「まっすぐに。」の書籍

出版社:竹書房
価格:1,260円
体裁:四六・200P
ISBN:4-8124-2644-8

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「いつも。」の書籍

出版社:竹書房
価格:1,260円
体裁:四六・200P
ISBN:4812432367

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青木あざみ「まっすぐに。」と
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40万人が泣いた!17歳の衝撃告白
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父からのメッセージ

あとがきに代えて

青木信義


 あざみには本当に苦労をかけた……これは間違いありません。だから、他の子供たちももちろん同じだけど、あざみには特に幸せになってもらいたい。これは私がずっと変わらずに抱いている想いです。

 いろいろあった我が家ですが……まずは、あざみが生まれた頃の話をしたいと思います。
 私が子供たちの母親、元女房と出会ったのは、私の姉がきっかけでした。一番上の姉が東京の江戸川にいて、飲食店でアルバイトをやっていたのですが、そこで一緒に働いてたのが別れた女房のお母さんだった。それで姉貴たちと飲みに行ったりするうちに、元女房と知り合いました。当時、元女房はまだ十代半ばでした。
 私はその頃運送屋に就職して所長をやっていました。所長といっても私ひとりで全部を仕切るような小さな運送屋。寝泊まりもそこの事務所でしているような形だった。しかし電話番が必要だったので、何もしてなかった元女房に来て貰うことにしたんです。その後、私と彼女は恋愛関係になり、彼女の妊娠がわかって一緒になりました。
 そして元気な女の子が誕生しました。それがあざみです。
 しかし……まだ私たちに家族3人の家を借りる余裕はありませんでした。運送屋はなんとかふたりで回している状態で、時間も、経済的にも、まったく余裕がなかった……そこであざみは一旦、施設に預けることになったのです。
 ただ必死で働くだけの一年でした。しかし私たちにはすぐ二人目の子供ができました。次女、あけみの誕生です。
 あざみとは年子ですが、その頃には少しだけ余裕ができて、あけみの誕生をきっかけに今の団地を借りることになったのです。しかしその部屋は地方から来る運送屋さんを泊めたり、風呂に入れたりする場所も兼ねていて、始終人の出入りがありました。
 私は車の運行管理や人をどうやって回して行くかなど仕事で頭がいっぱい。若い女房には、騒々しいなかでひとりの赤ん坊を育てるのが精一杯で、とてもふたりの子供の面倒を見る余裕はなかった。育児は女房にまかせっきりでしたから、強引に引き取るわけにもいかず、あざみを引き取るタイミングを逸してしまった……。
 そこからあいらが生まれ、義彦が生まれと続いていくのですが、私は増えていく家族のために必死で働くことに明け暮れて、あざみは施設に入れたままになってしまいました。
 もちろん、あざみのことはずっと気になってはいましたが、たまに施設に訪ねて行くくらいしかできなかった。
 6年間、いろんな逡巡がありました。仕事のことやらお金のこと、いろいろ順番的に考えるべきことはあったけど、あざみのことは常に頭から離れなかった。あざみは会うと喜ぶし、もちろんかわいい。
 たくさんの人のなかで育ったせいか、家にいる兄弟たちより大人びたようなところがある子に成長していました。それは元々の性格の違いかもしれないけど、それがまた少し悲しく、早く引き取りたい……そのことだけをずっと考えていました。
 そこでひとつの目標にしていたのが小学校に入る頃までにはなんとか引きとろう、ということでした。小学校の入学式は、せめてうちから出してやりたい……。
 結局、その目標通り、あざみが小学校1年生に上がる時、ようやく引き取ることができました。すでに家には子供が3人いましたが、子供同士は何度も会っているので上手くやっていけるだろうと思っていました。
 しかし……家族と一緒に暮らし始めたのはよかったけど、本人が書いている通り、あざみは母親と上手くいかなかった。私が仕事で家を空けている時に、すでにいろいろと確執があったようです。私もそのうちそのことに気づき、結果、再度施設に預けることになりました。
 もちろんそこから施設には何度も会いに行きました。あざみ本人とも施設の人とも「また家に戻ろう」という話はしていましたが、やっぱりあざみにとって、一度帰って来た時の嫌だった記憶が頭から消えないようで、なかなかすぐには再び引き取るという話にはなりませんでした。本人にとってその記憶が薄れない限り、また同じ結果になることでしょう。
 それで3、4年置いた頃……ある時あざみに「帰る?」と聞いたら、「帰る」と言ったのです。この機会を逃したらまたいつになるかわからない。それで5年生の終わりごろ、またうちに戻ってくることになったのです。
 しかし……。
 また私の知らないところで様々な問題が起こっていました。ところが、私はそれをまた仕事仕事で見過ごしてしまったのです。あざみは私に気を遣い、そのことをすぐには打ち明けませんでした……。

