山原ギャラリー
2006年9月25日(月) 廿日市市宮島町『たのもさん』
写真  『たのもさん』という言葉を聞いたことがありますか。『たのもさん』は廿日市市の宮島で≪八朔(はっさく)≫(旧暦の八月一日)に行われる民俗行事です。1200年代の中頃に始まったという説もあるらしいのですが、よくはわかりません。古い風習であることは確かなようです。
 その風習とは、家々で作った『田面船(たのもぶね)』に果物野菜を乗せ海に流すというものです。"神の島"宮島では明治維新まで農耕が禁じられていたため、島の人達の食べ物(米や野菜など)は対岸の大野に頼っていました。船に乗せる果物や野菜は大野の人達への感謝と五穀豊穣の祈りの形です。
 田面船には新米の粉で作った小さな小さな(高さ3センチ位)の団子人形も乗せられます。それはそれは簡単な作りの人形はその家や親戚の人数分。家内安全を祈願する形だと聞きました。
写真  9月22日(金)午後6時、宮島の四宮神社(しのみやじんじゃ)に1艘また1艘と田面船が持ち寄られます。大きいものは全長1メートル。高く張った帆や雪洞(ぼんぼり)にはその家の家紋や新しく生まれた赤ちゃんの名前が書(描)かれています。速見征夫(はやみ ゆきお)さん(67歳)の家では娘さんの匡子(まさこ)さんに5月長女 侑希(ゆうき)ちゃんが誕生しました。宮大工の速見さんが孫のために腕を振るった田面船は見事なものです。赤、緑、黄と彩り豊かで帆と雪洞に「侑希丸」と。侑希ちゃんの健やかな成長を願って両親や両家のじいちゃんばあちゃん達7人が侑希ちゃんを囲みます。田面船をのぞき込んだり(天井のついた御座船にはチャンと8人分の団子人形が乗っていました)、入れ替わり立ち替わり船と一緒に記念写真を撮ったり。家族愛に充ちた幸せな光景です。
 かがり火の明るさが増すにつれ、秋の虫の音が大合唱になるにつれ、ギンモクセイの濃密な香りにつつまれた神社に人が集まります、船が集まります。船の形や大きさは様々。牛乳パックやそうめんの箱を利用したものも。
 宮司さんの御祓をうけると田面船はいよいよ海へ。朱の大鳥居の浜に人の波が続きます。1艘また1艘と田面船が雁木(がんぎ)から海に下ろされます。うまく鳥居の方向に流れる船、仲々前に進まない船と、コレも様々でしたが「どうぞ願いが叶いますように」というおもいは同じ。人々はじっと船を見つめます。
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山 原 玲 子         

 私の『たのも船』を絵で作ってみました。帆の家紋は山原の家のモノ。雪洞(ぼんぼり)には『山原丸』と。わかりますか。
 "広島ジャパネスク"が皆さんに支持され長く長く続くように、と願い流しましょう。

絵手紙
(2006年9月25日更新)

山原ギャラリー
2006年9月18日(月) 福山市鞆町『澤村船具店』
写真  “広島ジャパネスク”では7月鞆の勇壮な火祭り 沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)の≪お手火まつり≫を紹介しました。今回は道幅狭く軒の低い旧い街並に、300年以上も商いを続けている『澤村船具店』を訪ねました。
 黒壁にべんがら格子、店の戸は木の引き戸に引き上げ戸―いかにも、という構えです。一抱え以上もあろうと思える松の梁(はり)が店の主のように天井で私を迎えてくれました。見上げれば虫喰いだらけ。入る荷、出る荷、来る人、帰る人を見続けて来たのです。
 看板娘(?)がいました。ガラスの浮玉です。今はプラスチックの浮玉に代わったため、ガラスのソレは中に明かりが入れられ周囲にやわらかい空気をつくり出していました。明かりといえば、船の信号灯として使われていた銅製の古いランプ達が風格と威厳の体(てい)で"揃い踏み"。いかにも、という店内です。昔の船具たちと材料を替えた今の船具たちが違和感なく同居しています。
 紹介が遅れましたが澤村船具店の当主は澤村猪兵衛(いへえ)さん、72歳。当主は代々『猪兵衛』を名乗っています。コレもいかにも、でしょう?お話好きの澤村さんは≪北前船≫の往来で鞆の町が栄えたこと、その昔の鞆のにぎわいなど心安く話して聞かせて下さいます。澤村船具店で“潮待ちの港”鞆の歴史に触れてみませんか。サッと通り過ぎるには惜しい店です。
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山 原 玲 子         

 鞆の浦のシンボル、常夜燈(じょうやとう)をペンで描いてみました。石積みの色、海の色、空の色―想像のカンバスに"ぬり絵"をしてみて下さい。

絵手紙
(2006年9月19日更新)

山原ギャラリー
2006年9月4日(月) 『草津まちなみウォーキング』
格子戸 袖うだつ 鏝絵
 JRで電車で自動車で草津は通り抜ける街でした。「旧い家があるようだ」と気にはなっていました。では、"広島ジャパネスク"で訪ねてみよう、歩いてみよう。今週は広島市西区草津の巻〜。
 格子戸出格子煙出し黒瓦漆喰壁(しっくいかべ)。加えて(うだつ)にワッ、鏝絵(こてえ)まで。ウ〜ン、街は歩くモンだ!今回は≪草津まちづくりの会≫の宮川秋三(しゅうそう)さん(76歳)に案内していただきました。宮川さんが何だと思いますか、と指差されたのは家の板壁。焼板杉のように見えますが幅があり過ぎます。宮川さんの説明によれば廃船になった船の板を再利用したのだとか―。云われてみれば沢山の釘の跡も板の切り込みも。港町として栄えた草津ならでの船板壁です。
坂井屋  草津ならでは、といえば港町草津は蒲鉾屋の多いところ。宮川さんと別れた後の私は内心「どこかに蒲鉾屋がないかなぁ」。小路から湯気が上がっています、ありました坂井屋です。遠慮がちにのぞきました。魚のすり身を型に入れる作業をしています。その型は葉っぱのよう、モミジ?広島らしいじゃありませんか。小売りもしているようで揚げ立てをほおばりました。アツアツのプリプリ、おぉ幸せ!街は歩くモンだ!
小泉本店  コレが我が家なら迷うことなく一杯始めるでしょうね。あっ、そうそう草津には有名な酒屋さんがあったはずだ〜。歩きました、見つけました、小泉本店。立派な店構え、酒造り170年だそうですよ。私はまず足もとに目がいきました。入口から緩やかにカーブして蔵まで赤レンガを組んだ道が中央を走っています。何だろうコレは?荷出し用の車の道だとのこと。道の幅は轍(わだち)の幅。そのレンガ道の左右を石畳が沿って続いています。レンガの海老茶色と石の砂色―まさに"芸術"、お見事!!大感動してしまった私はついに奥まで進み小泉本店の名酒『御幸(みゆき)』を試飲させていただく始末。応対して下さった専務取締役の小泉浩平さん(37歳)は驚かれたでしょうねぇ。ここで揚げ蒲鉾と日本酒が胃袋の中でドッキング!ウ〜ン、街は歩くモンだ!
 草津には旧い神社仏閣が広さの割には沢山あります。1回や2回では草津を見・知ることは出来ないでしょう。また〜〜。
山 原 玲 子         

 小泉本店の庭に白い桔梗の花が1輪咲いていました。今は亡き人間国宝の陶芸家 富本憲吉の作品が思い出されて描いてみました。陶板(とうばん)のように見えますか。

絵手紙
(2006年9月4日更新)



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