時代のように、神と人とが分かちがたく住みたる世の中でもあります。

もちろん、いろいろ厳しい地球の現状を見るにつれ、私の考えは楽観的な夢物語かもしれない、と思うこともあります。ですが、すべての現実は人の心の中から創造されるものです。希望を手放す必要はないと思います。

まもなく、好むと好まざるにかかわらず、激動の時代を迎える予感があります。食糧危機も現実のものとなりつつあります。地球の直径の半分くらいの超巨大な台風など、従来では考えられない異常気象も予想されます。

これから大勢の方々が亡くなるかもしれません。それは、人類の行為の清算かもしれないし、新しい地球に脱皮するための産みの苦しみかもしれません。

私はそこに絶望ではなく、希望の光を見い出しています。万物は変化することによってのみ、存続し続けることができるからです。

私は、人の世も、まだまだ捨てたものではないと思っています。世の中には無名でも素晴らしい人がたくさんいるからです。

10年前に出会った神主の息子さんも、そんな印象を受ける人物でした。

1)善意の見返りとして、感謝、愛情、忠誠などの代償を要求しない(100%無償の善意)
2)社会における自分の役割を自覚し、言葉よりも行動に重きを置く(有言実行または不言実行)
3)才能や実力や家柄があったり、どんなに苦労をしても、傲慢・卑屈にならない(謙虚さ)
4)つねに弱きもの、小さなもの、目立たないものに注意が向いている(優しさと思いやり)
5)自分の幸せと同じように他者の幸せを願っている(利他の心)
6)財産、地位、肩書き、学歴などの「レッテル」にまどわされない(肩書きでなく人の本質を見る)
7)言動にウソ偽りがない、もしくは他人の借り物の言葉ではない(真実の心がある)
8)「俺が」「私が」という自分中心の考えだったり、組織や権威や集団に頼らない(無私の心)
9)人の自由意思や経験を尊重し、本人の同意なしに指図・批判・アドバイスしたりしない(他者への敬意)
10) 人間だけでなく、地球、自然、動植物などを上位の優先順位に置いている(地球的視野)


私は、こういう人に少しでも近づきたいと願っています。そして、自分の幸せだけでなく、地球や自然や周囲の人々の痛みや苦しみを感じとれる人であり続けたいと思います。


ご挨拶

c52c023d.jpgこのブログは不定期に更新します。




"我々がこの三次元世界で抱えている問題の多くは、三次元的な発想では、すべてを完全に解決することは出来ないのかもしれません"

(アルバート・アインシュタイン)
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