 あざみが家に戻ってからは、私は長距離トラックに乗ったり、再び土木関係の会社に勤めたり……。というのも、私は生まれ育った長崎から神戸に出て土木業や鳶職の修行をしたあと、埼玉の越谷で二番目の姉が嫁いだ義兄が経営する土木関係の会社で働いていました。今まで仕事の経験は土木やの仕事と運送業。この3点しかやってないけど、クレーンの免許など、その辺りの免許はたくさん持っています。
 自分で言うのもなんですが、仕事はマジメにするので、気がつくと人をまとめる仕事をすることが多い。しかし、それがために泊まりの出張も増えて、ますます家族と過ごす時間が少なくなっていました。
 がむしゃらに家族のために頑張っていることが、気がつけば家族との時間的な距離になっていたのです。
 もちろん、働くのは家族のためです。仕事をしなきゃ食べていけないから、家族のために働いていた。しかし、それが結果的に仕事にかまけてしまった形になっていた……。

 そんなある時、私は土木関係の仕事で独立をすることになりました。毎日忙しく働いて約一年、ようやく仕事が軌道にのった時でした。
 思いがけず、女房に出て行かれてしまったのです。
 帰ったら女房がいない。いつまでたっても帰ってこない。これは……と思って家の中を探したらお金もなくなっていました。しかも、当座に持っていったというだけではなくて、調べてみたらうちは借金だらけだったのです。私はちゃんと給料を入れてるのに何故だ!? 結局、パチンコやら何やらすべて女房の遊興費に消えていたようでした。ロクに家に帰れない亭主の穴を埋めるように、女房は家の外に楽しみを見い出していました。
 そんななかであざみら子供たちは暮らしていた……。私がいる時はいいけど、いない時はどんなことがあったのか。さぞかしひもじい思いもしたことでしょう。私はそのことに直面して、大きな衝撃を受けました。
 それはあざみが中学1年の終わりから2年生になった3月、4月のことです。しかし、この時あすかはまだ3歳、優は5歳です。私は幼い子供たちにとってまだ母親は必要だと思っていたので、この家出の後に女房や向こうの両親らとも話し合い、もう一回やり直すということで解決をみました。そして再び女房は私たちと一緒に暮らし始めたのです。
 しかし……。私はこのことがあってからは、毎日が心配で、しょっちゅう家に電話を入れていました。ずっと家で子供たちの面倒を見ているはずなので、現場に着いたら電話して、10時の休憩になったら電話して、これから帰るという前に電話して……。それが女房にとっては拘束されているような気分になったのかも知れません。
 7月のある日、一つの仕事が一段落して、次の仕事の見積もりを終えて明日からまた仕事に入るという時でした。再び女房は消えてしまったのです……。
 まさかまたやるとは思わなかった。子供は全員残しています。だから現実的に私が子供の面倒を見なくてはいけない。上の子たちが学校に言っている間、下の子たちをほったらかすわけにもいきません。幼稚園に入れるにしてもすぐには無理。取り掛かったばかりの新しい仕事は会社の若い子を動かして対応しようとしましたが、私が現場に行かないことにはどうしようもなくて、結局その仕事を下りることになりました。
 それがきっかけで会社の人間はバラバラになってしまい、私はしばらく仕事ができない状態が続きました。
 女房の借金を返済したうえに収入の道が途絶えるわけですから、この頃は金銭的にも精神的にもとても苦労した時期です。結局、市役所で保護を受けて、国のやっかいになりながら生活をしていました。今はもう切らせてもらっていますが、一時は本当に世話になった。

 家出した女房は依然として行方不明。地元だから情報はちょこちょこと入ります。あそこに似たような人がいたとか、勤めているのを見た人がいる、とか……。
 そんな情報を頼りに子供たちは一生懸命探しに行くんですが、ほとんどがガセ情報。私もかなり探しました。夜、子供たちが寝てから、漫画喫茶にいるんじゃないかと、上野や秋葉原など、都内にも捜索に行ったり……。
 しかし見つからない。

