◆パラオ ペリリュー島 と パラオのジャンヌダルク @/3
靖国肖像権侵害訴訟の
●日本パラオ協会 理事長の黒岩徹氏に 教えていただきました。
(日本パラオ協会 http://npojpa.org/index.html)

パラオとペリリュー島
米軍は既に制空権を失っていたパラオ上空からすべて
地上を撮影し、施設・建物等の位置を確認していました。
激戦のペリリュー島・アンガウル島では、艦砲射撃により、
約一ヶ月連日草木一本とて残らないほどの絨毯爆撃を行いました。
両島とも隆起珊瑚礁から出来た硬い岩盤の島であり、
日本軍は特にペリリュー島では、島中に500の入口を持つ洞窟を堀り、
内部は天然の鍾乳洞を利用して縦横に連絡路をつくりました。
主に昼間は洞窟に籠り、夜は闇に紛れて米軍に近付き、手榴弾
等で肉弾攻撃を含む攻撃を敢行し続けました。
アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツは、ペリリューでの日本軍との戦いについて、
自著『太平洋海戦史』で次のように述べる。
「ペリリューの複雑きわまる防備に打ち克つには、米国の歴史における
他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を
甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、
死傷者合わせて1万人を越える犠牲者を出してこの島を占領したことは、今もって疑問である。
またこれに関して次のような詩を残した。この詩碑は現在ペリリュー神社にある。
邦約 諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ
米太平洋艦隊司令長官
C. W. ニミッツ
日本軍が現地民を避難させた事実は下記のとおりです。
ペリリュー島には現地住民も多数住んでいた。島民は白人の統治と
日本統治時代の違いを身をもって経験しており、ペリリュー戦には大人も子供も
日本軍と共に戦う覚悟を持っていた。しかし日本軍は住民を戦火に巻き込んではならないとして
ペリリュー戦が迫る 昭和十九年八月、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させた。
戦いが終わり帰島した彼らは、「アメリカ人は日本人遺体には見向きもせず、
自国兵の遺体だけを整理した。」と、泣きながらこぞって日本軍の遺体を葬り、
その後も墓地の清掃に心掛けた。彼らは自分たちの建物や生活も破壊されたにも関わらず、
群がる米軍を相手に死を賭して戦った勇猛果敢な日本軍への敬愛の念を持っていたからである。
以上/戦跡パラオ展(於靖国神社)展示原稿より。
NPO法人日本パラオ協会 理事長
黒岩 徹様より
19年3月〜6月、靖国神社遊就館1階企画展示室で
神社主催当協会共催で「戦跡パラオ展」を開催致しました。
7月には開催中に募集した約40名の皆さんと共に、
「パラオ慰霊の旅」を企画、パラオでは初めての
靖国神社ご神職(二名)による慰霊祭典を行いました。
現在はパラオ共和国の経済振興協力の仕事をしています。
パラオは日本の真南3000キロ(時差なし)北緯7〜8度に位置する
大小約300の島からなる、自然環境豊かな島嶼国です。
第一次大戦戦勝国の日本は、発足間もない国際連盟より
赤道以北のミクロネシア(南洋群島)の統治を委任され、
その統治の中心(首都)がパラオでした。
教育の普及と殖産興業を行ない、パラオの文明開化を行ない、
現地人とも家庭を持った日本に対してパラオは今も感謝しており、
太平洋の安全保障を考える時、日本にとって大切な親日国です。
先の大戦の昭和19年9月、フィリピン奪回の為にパラオを先ず獲ろう
とした米軍は、当時東洋一と称された飛行場を持つペリリュー島に迫り、
三日で落とすと豪語しながら二ヵ月半以上の苦戦・激戦を強いられ、
11月24日、中川州男大佐率いる日本軍は「サクラサクラ」の電報を
最後に玉砕しました。パラオには1万余命のご英霊が眠っています。
一燈照隅さんブログより 親日国の一つに南洋諸島の国パラオが有ります。
パラオが何故親日なのか、NPO邦人日本パラオ協会理事の黒岩徹氏が新聞「アイデンティティ」に“親日国家パラオの原点”と題して書かれています。
親日国家パラオの原点
NPO法人日本パラオ協会
理事長黒岩徹
●パラオに散った英霊たち
●「私のラバさん酋長の娘」の舞台
●ペリリュー島七十一日間の激戦
●硫黄島戦の参考となった持久戦
●日本統治時代がいちばん良かった
●国旗「月の丸」に示された日本への思い
)
ぜひ一燈照隅さんブログの黒岩徹氏の
「親日国家パラオの原点」 をご参照下さい。
↓
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/40d4732e5f0311a5b94dd85a03e0cd8c
その黒岩徹様が 私の洗礼名がジャンヌダルクであると
お知りなり、
パラオのジャンヌダルク のお話を教えて下さいました。
つぎにパラオの動画と パラオのジャンヌダルクについて書きます。
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2009-08-27 14:28
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当初の目的は”スキューバーダイビング”パラオは世界のダイバーの憧れの地、”聖地”なのです。海の中はまさに 龍宮城そのものです、そんな旅行中、旧日本軍のゼロ戦のエンジンとプロペラを、海岸にて発見、間違えなく旧日本軍のものとの事、大東亜戦争という歴史の事実を、正に身をもって体験したのです。
>>諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ
米太平洋艦隊司令長官
C. W. ニミッツ
「礼儀智信」厳しい道徳観で育った日本人、大東亜戦争において、日本国は、侵略戦争ではなく、”安全保障の必要に攻められての戦争”であって <自存自衛>のための戦いでした”
戦後、とても数多くの海外の軍人さんたちが
靖国神社に 礼節をもって参拝されてますね。
日本の軍人さんの尊い生き方への 尊重だと思います。
多くのカトリック国のクリスチャンの軍人さんも
参拝されていることは 素晴らしいことです
現在のクリスチャンたちも見習うべきなんですが
お恥ずかしいことです。