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「最低の国家」の最低の私という自覚

2009/08/27 09:14

 

 

 えー前回のエントリでは分不相応にもプラトンの名著「ゴルギアス」(加来彰俊著)を引用したわけですが、実はこの本の巻末にある「解説」は、私がこのブログのコメント欄で何100回ものご指摘を受け、かつ私自身、幾度か取り上げてきたマスコミの問題への言及があります。この本の中でプラトンは、ソクラテスの口を通じて立身栄達の術とされ、もてはやされている「弁論術」(とその背景にある実利主義的人生観)を徹底的に批判しています。

 

 で、その解説の中で訳者は次のように書いています(太字は私がつけたものです)。この本の第一刷は1967年6月となっていますから、解説もその際に書かれたものかもしれません。あくまで訳者の私見ではあるのでしょうが…。

 

 《※この点を現代のわれわれの問題にもうすこし近づけていえば、弁論術はさしずめ今日のいわゆるマス・コミュニケーションの術に相当するだろう。そして、大量消費と生活享受が合い言葉となっている現代社会で、マス・コミュニケーションの種々のメディウムが行っている仕事の大半は、ちょうど弁論術の仕事がそうであったと言われるように「迎合」にあるといって過言ではないだろう》

 

 さてそこで、今度は前々回の読書エントリで紹介した清水義範氏の作品に登場してもらいます。彼のごく短い短編に「最低の国家」というものがあるのですが、例によってつい連想して思い出してしまったもので。この作品は、評論家と思われる人物の一人語り(講演?)の形をとっており、とにかく日本の対外的振る舞い、経済援助を含めた外交、マナー、センスなど片っ端からあげつらい、「日本は最低の国家である」と批判しています。そして、こう締めくくられます。

 

 《ああやだやだ。日本は最低の国家である。

 だからもちろん、日本の政治家は最低である。

 日本のマスコミも最低である。

 そして、今、この文章を書いている私も含めて、日本の言論人も最低である。

 えっ?

 そうでしょう。もちろん、そういうことになりますわねぇ。

 そりゃそうでしょう。日本がいかに最低の国かということを書きまくる評論家が、そういうことを書くから自分だけは別だなんて、そんな虫のいい話は通りませんわねぇ。少なくとも私は、そんな厚顔無恥なことはしませんよ。

 国際的には我が日本は、手のうちようがないほどに三流の国なのです。政治も経済も文化の面でも、なっちゃいないのです。

 それを指摘されると日本人は、なんだかマゾヒスティックに快感を覚えてしまうのである。もともとあまり自信のない方面のことだけに、けなされてかえってスッキリするのである。

 だから、その専門家のような、日本けなし評論家というのが、伝統的に存在するのである。ああいう人々は、なぜ日本をけなすかというと、とどのつまりは、けなしたほうがウケるからである

 そんな言論人が高級なわけないですよね。

 いかにも最低の国家にふさわしい、最低の言論人です。

 ここのところの論旨、読み違えないでもらいたい。私は別に、日本のことをよく書く言論人が高級だと言っているわけではない。

 ただ、日本は最低の国である。

 そして、そういうことを盛んに書く評論家も、もちろん最低の言論人である。

 だから、私も国際的に最低の男である、と。

 そういうことになるではないか。》

 

 …私が、自分自身のありようも含めてマスコミの現状・問題点をどう見ているかについては、最近では6月30日のエントリ「重村早大教授の近著と『ステレオタイプ』とは何か」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1109373/)や7月14日の「純宣伝PR・『民主党解剖』が17日発売となります」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1130948/)などで識者のコメントや私の感想を通じ表明しています。ただ、なかなか意図が伝わらないというか理解してもらえないようなので、今回のエントリを書いてみました。

 

 しかしまあ、何せ私自身、迎合的な「最低の国家の最低の記者」に過ぎず、いかんともし難いものがあります。そういうことになるではないか、と。鳩山政権かあ、きっと批判や懸念を書きまくることになるのだろうな…。あっ、別に私自身、本心から日本を最低の国家だと考えているわけでは全くありませんから誤解なきようお願いします。

 

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 指定なし

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コメント(6)

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2009/08/27 09:44

Commented by sys4osbj さん

社民党の瑞穂さんが「高速無料化は疑問」と珍しく正論を語っていますが貴紙の調査でも世論の3分の2は高速無料に反対です。
貴紙を含め一流紙の論調はみな無料化反対で足並みが揃っているようです。

例えば温暖化対策で最も積極的な日経は、
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090820AS1K2000220082009.html
民主党は、自民党より温暖化対策に積極的にみえる。・・・
 しかし、ガソリンなど道路関係諸税の上乗せ税率(暫定税率)の廃止や高速道路の無料化は、
自動車から鉄道や船舶へ、人や貨物の輸送を切り替える「モーダルシフト」に逆行する。