 ちょうど探し始めて1年が過ぎる頃でした。思いがけない人たちからの連絡があったのです。
 それはテレビの番組製作会社からでした。その人たちは大家族の番組を作りたかったようで、市役所で「家族の多い家を教えてください」と調べて我が家に電話をしてきたというのです。私は留守にしていたのですが、帰ったら子供たちからそんな伝言があり、驚きつつも電話をかけてみました。すると「すぐに訪ねたい」という話になり、とりあえず我が家で一緒にご飯を食べながら話をすることになったのです。
 結局、それがテレビに出ることになった始まりでした。確か最初の放送(2004年の2月)の半年くらい前のことだったと思います。
 しかし、その頃我が家では母親が家出をして、毎日全員で探しているような状態。そんな状態の家族が果たしてテレビに出ていいのか。恥をさらすようなものだし、子供たちは大丈夫だろうか……。もちろんそんな葛藤がありました。
 しかし、もしかしたら家族がテレビで呼びかけることによって、女房が帰ってくるかもしれない、という希望があった。どういう形にせよ、女房とは一度決着をつけなくてはいけません。このままではどうしようもない……。それで出演することに決めたのです。

 結局、家出してから一年半が経った頃、番組制作会社から連絡があって女房が見つかったという知らせを受けました。子供たちに「どうする?」と聞いたらみんな「一度会いたい」と言う。やっぱりそこは母親ですから、どうしていたのか、今はどういう生活をしてるのか知りたかったんでしょう。ただあざみだけは「あんまり会いたくない」と言っていましたが……。
 女房は実家の近くにいたようでした。そして新しい生活を始めていることも知りました。結局、私たちは離婚することになりました。
 しかし、番組のおかげで中途半端なままではなく、ひとつの決着を付けられた。結果的には番組に出てよかったと思っています。

 振り返ってみれば、私が常に家族と共にいる父親だったらこんなことにはなっていなかったんじゃないか。子供たちのこと、夫婦のこと、つい今でも考えてしまうことです。
 もちろん必死で仕事をしたのは家族に安定した生活をさせたいという気持ちからでしたが、でもそれが正反対の結果を招いてしまった。私の人生の選択ミスだったと思っています。今さら振り返ってもしょうがないとは思うのですが。
 そして……離婚が決まった後、あざみは、私がいない間母親にどんなにひどい仕打ちをされていたか、こっそりと私に打ち明けてくれました。
 うちの子のなかで一番親の愛情を間近で受けられなかったのはあの子です。だから引き取ってからは誰よりも親の愛情をあざみに教えていかないといけなかったはずです。それなのに私は仕事仕事で教えてやることができなかった。その上にそんなことまで……。私はいたたまれなくなって涙が出ました。あざみに謝り、そして深く反省をしました。

 それ以降、私は何よりも家族のことを考える父親になりました。
 以前の私なら、大規模な仕事も引き受けていましたし、出張も多くて飛び回っていたと思います。しかし、女房の一件があって以降は、あんまり仕事を大きくしないようなやり方で、家族と一緒にいられることを最優先に考えるようになりました。
 毎日顔を合わせて、毎日何かしら話をして、子どもとコミュニケーションを図る。それが親の役割として、家族にとって一番大事なこと———。それが遅まきながら、ようやくわかったのです。

 そんな生活になって、早何年か……。だから、何かあった時は子供の顔を見ているとたいていのことはすぐにわかります。
 今は親が子供にどう接していいかわからないというけど、家の家族に関してはそんなことはまったくない。例えば子供が友達となんかあったらすぐにわかる。子供はわかりやすいんです。家の中でしょげている子もいるし、すぐわかる。
 それで話を聞いて相談に乗る時は乗って。この間もヨシが学校で度重なるイタズラをされたようで落ち込んでいました。それを聞いた私はすぐに学校に電話をして先生を呼び出して話をした。どうやったら早期に解決するか、そんなことは学校任せじゃダメです。それで対策を講じることにしました。子供に相談された親は、解決策を実行して見せないといけない。それは親の役目だと思います。
 形を示す、というのは大事なことだと思う。一時期、うちの家族のことが週刊誌のネタにされて、事実無根のことをさも真実のように酷い書き方をされたことがありました。大人からすれば相手にせずに放っておけばいいようなもんですが、子供たちから「お父さん、何にもしないの?」という声が上がったのです。
 これはなにか形を見せないと……。相手にしないことを教えるよりも、子供には直球だと思った。だから何回か番組の製作会社さんを通して弁護士さんに会う機会を作ってもらい相談しました。
 私たちは間違ってない。そう思ったら、それに準じた形を子供たちに見せてやらないと、今度は子供たちが平気で人の心を踏みにじるような大人になってしまう。

