竹徳かまぼこ のページ

【創業200年以上にさかのぼる根幹】
竹徳かまぼこの発祥の根幹は、創業200年以上もの歴史を持つと言われる「竹中蒲鉾店」である。
竹徳かまぼこは、今から80年ほど前に、竹中蒲鉾店からの"のれんわけ"として、現在の新潟市の古町に程近い東堀で創業した。
竹徳かまぼこの由来は創業者である 竹中徳四郎が水産市場のセリで使われていたあだ名が屋号として親しまれていたことから、社名となった。


【創始者 竹中徳四郎の発明 リテーナ成型】
一昔前までは、クール便などの保存技術の向上により、冷蔵保存食品の流通が盛んではなかった頃、 魚を原材料とするかまぼこの製造苦労は少なくなった。
昭和30年ころまでは、製造したかまぼこも傷みやすく、地元で消費するしか手段がなかった。その事に悩んでいた竹中徳四郎が何年も考え、試作しては失敗を繰り返した末に出来たのが、円柱のビニールに板とすり身を入れ、かながたと言う型枠で形成する方法。
後に、徳四郎の息子 竹中繁によって特許申請取得された「リテーナ成型法」だ。

リテーナ成型は、型枠の中で包装・成型・蒸気過熱殺菌することから二次汚染が少なく、 品質が安定し保存性にすぐれていた為、これまで流通の難しかった山間部や県外への出荷が可能となり、かまぼこの商圏拡大に大いに貢献した。

現在の竹徳かまぼこの製品にも、もちろんリテーナ成型法は活かされ、保存料やペーハー調整剤などの添加物を入れなくても良い、すばらしい技術と高い保存性を維持している。


【竹中 徳四郎のもう一つの偉業】
徳四郎は、当初このリテーナ成型法に対して特許を取得する意思がなかった。
しかし、金型製造を依頼した鉄工所の社長がリテーナのアイディアを商用利用しようとした為、徳四郎の息子、竹中繁が特許申請を行った。実際の特許証に記載されている名が竹中繁になっているのは、その為である。
(昭和49年4月30日 特許第726974号 包装板付蒲鉾)

特許取得後すぐに徳四郎の「みんなが食べる食品だからこそ、みんなが造れなければならない」という言葉を受け、リテーナ成型法の特許を現在の全国蒲鉾水産加工業共同組合連合会に無償で寄贈。
これにより、全国の蒲鉾業者が特許料を払うことなくリテーナ成型かまぼこを生産することが出来るようになり、かまぼこ商圏と流通はまたたく間に全国へと普及することとなったのだ。

リテーナの命名をする時、徳四郎は自分の名をつけようかとも思ったらしいのだが、 恥ずかしいからという理由で、やめてしまったのだという。
リテーナ成型法。(竹中 徳四郎成型法)。
彼が、言葉通り寝る間も惜しんで開発した方法は、無償の寄贈という偉業と共に現在も尚行き続けている。


【最大の偉業は、プロの料理人を満足させる味】
しかしながら、竹徳かまぼこの最大の魅力は、長い歴史でも、業界に貢献した特許でもない。
絶品の、味だ。
様々な人に会い、料理人に会い、勉強し、時には失敗もして、一つ一つもの造りをしてきたという製品は、一口で、歴史も、偉業も、関係なくしてしまう味の力を持っている。

2002年まで、竹徳かまぼこの製品は一般の顧客に対して一切販売をしていなかった。
竹徳の製品を買い求めるのは、料亭、一流ホテル、仕出し屋、などのプロの板前さんたちだったからだ。料亭などで出される商品が、一般販売されていては困る人たちが多かったのだ。

現在も竹徳の製品は直営店舗での販売だけで、スーパーなどでは購入することはできない。しかしながら、竹徳の味を知る人が贈答として送り、送られた人がファンになって問い合わせてくださる、という縁を大切にする為、インターネットでも販売を開始する経緯となった。


【竹徳かまぼこの本質】
根幹の歴史は、200年以上。創始者 竹中徳四郎が成した偉業。
それらなくして現在の竹徳かまぼこはなかっただろう。
しかし不思議なことに、竹徳かまぼこの製品を知る人にとってそれらは、 ちょっと意外な背景でしかない。

200年の歴史だろうと、3年の歴史だろうと、美味しい。
業界に貢献した特許の発案があろうと、なかろうと、美味しい。
竹徳かまぼこは、美味しい。
つまりは製品の味と品質こそが、現在の竹徳かまぼこの本質なのだ。
歴史も、偉業も、飲み込んで、
竹徳かまぼこは食品作りへの高い志と共に、今その上に堂々と立っている。



竹徳かまぼこの商品一覧

         
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