番外編:おっぱいと八ッ場(やんば)ダム
しかし、なんでテレビの選挙関連ニュースは、最後にその選挙区で立候補を予定している人を紹介するんでしょう?
選挙区のニュースであれば、多少はその必要性も感じるが、「田中真紀子氏、民主党入党」のニュースで、最後に「選挙区で立候補を予定している人」を表示する意味はどこにあるのか?
公示日に立候補の手続きを終えるまでは、あくまでも「予定」であり、実質的には「いない」も同然なのだ。
たとえば、私が勝手に政党を作り、東京一区から出馬を予定するとする。その場合は「与謝野対海江田」といったニュースの最後に、私の写真を流すのか。
一応、テレビ局にはそれなりの基準が存在するのだろうが、公示日前に「公平でござい」というポーズだけのために、いちいち既存政党はともかく、 毎回幸福実現党の宣伝をしてあげる必要は無いのではないか。
あれを見るたびにイヤーな気分になるのは、私だけかなあ。
・・・
14日の夜は、卒業以来33年ぶりの中学校の同級会だった。
正確には、間に一度同級会をやっているが、誰もその時期を覚えていないようなものだったので、33年ぶりと言っても良いかもしれない。
私は夏休みも無いので直前まで悩んだが、 少し無理してでも出るべきだと思い、金曜日の夕方の新幹線に飛び乗り、そのまま同級会に出席して実家に泊まり、翌日の昼に帰京した。
やっぱり行って良かった。
今年は、5月に高校のサークル(混声合唱)の同期会を卒業以来初めて行ったし、昔の仲間と会う機会が続く。それだけ歳とったということかな。
高校の同期会の時もそうだったけど、行くまではものすごく緊張する。
特に、私は記憶力が良くないので、中学や高校のことはあまり覚えていない。
しかし、思い切って行ってみると、いきなり時がその当時に戻る。
今回の同級会でも、私が表紙を書いたクラスの卒業文集をK君が持ってきて、それをみんなで笑いながらまわしていったり、近況報告をしているのに、「そういえば、おまえ中学校の時はああだったよなあ」と無理矢理その当時に引き戻したり、あっという間に4時間が過ぎてしまった。
パッとしなかった女子が、今や3人の孫がいて(これはショック!)、人材派遣業をやっているとか、結構独身が多いとか、意外な発見もあった。
そんな中、2次会で話をしていたとき、私の向かいに座ったYRさんを見て、一つのことを思い出した。
確か中学3年の時、私は教室の後ろの入り口から入ろうとしたら、何かにつまずいて、 前につんのめってしまった。その時倒れないように、とっさに手を出して捕まったのが、YRさんのおっぱいだったのだ。
まさに鷲づかみ。
突然の出来事で、その後のことはあまり覚えていないのだけれど、何事もないような顔をして席に戻ったような記憶があった。
あの時の手の感触は、今でも思い出せるくらい強烈で、男子であればわかってもらえるのではないかと思う。
そのことをふと思い出したので、YRさんに向かって、
「あのさあ、俺、中学校の時、Yの胸を掴んじゃったことあったけど、覚えてる?」と聞いたら、彼女は
「そうそう。覚えているわよ!でもなんだかわけがわからなくて、突然だったし、痛くて声も出なかったのよ」と言った。
隣では、女子のKIや男子のBKが腹を抱えて笑っている。
私は、「あれは、つんのめっちゃって、しょうがなかったんだよ。ごめん!」と33年ぶりに彼女に謝った。
でも、また書くけど、今でもあの時の手の感触を思い出す。
女子のみなさん、私は変態ではありません!普通の中学生ならそんなもんです。たぶん。
・・・
ということを、翌朝二日酔いの中でボーッとテレビを見ながら思い出していた。その番組では、各党の幹事長や政調会長クラスの議員による政策の議論を放送していた。
内容が公共事業のあり方になり、「八ッ場(やんば)ダム」の話になった。私は、このダムについていろいろ話を聞いていて、「こんなものはいらない」と思っているが、番組では、ダムのために立ち退いた人の話や、推進する立場の人の話も当然のように報じていた。
その中で、自民党の細田幹事長が、自信に満ちた表情で「兵庫や大分での災害のようなものが起こらないためにも、治水対策は必要なんです」と言っていた。
アホか。
八ッ場ダムは、昭和27年に発表されてから今まで、とにかく造ることを目的に進められてきた事業で、その後の水需要の変化も考慮されず、今では「ムダな公共事業」の象徴のようにもなっている。
「多目的ダム」というのは一見聞こえが良いが、要は治水でも利水でも、都合の良い方をその都度建設の理由に使う、ということであり、今の首都圏のように、当時の見通しよりも水需要が減ってきたら、主な目的を「治水」にするということだ。
細田幹事長は、先日の大雨の災害を持ち出してきたが、八ッ場ダムで本当にそのような災害を防ぐことが出来るのか。それ以前に、計画から完成までに大雨による洪水が起きる可能性をどう見ているのか。
本当に災害のことを考えているのであれば、完成するまでに大雨があっても災害を最小限で抑えるために、危険地域を決めて、そこには住宅の建設許可を出さないとか、吾妻川流域の防災対策をしっかり立てるとか、いろいろやることはあるだろう。それをやった上での発言なのか。
さらに言うと、ダム完成後も堆積土砂の浚渫作業が必要になり、多額の費用が必要となる。建設コストだけでなく、ランニングコストも考慮に入れなければならない。
他のダムの例を見ても、利水目的と言いながら、貯めた水を使うことなく、貯まった土砂によって、治水の価値も無くなってしまったものはいくつもある。
造るだけ造って、それが事業として失敗であった場合、いったい誰が責任を取るのか。
これは民主党政権になっても同じこと。政治家だけではなく、推進した公務員の名前もすべて刻んでおくべきだ。
道路建設も同じで、車の通行数を予測した担当者の名前と、建設を決めた首長と賛成した議員の名前を全部記録しておき、定期的に見直しを行っていくことは絶対必要だ。
造るだけ造っておいて、あとは野となれ山となれ。多額の保守管理費用が長期にわたって自治体にのしかかるような公共事業は、もういい加減に止めなくてはならない。
あのおっぱいの感触のように、5年経っても、10年経っても、建設時のナマの記録が呼び出される。そういうことを細田幹事長は言うべきであり、それこそが「責任力」というものだと思う。
「責任力」とは、自分がやってきたことに対して、最後まで「責任」を持つことを言うのだ・・・きっと。