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【社会】

「振甫プール」惜別 「トビウオ」「マエハタ」雄姿刻み70年余

2009年8月26日 夕刊

観客席が設けられ、数々の国際大会も開かれたかつての振甫プール(昭和20年代)

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 2日に80歳で死去した「フジヤマのトビウオ」古橋広之進さんや、「前畑ガンバレ」のラジオ実況で知られる兵藤(旧姓前畑)秀子さん(1914〜95年)ら、日本水泳界のパイオニアが泳いだ名古屋市千種区振甫町の「振甫(しんぽ)プール」の廃止が決まり、今月取り壊された。古橋さんは亡くなる2カ月前、「泳心一路」との言葉を贈っており、プール跡地の記念碑に刻まれる。

 名古屋市で最も古い振甫プールは1933(昭和8)年に開業。1万人収容の観客席にナイター照明、競泳用50メートルプールを備える国内屈指の施設で、多くの国際大会が開かれた際は屋台が出るにぎわいだった。同年には椙山女学園出身の兵藤さんが、このプールで当時の世界記録をマーク。3年後のベルリン五輪女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した。

 戦後間もない1950(昭和25)年には古橋さんが振甫プールで開かれた日米選手権に出場。大会を観戦した千種区若水の建築設計業大野鉦三さん(73)は「古橋さんが何種目も出場して、断トツの速さで泳いでいた。大人たちは大歓声を上げていたなあ」と振り返る。米国の強豪にも負けない姿が、終戦後の大人たちに希望を与えた。

 50メートルプールは74年、25メートルプールに改築。屋外で太陽を浴びながら泳げる施設として、市民に使われてきた。近年は施設の老朽化が進み、年中使用できる温水プールの普及などから利用者が減少。大野さんら地元住民は「歴史のあるプールを残したい」と約1万2000人の署名を集め存続を求めてきたが、プールを管理する名古屋市教育委員会が廃止を決めた。

古橋さんから寄せられた「泳心一路」の書

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 プール廃止を聞いた古橋さんは6月、力強く自筆した文字をしたため、市教委に贈った。跡地の利用法は未定だが、市教委は来年3月までに現地に石碑を建て、古橋さんの言葉を刻む予定だ。プールは既に取り壊され、水遊びをする子どもの笑い声は聞こえなくなった。古橋さんも永遠の眠りについたが、多くの人々の記憶は石碑の中に残っていく。

 

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