アヴァンギャルド精神世界
冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
 



クリスタル・ピープルというとパワー・ストーンをイメージしていたらごめんなさい。クリスタル石を身につけている人をクリスタル・ピープルと呼んでいるわけではありません。

まず日本の精神世界史の中で、クリスタル・ピープルに言及したのは、大本神諭だろう。
大本神愉は、大本教の出口ナオに降りた自動書記(お筆先)である。

大本神諭では、水晶の世と呼ばれる「みろくの世」にするためには、水晶魂(みたま)の人々が続々と出てこないとならないと言う。この水晶魂の人々がクリスタル・ピープルである。

当時(明治)の身魂は、9割方真っ黒で、残った1割の白っぽいところも曇っており、改善どころか日増しに悪くなっているという。日増しに悪くなった結果が、平成の今であるから、今はもっと真っ黒に近い魂の人が多いのだろう。
水晶魂(みたま)の人とは、くもりのない水晶のような魂(みたま)の人のこと。

「この神(艮の金神=宇宙の創造神)が、あっぱれ表面(おもて)になりたら、世界を水晶の世に致すのであるから、改心を致したものから早く致すぞよ。水晶の神代になれば、此の世は思ふようになるぞよ。水晶の霊魂を改めて、神が御用に使うぞよ。身魂(みたま)の審判(あらため)を致して、神が綱を掛けるぞよ。綱掛けたら神は離さぬぞよ。」(大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)

「水晶魂を選りぬいて、霊魂の調査致すぞよ。絶対絶命の世になりたぞよ。世界のものよ。改心いたされよ。世が変わるぞよ。ビックリ致すことができるぞよ。改心次第で助けるぞよ」
「今度お役に立てるのは、水晶魂の選り抜きばかり。神が憑(うつ)りて参るぞよ。」
(大本神諭 天の巻 第二輯/東洋文庫)

このように、改心とは神が憑依できるほどに、利己心がなくなることである。神が憑依できるほどに改心するというのは、出口ナオのように徹底的に苦労させられて、なお正しい生きざまを続けなければならないのだろうから、容易ではない。そして改心できた程度で助けるのだという。そして本当に利己心がなくなる為には、適切な冥想が有効になる。

このように、これから世の大峠、世の中の立て替え立て直しをするのだというが、それを担うクリスタル・ピープル(水晶魂の人)は、どこにいるのだろうか。
「昔から結構な霊魂(みたま)の高い神様ほど、世に落ちてござるぞ。」 (大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)とあり、社会的には、下層にいることが示されている。

魂がクリスタルであればあるほど、この世は生きにくいはずであるから、成長するにつれて、社会に対する不適応が表面化するだろう。だから、たとえば引きこもりの人(ニート)の中にだってクリスタル・ピープルがいる可能性は十分にあるのだと思う。そして現代社会にうまく適応している人ほどクリスタルな魂ではないのだと思う。ただしニートすべてがクリスタル・ピープルだなどと言うつもりはない。

またクリスタルな人であればあるほど、自分がクリスタルな魂であることを、他人に言いふらすようなこともないだろう。クリスタルな魂の人々は、続々と生まれて来ているはずなのだが、こちらの目が曇っているので見つからないわけだ。

「世が迫りて来たから、モウ何時立替えが始まるか知れんから、後でジリジリ身悶え致しても、モウ仕様がないから、何時までも気を附けたが、モウ気の附けようがないぞよ。日本の人民から改心してくださらんと世界の人民三分になるぞよ。」 (大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫:これは明治29年のお筆先)

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コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
ブログに書き込み頂き、ありがとうございます☆~ (†kanon~)
2005-08-07 11:48:47
内容の重いアクセスゆえ、返信が延び延びになってしまい、失礼いたしました。
自己と無自己、これを『欲と無欲』或いは『浄化と未昇華』に例えて解説した書物も多く、私の手元にもそれに類する指摘のメールが毎日かなりの数、投函されて来ますが…。

よく言う『悲しみ、怒り、妬み、快楽、他…あらゆる感情を突き抜けた存在になる事が昇華だ。』と言う価値観は、わたし的には『生身の人間の放棄』と見なします。

生き物には必ず感情があり、その感情が人の性格や人格を形成して居ます。それをどうバランスして表\面に出して行くか…という事なら分かりますが、それらの感情を持たない事=昇華だ…としたら、そこにその人が生身である…或いは生き物としての人である必然性は無くなります。

人は学習します。こと…情緒面での学習とは『痛感する事』であり、その文字の通り『痛みを感じる』心がその人をさらに高次へと導くのだと、私は思って居ます。

よくある『全ての感情を突き抜ける人の精神の高み』よりも、私はその『全ての感情をいつまでも感じ続けられる水のような感性』そのものの方に、美しさ以上の生きた人間らしさを感じます。

自己とはそれらの感性をいつまでも持ち続け、ダイレクトに相手に返して行こうとするエネルギーであり、
無自己とは『曲がった突き抜け意識により、それらの感情感知中枢とその表\現を一切停止した状態』と、私は説きます。
 
 
 
†kanon~殿へ (湖南)
2005-08-07 22:08:59
無自己とは『曲がった突き抜け意識により、それらの感情感知中枢とその表現を一切停止した状態』>>>

ということですか。
ご回答ありがとうございました。
ということは、無自己というのは、自己のありようの一つの変形の状態のように想像できますね。
この辺はそれを実感する人の体験の深さにより、いろいろな説明が出てくるのだと思います。お時間をとらせて恐縮でした。
 
 
 
湖南さんこんばんは^^ (ナカコ)
2005-08-08 00:51:41
「現代社会にうまく適応している人ほどクリスタルな魂ではないのだと思う」うまく表現できないけど、そのような人に限って、薄暗いオーラを身にまとってる人が多いなと思うし、たとえ、水晶で生まれた人も、闇に染まっていくこともあるのかなーとも思います。
クリスタルな綺麗なオーラで生まれた子供達を大切にしていきたい。神聖なことなのですね。いつもありがとうございます
 
 
 
ナカコ殿へ (湖南)
2005-08-08 05:03:54
ここでは、出口ナオにかかった神の見え方が、クリスタルと述べましたが、他にもクリスタルと見ている人は勿論います。

水晶魂を曇らせないようにすることが、とても難しい時代です。
それには、まず自分の魂の曇りを磨いてきれいにすることが、水晶魂の子供の光を残していくことになると思います。
 
 
 
クリスタル・ピープル。 (ワンダーユッキー)
2006-03-23 19:46:36
知りませんでした。今日、たまたま検索してみたら、このページになりました。
大本教で言われていたんですね。

私のホームページの名前なんです。クリスタル・チルドレンから、思い浮かんだ名称でした。

魂がクリアで透明感があって、軽やかな人が好きなので、そういう意味でブログの名前にしました☆
 
 
 
ワンダーユッキー殿へ (湖南)
2006-03-24 05:55:43
クリスタル・チルドレンとは、ニュー・エイジ系の人達の中で、クリスタルなみたまを観じている人がクリスタルと呼んでいるのだ思います。

これまでの時代にはいなかった人たちだとは思いますが、若者がすべてクリスタルだとも思いませんけれど。
 
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