時効がきたので白状する。
テーマ:ネタ※これは拙著から抜粋した記事に一部加筆修正を加えたものです。
時の頃は二月初旬。
言わずと知れた受験シーズンである。
予備校の自習室はピンと張り詰めた空気に支配され、ただただペンを走らせる音だけが響いていた。
そんな中、周りの空気を完全に無視し、参考書を机に放り出したまま昏睡状態に陥るあたしの脳裏に突如として閃光が走った。
ピカーン!!!!
「そうか!その手があったか!!!!!(名探偵コナン風に)」
最初の試験まで一週間を切っていた。
それまでろくに勉強もせず、二次元世界をあっちへふらふら、こっちへふらふらと徘徊していたあたしの頭の中では全落ちという三文字がちらつき始めていた。
そんな、真冬の晴れた昼下がりのことだった。
あたしは自らのインスピレーションに歓喜した。
「違法薬物を持ったまま税関を突破することや刑務所から脱獄することに比べたら無謀な試験を切り抜けることくらい簡単だ!!!」
周りの受験生達はそんなあたしの目論みなど知る由もなく、ただただ一心不乱にペンを走らせていた。
あたしはそのまま予備校を後にした。
陽は、傾き始めていた。
「あ、これだ…あったあった!」
あたしは本棚の奥から日本史の用語集を引っ張り出し、恍惚とした笑みを浮かべた。
種を明かせばこうである。
お腹にベルトで用語集を縛り付け、通常通り試験を受けにいく。すると、わからない箇所が現れるだろう。その問題を把握した上で試験の途中でお手洗いに立ち、個室で用語集を開き、わからない箇所を調べてから教室に戻り、一斉に解答用紙にアウトプットするという作戦である。
いわゆるカンニングだ。
そして、カンニングのターゲットに選ばれたのは慶應義塾大学文学部の日本史であった。
というのも、この学部は法学部や商学部が大量の問題を反射的にマークさせるというスタンスを取っているのとは対照的に、比較的少量の問題を思考させ、記述させる傾向が強いため時間的に余裕があるのだ。
もちろん問題自体は決して易しくはないが、カンニングするのであれば難易度云々よりもむしろ量が少なく時間にゆとりがあることが重要であるためこの学部をターゲットにしたというわけだ。
とはいえ、試験は一度きり。ミスは絶対許されない。
あたしはそのことを思い付いた翌日から早速予備校でシュミレーションを行うことにした。いわば、テストのためのテストである。
その内容は以下の通りだ。
まず、ゴムベルトで地肌に用語集を縛り付けて登校する。最初は階段を上る振動などで落ちやしないかとひやひやしていたが、案外身体にフィットしているため走っても飛んでも安全であることがわかった。気をつけるのは椅子に座る際に服の下から本の角が立たないようにするくらいである。
もちろん、服の上からコートを羽織れば中に分厚い参考書が入っていることなど全くわからない。しかし、試験中にトイレに立つとなるとボディチェックのようなものを受けないとも限らないので、コートを脱いでも自然な形でお腹に収まるよう、ゆったりとしたニットを選んだ。
そして、暇さえあれば腹筋運動に従事し、お腹を凹ませることに努めた。
目的が明確であればあるほど手段は達成されやすい。
いつの間にか腹筋はまっすぐ縦に割れ、試験当日の朝にはウエストが50台後半にさしかかっていた。
実に最小値であった。
さて、肝心のテストシュミレーションのほうであるが、これは思ったよりも上手くいった。
試験の制限時間は60分である。最初の30分で全ての問題に目を通し、その時点で出来る問題は全て解き、曖昧なものや、わからない問題には印を付けておく。この際、用語集を見れば正解に導いてくれそうなキーワードを円で囲み、調べる順番を決めて円を線で繋ぐのがポイントだ。
するとこのようになる。
〇―〇―〇―〇―〇―〇―〇―〇―〇―〇
