2009年7月27日 (月)

告別

 たった三年でしたが、お世話になりました。伝統を捨てるのならば、

それ以上のものを生み出す義務が有ります。頑張ってください。

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2009年6月29日 (月)

では、始めましょう

ハイマート創立期のプログラムを見ると、気付く事が有ります。それは何度もハイドンのオラトリオが取り上げられていた事です。勿論それは、ピアノ伴奏によるものであり、抜粋の演奏であったはずですが、どうして何度も取り上げられたのでしょう?

よく「キリスト教徒でもないのに宗教曲なんて歌えない」などと言う人がいますね。多分、そう言う人にとって、宗教曲とは難しく、顔をしかめて歌うイメージなんでしょう。だってミサなんて「主よ、哀れみたまえ」から始まってますからね。

さて、「ハイドン交響曲」(中野博詞著)という本があります。「なんだ、交響曲の本なんかミサ曲と関係無いじゃないか」なんて言わないで、一寸その一部を抜書きしてみましょう。

心地よいまどろみは、さわやかに鳴り渡る教会の鐘に、淡く消えさってゆく。目に染みる草木の緑が、雪のヴェールを破って春の到来を告げる五月、南ドイツの古都アウグスブルクの日曜日の話である。

古い歴史を秘めた街並みにくりひろげられる安息日の光景は、旅人の目をとらえずにはおかない。着飾って教会に向かう市民の姿には生きる喜びが、神への感謝がみちあふれているのだ。厳粛なうちにも、華やかなミサの儀式に、日曜日の生活が始まる。会衆の敬虔な祈りの姿に、新たに始まる週日への期待と希望を感じるのは、著者ひとりだけであろうか。

日曜日の街は楽しい。晴れやかな顔で教会をあとにした市民たちが、レストランにビヤホールに、喫茶店に、思い思いの祝宴をもよおすのである。明るい日ざしの中に、ワインの栓がぬかれ、普段は謹厳なドイツ人の顔にも笑みがうかび、やがて歌声も聞こえてくる。まさに《四季》の世界なのである。

 どうです?最後に出てきた《四季》とはハイドンのオラトリオ「四季」の事です。とっつき難い宗教曲というイメージから遠く離れてませんか?この文の前には、グリージンガーという人の言葉が引用されています。『ハイドンの宗教的態度は、陰鬱な懺悔ではなく、明るい、罪をゆるされた信頼にみちている。』

 こんなミサなら歌ってみたいと思うでしょう?案外これがハイマートの先輩達にハイドンの曲を選ばせた理由ではないかと私は思うのです。

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2009年4月 4日 (土)

ハイドンの交響曲全集

 今HMVでドラティ指揮のハイドン交響曲全集がお安く(6800円程度)になっていますの

で勉強のつもりで購入しました。早速1番から5番までを聞いてみましたが、うーん、充実

している!1番2番の頃と言えば、まだエステルハージ家には仕えておらず、ボヘミアのモ

ルツィン伯に仕えていた20代の作品です。モーツァルトが作曲を始めた頃に、もうここま

で来ている、、、後期のモーツァルトの交響曲を予言するかの様で、更に内容が充実して

いる。(まるで尻尾まで餡子のいっぱい詰まった鯛焼きの様に!)

 ここから始まり、エステルハージ家の副楽長→楽長→イギリス遠征→エステルハージ家

の楽団再編成という豊富な経験を得て、「天地創造」と同時に書き始められた「戦時のミ

サ」を演奏する事がどれだけ大変な事かをますます思い知らされました。

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2009年3月10日 (火)

更に誤解のないように

「最近はやりのピリオド」と書いてますのは、現代楽器を使ったオーケストラを当時の奏法

で演奏させている事を指しています。「ピリオド楽器使用」と言う場合ならば、当時の楽器を

使用するという事になり、その前に述べた演奏になります。これは、HIP(Historically Informed

Performance) ですね。

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2009年3月 9日 (月)

ちょっと訂正

 二つ前にエステルハージ家のオーケストラを13人と書きましたが、これは最少人数の場合で、13人~25人の

間であったとの事です。又、1796年再びエステルハージ家に雇われる前に、イギリスで指揮していたオーケス

トラは40人程度の編成であった様です。

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2009年3月 8日 (日)

作曲家の意図した音楽

さて、ハイドンがどの様な音楽を意図していたかを考えると言う事は、何も「ハイドンが演奏したそのままの音を出さねばならない」という事ではありません。それなら、楽器は全部古楽器を使用し、合唱の人数も半分以下に減らし、演奏会場も小さなものにしなければならないでしょう。また最近流行のピリオド奏法も、楽器は現代の楽器を使用しますが、演奏方法を当時のものと思われるものにする(ヴィヴラートを無くす、速度を速めに等)というのでは、苦肉の策に思われます。(それは現代楽器には過酷な事になるからです)

 更に、ハイドンの時代にハイドン以外の演奏家たちがハイドンの曲を演奏したら、果して同じ音楽になったでしょうか?また、ハイドンの「戦時のミサ」に二つの楽譜が有るのですがこれはどう考えればよいのでしょう?

 作曲家は自分の意図した音楽を音にする為に、楽器を選び、オーケストレーションを行い、それを楽譜として残します。しかし、それはあくまでも設計図でありレシピです。それを、どう解釈するかは演奏家に委ねられます。もし作曲家自身が指揮をしたとしても、同じ演奏を二回する事は無いでしょう。作曲家自身が変化するからです。フォーレはレクイエムを最初小編成の(ヴァイオリンを含まない)オーケストラで書きましたが、後に大編成のオーケストラに編曲し、本人も納得しています。(最近これをわざわざ元に戻そうとする人がいますが、その中の一人であるフォーレ研究家でさえ、自分の著作の中で、作曲家自身がOKしている事を書いています)

 ただ、演奏家に委ねられると言う事は、勝手にして良いと言う事では有りません。そうでないと、何とも面妖な演奏が生まれてしまいます。そういった事を避ける為にもハイドンの意図した音楽を考える事が大事だと言う訳です。

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2009年3月 7日 (土)

どの様に?

