1 アジアの安全保障
1・1 アジア共同体思想
まず「日韓関係の過去から未来へ」というタイトルに先立ちまして、少し私の夢物語のようなところからお話をさせて頂ければと思っております。私は今日まで「政治には「愛」が必要だ」というごく当たり前の、しかし余り慣れていない言葉を国会の中でも平然と使っている1人の人間でございます。実は「友愛」というのは、鳩山一郎の遺言というわけでもなく、専売特許でも決してございませんが、お母さんが日本人というハーフのオーストリア人であるクーデンホフ・カレルギー伯の友愛精神に鳩山一郎が晩年に大変強い影響を受け、鳩山一郎は、「これだ。これが政治ではないか」と思い至ったのだと私は理解しています。そしてクーデンホフ・カレルギ−伯は、彼の夢ということでもないと思いますが、そのしっかりとした理論の中で、特に戦争が多かったヨーロッパの国々の将来を案じながら、既にその頃から「友愛」という精神で、EUというヨーロッパでの共同体思想を提唱していったけでございます。
私はこのような話がヨーロッパで出来るならばアジアでも出来るだろうと単純に考えているわけでは決してありません。しかし日本が過去の責任をしっかり果していくために、通貨統合間近のEUというものを選別と眺めながら、アジアにおける共同体思想というものが可能なのかどうかということも、政治の立場から追究していきたいと思っております。
当然体制の違い、あるいは人種、宗教の差などがかなりありますから、必ずしも簡単にEUで出来たから出来るということにはならないのはよく知っております。しかし、だからといってアジアにおける友愛社会構築の可能性を追究してはならないということはないわけでありまして、出来るかぎりヨーロッパとアジアとの相違を乗り越えて、可能な道はないかと模索することは、私は大事ではないかと思っております。
ただ、現在のような日本の環境の下で、アジアの共同体思想というようなことを唱えますと、また、いつか来た道ではないかとか、古い言葉でありますけれども、大東亜共栄圏をまた日本は目指しているのではないかとか、日本の覇権主義が復活したのではないかというふうに錯覚されないとは限らない。従ってそのためには何を解決していかなくてはならないかということになると、やはり過去の歴史を21世紀を目前に控えて、しっかりと清算することではないかと感じております。後ほどこの問題に関してはやや詳しく触れてみたいと思っております。
1・2 多国間安全保障への道
このような共同体思想を実現していくためには、当然ながらアメリカも含めてアジアにおける多国間の安全保障体制を如何に構築するかという、より現実的な問題をまずクリアしていかなくてはならないと思っております。
多国間安全保障というものをすぐに構築出来るとは思いませんが、アメリカ、中国、韓国、そして日本という国が1つの軸になって、まずは2国間の安全保障の枠組みをしっかりと構築し、それを発展させ、強化していく過程の中で、多国間安全保障への道を開いていくことが大事ではないか。もちろんその過程において、APECやあるいはASEANの地域フォーラムといった、既に存在しているものを積極的に活用して、信頼の醸成を図っていくことも極めて大切であることは言うまでもありません。
ある意味で突飛な話ですが、私が提案したいのは、「偵察衛星」という言い方をすると、何かスパイだと思われるかもしれませんが、衛星をアジアの国々で共同で打ち上げ、特に日中の協力の下で衛星を打ち上げて、そこに韓国等を含めて、アジアの国々が共同で情報の管理を行うということです。それぞれの国が相手を知らないが故に、信頼開係がなかなか構築出来ないという部分もあろうかと思います。風呂に入って裸の付き合いで、お互いに信頼が生まれるというのが日本的な風土でありますが、国と国との間でも別に隠し事がないようにする。どのみちアメリカには全ての国がもう見られてしまっているわけでありますから、それと同程度の衛星を打ち上げて、しっかりとアジアの国々がお互いにそういう意味で裸の付き合いが出来るような環境を整備することが、双方のつまらない誤解による不信感をとり除くために役に立つのではないか、またそれを行えば、コストの安いロケットをしっかりとした形で打ち上げることが出来るというようになるのではないかと思っています。