そこからの残りの30分が勝負だ。
この一連のキーワードを記憶してからトイレへ検索に向かうのだが、個人の学力にもよるが、この円が五つ六つあるようならカンニングというリスクを侵す価値は十分にあるだろう。
ちなみにあたしは日本史が苦手であるため優に20個はあった。
カンニングをせずに過去問を解いた場合、どんなに出来が良くても五~六割が限界であったが、この手法を取り入れると七割、八割、そして遂には八割五分と、長年に渡って勉強してきた優等生のような正解率を保持するようにまでなった。
経験を積むに従い、円で囲んだキーワードをインプットし、トイレで調べてきた答えを解答用紙にアウトプットするという一連の作業に慣れ、知識量はたいして変わらないにも関わらず正解率が増していくのを肌で感じた。
用語集にインデックスを貼るなど時間短縮のための工夫も怠らなかった。
説明が遅れたが、試験科目は英語、歴史、論文の三つである。
一度過去問を解いたところ英語は七割は取れているように思えた。一方論文は年齢もあるが、元々得意分野である。
あたしは勝利を確信した。
唯一苦手な日本史さえぶっつぶせば文学部には必ず合格できる、と。
さて、待ちに待った試験当日。
あたしは慣れた手つきで用語集を装着し、軽い足取りで試験会場へ向かった。
試験会場で不敵な笑みを浮かべるあたしは知り合いが見たらさぞかし気味が悪かっただろう。
もちろん慎重には慎重を重ねる。
試験が始まる前にトイレの個室を確認した。照明は暗くないか、音姫は付いているのか、等々。
得に問題はなさそうだった。
そうこうしているうちにも英語の試験が始まった。
自由英作文が解けなければ携帯を持ってトイレに移動し、翻訳サイトを利用して完璧な答案を作成しようかとも考えていたが、その必要もなく無事に終えた。
そして、いよいよ運命の大日本史である。
開始の合図とともに問題用紙を開き、全体の構成を見渡す。
動揺が走る。
「あ、あれれー?(再び名探偵コナン風に)」
なんと、従来の試験では考えられない程の割合を資料問題が占めていたのだ。
日本史を選択している方ならお分かりだと思うが、資料問題はそれが何について問うているのか、その資料の裏にほのめかされている事象は何なのか、等がわからなければ下手すりゃ大問まるまる全滅するという博打であり、苦手な人間からすれば厄介極まりない悪問だ。
当然あたしは資料問題を″捨て問″として計算していた。キーワードが見出だせない限り用語集では調べようがないのでカンニングの対象外である。
しかし、ここまで捨て問が多いと合格点など取れるはずもなく………
結果。
オ/(^o^)\
ワ|(^o^)|
タ\(^o^)/
オワタ\(ToT)/
後日、あたしはショックのあまりSFCの試験に遅刻し、滑り止めにと受けた青山学院の某学部にも遅刻して(結局受けたところはいずれも15分程遅刻した)、結果として青山学院大学に進学することとなった。
言い訳はしない。
何もかも自分が撒いた種だ。
こういう人間が十年後にインサイダーで捕まったりするのだろう。
余談ではあるが、あたしは決して日本史が嫌いというわけではなかった。
勉強嫌いのあたしが浪人の拠点に選んだ代々木ゼミナールでは、唯一日本史の講座を受講していた。
純粋に楽しかった。幸せだった。
でも、願いは叶わなかった。
確かに付き合っているのに片想いをしているような、
今は一方通行でもずっと愛してたらいつか振り向いてくれるかな、受け入れてくれるかな、
そんな甘く切ない感情が、
いつも、心のどこかに付き纏っていた。
<完>
1 ■ホリエモンものりPも
捕まったからね。人生がネタのりんさんの今後の人生を注目してます。
もし、りんさんが服役中に『無印本命』の改訂版が出ることになったらこの記事を参考にし、制作します。