さて今回、「戦時のミサ」を演奏するにあたって、どの様にアプローチするかと言う事について述べておきたいと思います。最近、研究が進み、演奏された当時、どの様な演奏をしていたかを考えた演奏が増えています。「ピリオド奏法」という言葉を聞いた事は有りますか?「19世紀以前のオーケストラにはヴィヴラートはかかっていなかったので、その様に演奏する」のが特徴の様です。正直な所、これには余り賛同しようとは思いませんが、ハイドンがどの様な音楽をイメージして楽譜にしたのかは考えてみるべきだと思います。

 まず、オーケストラのサイズですが、これはエステルハージ家のオーケストラ(13人編成)を考えると大きくとも20程度までだった筈です。ただし、ハイマートが100人の合唱であり、ホールが1000人程度のキャパである事から、30人程度のオーケストラが必要でしょう。(これは今回は問題無いですね。)

 次に発音ですが、時代と演奏場所から考えると、ドイツ式の発音であるべきです。以前、ベートーヴェンのハ長調ミサをイタリア式でと指示しましたが、あれは前期に明らかにイタリア式で発音させる指揮者が合同ステージを振る事が決定していたからです。昨年フランス式でも歌えたのですから、ドイツ式の方が遥かに楽でしょう。三ケ尻さんのミサ発音の教本でも、まだ多少問題点は有りますので、コツは書いて行くつもりです。

 発声ですが、日本人だからという考えはしないで下さい。よく「西洋人の咽喉は強いから真似してはいけない」と言いますが、実際、向こうのオペラハウスでは「日本人の方が声のコンディションが常に安定している」などと言われたりもするのです。声を潰す代名詞の様に言われるヴァーグナーの楽劇でも向こうで歌ってる日本人が結構います。寧ろ、ハイドンの合唱を歌ったのはアマチュアでは無かった事を念頭に置いて下さい。しっかり発声練習しておいて下さいね。

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2009年3月 2日 (月)

戦時のミサ

「パウケンミサ」という名前は終曲でティンパニが効果的に使われているからですが、

もう一つの名前「戦時のミサ」と聞いて、反戦に結び付けるのは(○塊の世代みたいで

すが)間違いです。そもそもこの曲が書かれた時期のウィーンは、イタリア方面から攻

め上って来たナポレオンが、すぐそこまで迫って来ている状態ですので、「戦勝祈願」

の意味が強いのです。丁度良い例がプッチーニのオペラ「トスカ」の1幕最後。ナポレ

オンが負けたというニュースで、祝いのミサが行われます。そこで歌われるのがなん

と「テ・デウム」。まあ、攻められる方から見ればナポレオンは侵略者ですし、それを打

ち破る事を祈るのは当然な訳です。

 ハイドンはこの曲を書いたとされる1796年には、大成功をおさめていたイギリス演

奏旅行から帰り、以前仕えていたエステルハージ家に再び雇われていました。ここで

二クラウス2世に命じられたのが年に1度、夫人の聖名祝日にミサ曲を書く事。どこか

で聞いた事が有る人もいますね。そう、ベートーヴェンのハ長調ミサも、この続きで注

文されたものでした(1807)。

 ここで書かれたのが、戦時のミサ、ハイリッヒミサ、ネルソンミサ、テレジアミサ、天地

創造ミサ、ハルモニーミサの6曲です。今までにハイマートで取り上げていないのは

「天地創造ミサ」だけですね。これも素晴らしい作品ですので、一度は聞いてみて下さ

い。

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2008年12月25日 (木)

「真夜中のミサ」を終えて

 終曲に近付くにつれ、このまま終わってしまうのが残念だと感じる事が出来ました。

今回の演奏会は合唱連盟の方だけでなく、教会関係の方もご来場戴いた様です。(

オルガンの福原さんのご紹介によるものです)福原さんからのメールによりますと、

メキシコ人の神父様などは『コンサートでなく、黙想できるくらいに素晴らしいラテン語の

ミサに思えたくらいだった』とその雰囲気も大変ほめてくださいました。」との事。

これからの励みになりますね。では皆さん、良いお年を!

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2008年12月16日 (火)

ご質問について

どうもちゃんと返信できない様ですので、ブログの方に書きます。一つ言えるのは、考えすぎないでという事。歌詞のカットや、声部の構成などは当時の教会(カトリック)やら、歌手のレベルなど、現在では判らない部分も多いのです。

 それと、会衆が歌えるのはプロテスタントの方。少なくともこんなミサは一般人は歌いません。

 また権力者がこういった音楽に規制を与えた事は余り無いんです。むしろ規制は常に教会から。「この詩に音楽をつけるな」とか、「音楽は複雑にせず、単旋律にせよ」とか、合唱団が

怒りそうな事は教会が言っています。で、ミサとミサ曲を分けて考えましょう。ミサの中にど

れだけのものが含まれるか。ミサ曲はそのうちのどの部分を使っているかを調べてみてくださ

い。

 短調・長調はこの時代はまだ確立していませんので、その性格を述べる事自体不毛なのです

が、あえて言うならば、短調が悲しいと思うのは日本の間違った音楽教育の「賜物」です。

 テンポに関しては、私は可能なテンポを取っているという事です。合唱団とソロ、オケと

オルガンが破綻しないテンポの中で、より本来の音楽にふさわしいものを選んでいます。

続きは又後ほど。  

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