私と船田元議員が中心となって「宇宙の未来を語る会」という6〜7名の超党派による議員の会をつくっておりますが、その会が中心になって、国際シンポジウムを先月の25日に札幌で開きました。小さな国際シンポジウムでありましたが、アメリカ、ロシア、中国、EU、イギリス、そして日本からそれぞれ1名から3名ずつぐらい、むしろ学者というよりも政治家を招いて会議を開きました。その場で私は先のような提案を申し上げた次第でございます。このようなことに批判的なのはアメリカで、どうもアメリカが情報の覇権を狙えば狙うほど、日本や中国が優秀な偵察衛星等を打ち上げられるのではたまらないという思いがどうもあるようでございますが、むしろこのような事業は中国やあるいは韓国等とそれぞれ得意分野をうまく使い分けながら、議論を進め、実現に導いていければ面白いものではないかというふうに考えております。
1・3 民主党の安全保障政策
ここで「民主党の安全保障政策」をみな様方にお話ししたいと思います。民主党はいまお話がありましたように、4月27日に民政党、新党友愛、そして民主改革連合、及び民主党の4党が対等の形で合併して、党名を「民主党」に統一することで成立いたしました。菅直人代表、羽田孜幹事長という、重量感がどちらにあるかというふうになると重心がどこにあるか分からないと言われる可能性がありますが、そのような政党を新しく立ち上げました。ご紹介の通り、私は民主党をつくったときには代表だったのですが、それが昨年の半ばに幹事長になり、いままた幹事長代理と、だんだん格が下がってきているのでありますが、私は常に申し上げているのは、人間、役職にこだわっていては何事もなし得ないと、やせ我慢のように言っておりまして、いずれにしても新しい体制ができました。旧民主党のときに「常時駐留なき安全保障」ということを唱えて、それに対して特にアメリカから強い懸念の声が聞こえてきました。私が昨年の9月に訪米した際にも、スローコム国防次官等からかなり厳しい意見が出されました。しかし政府関係者からは厳しい意見が伝えられましたが、むしろ政府を卒業し、民間の研究所に行かれた方々等からは「意見はよく分かる。私はあなたの考え方は正しいと思う」との意見を頂いたこともございました。
私が「常時駐留なき安全保障」という言葉で表現しているのは、決してかつての社会党的なと言うと失礼かもしれませんが、反米・反基地・反安保といったようなところから出ているのではありません。むしろ私は6年間アメリカに留学し、アメリカ大好き人間の1人でありまして、ご紹介にもありましたように、日本タッチフットボール協会を立ち上げているのも、その1つの例ですが、アメリカ好きの人間から見ても日本の外交が余りにもアメリカに依存し過ぎていないか。もっと独立した発想による日本の外交をつくり上げていく時期がそろそろ来ているのではないか。東西冷戦の頃は、ある意味でどちらの傘の下にいればより安心か、安全であるかというような議論はそれなりの意味があったと思いますが、東西冷戦構造の壁が壊れた現実の中で、私どもとしてはどこの傘にいるかではない、自らの外交をつくり出していかなくてはならない時期に来ていると思っています。
このような中で、私は独立国として当然のことながら、未来永劫に渡って1国に他国の軍隊が駐留し続けるという状況は自然だとは思わない。むしろどんなに時間がかかってもよいから、1国に他国の軍隊が常時駐留しない状況をつくる努力こそ開始しなければいけないのではないか。議論をするときには日米安保から出発してしまうと、兵力の削減とか、あるいはアジアの環境の変化によって、私どもはどのような変化を自らの中に蓄えなくてはならないのかという議論が出来にくくなります。そのような呪縛から解放されるために、たとえ50年、100年かかったとしても、私どもの日本の国土の中にアメリカの軍隊が常時駐留していることがない状況をつくるために努力すべきだと主張しています。その文脈の中から、例えば北朝鮮が韓国との間で統一を果たす状況になったときには、アジアに現在駐留している米軍の規模は10万人体制のようでありますが、その10万人をもっとフレキシブルに減少させていくことは十分可能になるのではないかと思います。ソ連がロシアになったという大変大きな変化があったにもかかわらず10万人体制を変えない。アジアにおいてはまだ冷戦構造が継続しているという状況がアメリカから伝えられ?日本もそれを当然のこととして考えてしまうこと自体がおかしいのではないかと私はむしろ申し上げたい。そのような流れの中で、私は常時駐留なき安全保障ということを旧民主党の中でも主張し、新しい民主党の中
