今までの
三回戦
ゲスト対談者は文化放送アナウンサーの吉田涙子さんです。 |
吉田涙子様 考えてみると公開の「Eメール対談」で、俺たちだけ「ウオちゃんのお通夜」って言ってても世間の人には何のことかわかりませんね。3回の表裏はウオちゃんのことを書きましょう。ウオちゃんっていうのは、あれは職種で言うと「AD」になるの? 文化放送から見た場合、出入りのスタッフという立場ですね。 めっちゃ美人でスタイル良くて、色んな意味でカッコ良い人だったなぁ。僕は文化放送の前はJ-WAVEで仕事してたから、何か文化放送ってタイプの違う人多いなぁと思ってたんだけど、ウオちゃんはJ-WAVEのスタッフに感じが似てた。 あの人ねぇ、ああ見えて「甲子園球児の娘」なんですよ。いっぺん番組中に自慢された。彼女自身はライオンズ・ファンで、「秋山、清原、デストラーデ」の頃のライオンズに思い入れがあった。背ぇ高いし、男だったらいい外野手になったかもなぁ。あの娘見て、そんなこと考えたのは、たぶん元甲子園球児のお父さんと俺くらいだと思うけど。 僕のやってた朝ワイドは、まぁ深夜ノリというか、あんまり「AMの午前帯」っていうのを意識しない番組だったんだけど、ウオちゃんの反応っていうのは頼りにしてた部分がある。番組やってびっくりしたけどAMのスタッフって音楽わかんないでしょう。僕だってホントは専門外だからわかりゃしないんだけど、少なくとも好きではあるからさ。いや、マジで僕とウオちゃんしかわかってない状態で番組進行するみたいなこと、あったんですよ。ウオちゃんが嬉しそうな顔するかどうかが反応の手がかりっていうか。 僕はしゃべりのプロじゃないんで、相方やスタッフの反応がないと話せないんですよ。だから相方やスタッフに感覚がないとそのチャンネル、その話題は放棄せざるを得ない。「相手にわかる話」っていう範囲でしか話ができない。わざとハズす場合でも、「相手にわかる話」「相手にわかる自分」をストライク・ゾーンにして、そこから意識的にボール半分とかボール1個分ハズすみたいな形。副調整室のガラスの向こうで、ウオちゃんがニコニコしてることがどんなに貴重だったか。 僕は彼女の病気のこと全然知らなかったし、急に亡くなったと聞かされて、仰天してお通夜に行った身の上なんで、本当言うと今も全然実感ないんですよ。文化放送行くと、今もどっかにあの娘いるような気がして。あいつ、気のいいやつだったなぁ。涙子ちゃんとは音楽の趣味とかが合ったの? 俺、仕事関係とは一線引くことにしてるからプライベートとか全然知らんのよ。どんな奴? えのきどいちろう |
えのきどいちろう様 早速のお返事ありがとうございます! 今回の内容はまたきっついなぁ・・・(^^;)。ハンカチ握りながら書くことにしますね。 うおは、うん、ADさんでした。すんごく人気者。彼女の悪口をきいたことは一度もなかったもの。えのきどさんのことは大好きだとよく話していましたよ。だから番組のスタッフとしてかかわれるのが嬉しくて仕方ないって言ってた。えのきどさんが思っていたように、えのきどさんとうおしか分からないような内容が出てくるのも本当に楽しかったみたい。私が自宅で聴いていて”こりゃぁ分かる人少ないだろうなぁ”って感じる話題を後でうおに尋ねたら、「そうなんだよ、あたしとえのきどさんしかわかってなかったみたい。」なんて笑ってたこともありましたからね。 私とうおは同期なんですよ。で、二人とも入社したときから服装がちょっと変わってたんです。社会人としてあるまじき格好というか(笑)。お互いにドクターマーチンの安全靴はいてたり。で、どちらからともなく「音楽好きでしょ??」みたいな話をし始めたのです。そっからは趣味から何から共通点が多くて、あっという間に親友になってました。お互いにバンドでベースやってたとか、お酒が好きだとか、アジア旅行が好きだとか。だからコンサートやクラブや飲み屋さんや、インドやらキューバやら・・・・いっつもいっしょにいたんですよ。終いには近所に住んでましたもの。よくホームパーティーやって飲みすぎて記憶なくしたりしてたんです。今でもうちには泥酔して二人で壊した椅子とかありますよ(笑)。セイン・カミュさんの番組に泥酔で出たこともあったなぁ・・・・。 うおが病気だというのは・・・知ってました。でももう治らないガンだと知ったのは、ほんとうに亡くなる2日前くらい。それまでは痩せていくなぁとは思っていたけど、治るって思っていたんです。その日も普通にお見舞いに行って、また明日来るねって病室出た45分後位に息をひきとりました。すっごい細くなっちゃった両手にね、お守りが幾つもぐるぐる巻きになってたんです。今思い出してもつらいっす。生きたかったんだろうなってね。正直、文化放送のどこを歩いても、今でも辛いです。いるような気になっちゃうからね。でもいないんだよな、って。 亡くなる直前に、外出願いを出してまでレッドホットチリペッパーズのコンサートに行くくらい、音楽が大好きな女の子でしたよ。コンサートのあと、うちの近所の居酒屋で乾杯したのが病院以外で会った最後。あんなに酒豪のうおが、ワインを2滴くらいしか飲めなかった。「治ったら飲んでやるぅ〜!!」って笑っていたけど。叶いませんでした。 一番の親友の骨を拾うなんて、思ってもみなかったっす。悩みを打ち明けられる唯一の人が、今は箸で挟んでるのかよ!みたいなね・・・。 あぁ、これって、たくさんの方が読んでくださるんですよね。私、これ書きながらも画面ではなく、思い出画像を見ていたような気分でした。とりとめなく長くてごめんなさい。 世の中には悩みや苦しみとか、怒りとかいろいろあるけど、やっぱりそれって「生きているから」感じられることなんですよね。生きていられるだけでも、本当に素晴らしいことなんだって、今は心から思います。だからこそ、生きていられる間に色んなことをやりたいな、話したいなって思う。それまでは「生きる」って、あまり真剣に考えたことなっかったんです。きっと多くの人がそうなんでしょうね。でも、これってすごいことですよ。本当に本当に感謝しなきゃいけないことだって思う。 次回からはもっと明るい内容にしませう。あ〜、アナウンス室で化粧落ちまくりだ〜。ではまた。 るいこ(^0^)ノ” |