みちのくへの玄関口として歴史的にも地理的にも重要な位置を占めてきた白河市。まちを巡れば芭蕉をはじめ多くの風流人の心をとらえた自然・文化と出逢えます。
明治を迎える直前の慶應四年閏四月から七月にかけて白河を戦場とする大戦争「戊辰の役・白河口の戦い」が行われました。会津藩・仙台藩などを中心とする東軍の諸藩が、藩主不在の白河小峰城に集結し、奥州街道を北上する西軍と激突したのです。約一〇〇日間にわたる戦いでは千名を超える戦死者があり、戊辰の役の中でも激戦地の一つとなっています。戦後白河の人々は、東西軍を問わず戦没兵士を葬り、碑を建てて、今も香華を手向けています。
江戸時代の中頃、白河藩主を勤め、後に幕府老中となり寛政の改革を行った松平定信公。彼は政治家の他に文化人としての一面を持ち、自ら書画・音楽・文学に深く親しむにとどまらず、画家谷文晁を指揮して古文化財図録『集古十種』の編纂事業を進めました。広く資料を収集し現地調査を行うなどして完成した同書は、日本初の本格的な文化財図録として後世まで使われました。