においても「常時駐留なき安保」という言葉で必ずしも言うつもりはないが、その精神的なものは受け継がれていると私は理解しています。
当然のことながら、そのためには日本のある意味での軍事力というか、防衛力というものは必要程度なものにしなければならない。例えば「情報戦略戦争」というような言葉が使われておりますが、核を無力化することさえ将来は可能ではないかと思います。核を使用する場合に、当然様々なコンピュータ技術等が駆使されるわけですが、そのようなコンピュータ技術を一気に錯乱させるということも可能ではありますし、そのような情報をより巧みに使うことによって、核のない時代というものを切り開くことも決して不可能ではないと私は考えておりまして、そのためには現在の日本が持っている防衛技術以上のものを要求されることになろうかと思います。そのようなことも視野に入れながら、私は「常時駐留なき安全保障」という考え方を捨てるつもりはありません。細川元総理が突然お辞めになって、何故辞められたのかよくまだ私も不可解なところがございますが、細川元総理が私どもに民主党という党名で、4党統一を図ってくださっている時に「私の安保政策というのはあなたのよりもっと強烈ですよ」と言われ、4党の政策合意の中に「基地なき同盟」という言葉を入れておられました。私どもは、これはなかなかいいのではないですかという話をしたのですが、当時の友愛さんから「ちょっとこれは・・・」ということで、削除を要求されまして、結果として日の目を見ることはありませんでした。細川元総理は総理時代も「基地なき回盟」という思いをかなり強く持ちながら総理をなさっておられた。そんな思いもあるものですから、私どもが「常時駐留なき安保」という言葉を、また精神をこれからも大事にしていくことは変わりはないとご理解頂きたいと思っております。
ついでに申し上げるならば、私どもはいま日米ガイドラインの見直しが、特に政府で盛んに行われ、この国会では法整備はなされないようでありますが、基本的には例えば周辺有事にしても、日本有事にしても、その有事に対しての平時における考え方の整理というものが全くなされていない今日の状況の方が私はむしろ心配でございます。このような有事が万一起きた場合に、それこそ法整備がなされていない場合に、超法規的な対応というものがとられることをむしろ恐れます。そうでないように、私どもとしては日常の発想の中で、万一有事が起きた場合にどのように、例えば民間の空港も使わせて頂くとか、病院に収容させて頂くとかいうようなことも、ある意味でそのときに超法規的に行うのではなく、むしろ事前に理解を求めて進めていく必要があるだろうと思います。
そういう意味で、日米ガイドラインの見直しの作業が行われること自体を否定するつもりはありません。しかし心配なのは、ガイドラインで規定して、例えば政府の判断でアメリカの言うとおりに「分かりました。周辺有事です」と言われたらたまらないなと思います。やはり出来れば国会で事前に承認頂くとか、あるいは急を要するものであった場合には、事後であっても国会で何らかの承認をとる作業というものが必要ではないか。そうでないと、所謂シビリアンコントロールというものが全くないままで、役人がぺ−パー等で勝手に「これで周辺有事になりました」というようなことを宣言し、「だから民間の空港を勝手に使いますが許してください」と言われても、簡単に許せる状況ではない。従って私どもとしては、所謂シビリアンコントロールというものをしっかりと現実の問題として行い得る体制をつくっていくことが大事ではないかと思います。それをガイドラインの見直しと同時にしっかりと求めていきたいという基本的なスタンスでございます。