 結局いろいろあるけど、どんな外敵でも家族の輪を作れば乗り越えていけることです。
 内から崩されると弱いけど、外からくる敵は防げる。仕事でも家族でもなんでもそうです。家は、一度内から崩されそうになりましたが、なんとかみんなで防げた。これからは一致団結で乗り越えて行くしかありません。そのことも教えたかった。
 でもそうやって私が家族のために奔走していることは、子供たちもわかっていると思う。だから、みんなが「お父さん!」と、私に甘ったれてくれる。それが私の一番の救いです。

 子供に対する愛情というのは、私は「いい子いい子」とかわいがって甘やかすだけが愛情じゃないと思っています。でもみんなそれをわかってくれている。
 厳しい時は本当に厳しく叱るのですが、愛情がある。同じ兄弟でも、クセも違うし性格も違います。だから叱る時は頭から怒っていい子と、怒らないでおだてながら諭す子と、パターンを変えるようにしている。その手間も親の愛情だと思います。
 それに、怒る時はみんなが見ている前で怒ること。これは大切なことだと思う。一対一のサシでも話しますが、最終的にはこの間、誰がこう言った、ああ言ったとみんなに話す。その誰かがやったことは、いいことなのか悪いことなのかを考えさせて教えるわけです。
 いま子供を叱れない親が多いというのが不思議だけど、子供の立場に立つ想像力が働かない人が多いのかもしれません。自分の子だったら関心があると思うんですが……。

 だから子供のことはしっかりわかっているつもりだったのですが、だけど、女の子は難しいもんですね……。
 私はあざみやあけみともよく話します。子供たちはみんなお父さんにじゃれついて甘えてくる。うちに遊びに来た仕事仲間の若い連中はそれを見て目を丸くするくらいです。現場で私は鬼のような形相をしてうるさい親父なのに、子供たちの前では全然違う顔になりますから。
 それくらいだから、母親の一件以降は、誰よりも子供のことをわかっている自負があった。だから……突然あざみに妊娠を告げられた時は本当に参りました。
 その辺りはテレビでも放送されていましたが、まさにそのまんまで、もう頭が真っ白。
 ショックというか、自分が情けなくなった。たいていのことはわかったはずなのに。しかもつわりがあったら、私も子供がたくさんいますから多分気づいたと思う。しかし、あざみの場合はどういうわけかまったくわかりませんでした。
 ……だから女の子は難しい。これはもう、男親の心の底からの声です。
 仕事のことだったらまったく動じない自信がありますが、この時ばかりは私もさすがにうろたえました。
 もちろん相手の男に対する怒りもあった。あざみへの責任と筋は通させたかった。だけど、筋は筋で大事なことです。大事なことですが、私がもっと大事なのは——自分の娘だった。
 あざみが選ぶ道を尊重してやりたい。あざみと話し合って、結婚するのは嫌だと言うなら、本当に心の底からシングルマザーの道を選択するならば、無理に相手の男と一緒にさせなくてもいいと思ったんです。そういう男というのは、無理に一緒にさせてもまたあざみが嫌がることをする。それであざみが苦労するなら、私たち家族で面倒を見たほうがよっぽど孫たちは幸せになるんじゃないか……。
 あざみが幸せになるにはどうしたらいいか。それだけを考えて選択したことです。だから、これは今でもそうしてよかったと思っています。