地球温暖化税と暫定税率廃止との関係が明確でなく、全体として低炭素社会の実現という政策目標と整合性がとれているのか疑問だ。」


江田憲司氏がプログで痛烈に記しています
http://www.eda-k.net/chokugen/index.html

「高速道路の無料化は、聞こえは良いが、実は「タダ」ではない。
年間1兆3000億円の税金を投入するから「タダ」になるだけだ。
しかも、これまでは高速道路の利用者だけが「通行料」として負担すればよかったものが、
高速道路を利用しない人までが税金で負担させられる。

また、環境団体が一斉に反対しているように、無料化でCO2の排出量が増え、地球環境に深刻な影響を与える。
地球環境問題重視の民主党として「あるまじき」政策だ。・・・

 民主党マニフェストには良い政策もあるにはあるが、一言でいえば、「親が楽をして子供の将来を危うくする政策」だ。
私も7歳と4歳の子供を持つ親だが、親なら誰しも自分のことより子供のことを心配するものだ。
民主党マニフェストはそれに逆行している。」

 
 

2009/08/27 10:28

Commented by kinny さん

またまた、最低と最良が表裏一体なのはとっくの昔にご存じのハズ(笑)
ひとつことが、違った表れ方をするんだよね。

いかにして最低の表象を別の形に持って行けるか、ということに尽きると思うんだよ結局は。

で、世界には、まるで完全じゃないながらも、すでに多くの処世と知恵があり、なぜ日本の政治は、結果が示されている仕組みをマネしないのか、試してもみないのか、(明らかなデタラメや余計なことばかりマネするわりには)、ということになってくる。

他世界が、べつに民族として特別に優れているワケじゃない。
要は仕組みにおいて、知恵を共有することの利益を心得ているだけのことだ。

日本人の空気至上主義も、それぞれの故郷に向けられるべきなんだよ。
仕組みでそれらを収束すればいいだけのはなしだ。
要は戦後のドサクサに紛れてでっちあげられたバカげた統制経済と中央集権を撤廃して、元の姿に戻すだけでよい。

誰も永田町や霞ヶ関をみて、ふるさとだとは思わないんだよ。
命を賭けて守ろうとは思わないんだ。

 
 

2009/08/27 10:51

Commented by thinking さん

 国家を運営するのは、立法(政治家)、行政(役人)、司法(裁判官)、が重要なのだが、何と云っても政治家だ。 国家の運命を国会で決定する政治家は、民主主義という大義名分で、国家と国民の運命を決定的にして行くのだから、政治家の責任は重大だ。 国民が愚民であれば、政治家の選択を誤る。 愚民も賢人も同じ一票だから、国民が愚民ばかりだと、民主主義は愚民政治となり、国家が崩壊する。 願わくば、日本国民が、愚民より賢人の方が多い事を、願うばかりだが・・・。

 
 

2009/08/27 11:17

Commented by siegfried さん

 この程度の国民だからこの程度の政治家しか生まれないとはよく言われたことです。それはともかく、劣勢の自民は少なくとも民主の当選者を250前後で止めるよう最後の努力をすべきです。と言っても趨勢はかなり厳しいですが、私は今まで35年間嫁に一度も選挙についてああしろコウしろと行ったことはありませんが、今回だけは、少なくとも民主、公明、社民にだけは入れるなと訓示しました。小さなことですが、家族だけでも固めてい供養な地道な努力で何とか負け数を減らさなければなりません。

 
 

2009/08/27 11:18

Commented by iwa1233 さん

ここはコメントを書きやすい雰囲気も有るし
見ている人も多いんでつい直接関係無いTV批判なんかもマスコミと括って書いてしまうんですよね
申し訳有りませんが批判が多いのはブログが成功して居る証拠と思ってもらえると有り難いです。(嫌いならコメントなんて付けないで無視しますから)

ただ、受け取り手からすると一社一社は、それほどきつく書いたつもりは無くても、報道関係全てが同じネタ(漢字の読み間違えのような本論から外れたネタは特に)を扱うと、「またか、しつこい」と思ってしまうのは確かな気がします。
全社が扱うようなネタで意図どおりの論調で伝えるためには少し工夫が必要のかもしれません。(面積の制限とか有るんで難しいかもしれませんが)

昔はこんな事を囁かれたのはTVのワイドショーくらいでしたけど、今はネットの普及の影響で新聞も複数の記事を確認する人が増えていますから、その影響でしょうか?

 
 

2009/08/27 11:23

Commented by maruoto010 さん

阿比留さん、こんにちは。

今回のエントリは
自虐的決意表明でしょうか?
自戒的決意表明でしょうか?

どちらにせよ宣戦布告ですね。
何か吹っ切れた感を受けますよ。

 
 
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