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社説:金大中元大統領 激動の韓国を体現した

 韓国の金大中(キムデジュン)元大統領が苦難と栄光の交錯した一生を終えた。本人が「行動する良心」を自任する一方、日本からは見えにくい厳しい評価も韓国にはある。だが、抜群の資質を持ち、この国の激動の現代史を体現した稀有(けう)な政治家であったことは間違いない。ご冥福を祈りたい。

 36年前、東京のホテルからソウルに拉致された事件によって金氏は日本で最も名高い韓国人となった。この事件が韓国情報機関の組織的犯行であり、日本への主権侵害にあたることは明白だったが、政治決着によってうやむやにされた。日韓双方の政府が不誠実であった。

 しかし金氏は、自らの大統領在任中はこの問題に手を付けなかった。07年の真相調査委員会報告書の発表を受けてようやく韓国政府は日本に対する主権侵害に「遺憾の意」を表明し、外交的には決着した。だが日本の捜査当局による容疑者調べは実現していない。事件の大団円を迎えぬまま金氏がこの世を去った事実は、歴史に刻まれるべきである。

 もっとも金氏は対日外交では目覚ましい成果を上げた。大統領として98年に来日し当時の小渕恵三首相と合意した「日韓パートナーシップ宣言」は、史上最良とも評価された日韓友好の時代を築いた。金氏は細心の注意を払って韓国における反日感情を抑制し、いわゆる「日本大衆文化」の解禁も進めた。日韓文化交流の隆盛はこの延長線上にある。

 金氏は一方、「太陽政策」を掲げて北朝鮮との関係改善にも尽力したが、功罪相半ばするところがあり、評価は定まっていない。

 00年の金正日(キムジョンイル)総書記との初の南北首脳会談は和解ムードを広げた。南北離散家族の再会も一部ながら実現し、金剛山観光や北朝鮮に韓国企業を進出させる構想も進んだ。

 しかし、この融和路線は北朝鮮の高濃縮ウラン開発疑惑の浮上を機に矛盾が露呈する。次の盧武鉉(ノムヒョン)政権は対北支援を大幅に増やしたが、北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行で韓国世論が冷え込み、「太陽政策」は正しくないという声も高まった。金氏はこれを憂慮し、入院前は北朝鮮に妥協しない李明博(イミョンバク)政権の姿勢を強く批判していた。

 「歴史的な南北首脳会談」を主な理由として金氏が受賞したノーベル平和賞は色あせてしまった。韓国で逮捕され日本人拉致を自供した人物を北朝鮮に送還したことも、日本における金氏の声望を少なからず傷つけたのである。

 それでも大方の日本人の金氏への評価は高いだろう。民主化の闘士として死刑判決も受け、4度目の挑戦でついに大統領に当選した不屈のドラマ。その迫力が多くの人々の胸を打たずにはおかないからである。

毎日新聞 2009年8月19日 東京朝刊

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