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イオングループの社会貢献 [2007年03月09日(金)]











 中央が小嶋千鶴子さんと筆者。右は難民を助ける会の堀江良彰(よしてる)事務局長。





 小嶋千鶴子作陶展に出かけた。

 11時のオープニングにもう人だかりができ、テレビ局も来ていた。中に、イオングループ(旧ジャスコ)の実質的な創業者である岡田卓也氏(1925〜)ご夫妻もいた。

 小嶋さんは92歳。72歳から本格的に陶芸を始めたというからもう20年にもなろうという「ベテラン」。作品がやさしく気取らないのがいい。

 小嶋さんと岡田さんとは姉と弟である。

www.ffortune.net/social/people/nihon-today/okada-takuya.htmに詳しい。それによると、お二人は・・・

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

  三重県四日市市の生まれ。最近は民主党前代表の岡田克也の「伯母と父」として名も知られている。克也は次男で、イオングループは長男の元也が継いでいる。
岡田家は宝暦8年(1758)創業の老舗の呉服商で、岡田卓也はその七代目に当たる。元は篠原屋と言ったが、中興の祖である五代目惣右衛門(この家では跡取りは代々創業者の名前である惣右衛門を名乗る)が1887年に岡田屋に改称、その甥で六代目の惣右衛門(千鶴子・卓也の父)が1926年に株式会社に改組した。
  卓也は五人姉弟の末子で長男。父母が早く亡くなったため店は主人不在のまま次女の千鶴子が卓也が成人するまでの「中継ぎ」として切り盛りしていた。
  卓也は地元の旧制中学から1943年に東京の早稲田に進学。在学中に招集され、和歌山から茨城で活動。鹿島灘で米軍上陸に備えての迎撃(といっても既に武器が尽きているので事実上の特攻)訓練に明け暮れた。

  終戦後、新宿東口に多数の露天商が並び賑わっているのを見て、卓也は自分も早く家に帰って店を再興しなければと決意。上官の命令を無視して帰郷。姉から店を引き継いで七代目に就任すると共に、空襲で焼けていた店を急遽バラック建て直して1946年3月に再興。親族らで京都まで自転車で出かけて商品を仕入れてきて、軍払下げのベッドに戸板を置いた露台に商品を並べて売るという状態で営業を再開した。

  元々は呉服商だった、この時代は何でも売れる物は売るという方針で、特に子供たちに岡田屋の名前を覚えてもらおうというので文具に力を入れていたとのこと。また知名度を上げるため岡田屋の名前の入ったベンチを市内各地に寄贈したりもしている。当時、卓也はまだ早稲田大学に籍があり、週一度夜行列車で上京しては学校に出て、帰りは東京で多数商品を仕入れて戻ってくるという生活をしていた。

  やがて1946年7月に「大売出」のチラシを新聞の折込広告として出す。戦時中は物資が配給制だったため、このような概念は長く人々の心から忘れ去られていた。当時新聞販売店も長く経験したことのないことで広告の料金を決めるのに悩んだという。そして何よりもこのチラシを見た人たちは「そうだ。戦争は終わったのだ」という事を今更ながら実感して感動したと伝えられている。

  昭和20年代・30年代に掛けては岡田は斬新なアイデアの連発で新しい販路を開拓し、また集客の施策を打ち出している。県内各地に行商に出て知名度を高め、洗濯機が当たる抽選会を毎月行ったり自動車でパレードをしたりなど、積極的かつ派手な戦略で店の規模をどんどん大きくしていきました。また昭和30年代には四日市以外にも積極的に店舗展開をしたり違う営業形態の店を出したりもしている。

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 ここにあるように、姉と弟で戦前戦後、今日のイオングループの草創期を拓いた。以後の大発展は周知のことなので略す。経営がうまくいっているのみならず、その社会貢献はひとかどではない。

 卓也氏は、今はイオングループの名誉会長で相談役、ほかにもイオン環境財団や岡田文化財団の理事長、イオン1%クラブの委員長など、社会貢献に邁進しておられる。

 千鶴子さんは画家の小嶋三郎一(故人)と結婚していたが、2003年に四日市市の隣町・菰野(こもの)にParamita Museumを開館した。Paramitaは言うまでもなく、梵語の「波羅蜜多」すなわち「迷いの世界である現実世界の此岸から、悟りの境地である涅槃の彼岸にいたること」に由来している。

 池田満寿夫の作品が約2千点もある。私も生前、満寿夫さんとは親交があったので、この美術館に行くと、まずは、その陶作「般若心経シリーズ」を前にたたずむ。満寿夫さんは、ツチと火が破壊と創造を繰り返す陶の世界に「輪廻転生」を見出し、最晩年、ほとんどその製作に取り組み、1997年3月、突然、亡くなった。翌年、故郷で開かれる長野オリンピックを楽しみにしているという電話での話が最後だった。

 それはともかく、小嶋さんは三郎一氏を慕うように、いとおしむかのようにParamita Museumの一番小さな部屋に、三郎一氏の大きな作品を何点か展示している。

 東京での展覧会、今回は千鶴子さんの作品を400点持ってこられたという。たちまちにして展示棚がからっぽになるほどの売れ行き。数点が10万円、そのほかは全部2万円。
私もなけなしの財布から湯呑を1個手に入れた。今夜、開くのが楽しみだ。

 卓也氏は先日、サントリーホールで行われた、難民を助ける会のチャリティ・コンサートにもお越しになっておられた。92歳と81歳、姉弟の生き方から、多くを学ばせていただいている。

 渋谷の黒田陶苑で13日(火)まで行われている。明日、もう一度行ってみたい展覧会である。

 今回の売り上げはすべて、難民を助ける会と国境なき医師団に贈呈される。


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