 しかし、あざみはまだ若い。
 これから嫁に行くというなら、私は反対する気はありません。しかし、あの子には子供がいるから、後戻りはできないと思っています。その辺をしっかりわかってくれる相手であればいいけど、あざみは世間知らずですぐ騙されるから…………。
 もちろんちゃんと金銭的にも家族を守ってくれる人間じゃなきゃダメです。生活していけなかったらみんな終わりですから。そんな男との付き合いだけは絶対にさせない、と思っています。
 また、あざみほしさに付き合ってすぐ「子供は引き取って面倒みるから、一緒になろう」というような男は、一番ダメ。付き合って何日もしないうちにそういう言葉が出てくるというのは、これはもうウソです。それに「好き」という気持ちだけですぐ結婚だなんだというのはおかしい。それだと子供がおろそかになります。ただ好きでくっついたり離れたりされたんじゃ、迷惑するのは子供たちです。
 やはり親として望むのは、ちゃんと自分の意思と意地を持っている男です。親に頼ったりせずに、自分で人生を突き進んでいく独立心の強い人間。そうじゃなかったら、あざみとふたりの子供の面倒をみることなんて到底できないと思う。
 そういう人が現れてあざみと子供たちを幸せにしてくれると、これ以上のことはありませんが……。
 ひとまずは、何年後になるかわかりませんが、あざみには今料理屋を開くという夢があるようなので、そこに向かって頑張ってほしいと思います。

 あざみに限らずうちの子供たちに望むことは、芯を持った大人になってくれることだけです。基本的なしつけというか、ご飯食べる時にはちゃんと座りなさいとか、お米を残さないようにしなさいとか、靴を脱いで揃える時は人の靴も一緒に揃えなさい……といった、私が親からしつけられたこと、または働き始めてからいろんな先輩方に教えてもらったことは、子供たちに教えてあります。
 大家族のよさは、こういうルールを上の子たちに教えたら、下の子もみんなやるようになる、受け継がれて行くところだと思う。今はヨチヨチ歩きのさとみまで靴を揃えるくらいです。
 だから最低限のしつけは教えたつもりです。それに、親が子供のために一生懸命に動く姿は、しっかり見せてきたつもりです。
 学校の勉強ではありませんが、その辺のことは子供たちにとって、実践の教育になってきたと思うのです。こういうことを知っているかどうかは、人間の芯になる部分だと思う。
 子供たちはこれからどんどん成長して大人になり、社会人になっていく。その時に、その芯をちゃんと役立たせられるかどうか……。
 芯がある人間は、同じ仕事をしても自然と成長して人をまとめていく人間になる。これは、私が仕事をするなかで何百人もの若い連中を見てきて絶対に言えることです。これくらいでいいや、と手を抜かずに、いつまでも成長する人間になってほしい。
 子供の成長は楽しみにしています。

 それで言うと、今、義彦は中学生ですが、卒業したら私の仕事を手伝いたいと言っています。
 もちろん私が勧誘したわけではなく、いつの間にか自分の気持ちで決めていたようで……私を見てそう決めたなら親としてはちょっと嬉しいこと。反対するのもおかしな話なので、私の仕事を手伝わせて、跡取りに育てようかと思っています。もちろん、現場では「ヨシの父親」じゃなくて、他の若い連中と同じ先輩や上司としての「親父」としてビシビシやるつもりです。
 ただ、まだ学校でしかできない学びもあるから、来年の中学三年生の一年間は、精一杯学生生活を楽しんでほしいと思う。ヨシは友達もけっこう豊富にいるし、学校を休むと絶対言わない強い子。このまま自分で決めた道を進んで行ってほしい。
 女の子でいうと、あけみはとにかく芯がピシっとしている子です。
 将来の夢や、これからの進路、行く学校も自分で決めて頑張っている。成績もまぁまぁの方で赤点はないから、補習に行かなくていいのですが「うちにいたんじゃ落ち着いて勉強できない!」と言って、わざわざ補習に行って勉強をしているような子です。もう自分の考えがしっかりあるから、今後も邁進してもらえば間違いないと思う。
 あいらは、一番おっとりしているから、あざみやあけみともタイプが違うのですが、間違ったことはしない子です。早くに自分の道を切り開くタイプではないけど、それはそれでいいと思う。将来はあざみがお店をやりたいという夢を持っているから、その店を手伝いたいそうです。そのために料理を教わろうと、今私の知り合いの居酒屋を手伝いに行っています。そこでもお客さんや店の人たちに可愛がられているようで……。人間、可愛がられることはとても大事なこと。これからもあいらはあいららしく頑張ってほしい。そしてあいらのためにも、あざみには夢を叶えてもらわないと……。
 翔や優やあすかはまだ小さいから、進路はまだまだですが、翔はサッカーをやっていて、活発な人気者。優は一番やんちゃだけど、その名前の通りすごく優しい子です。うちは女の子より、男の子の方が機敏にさとみやかなみの面倒を見る傾向がある。ビーっと泣くと、家の下に連れて行って、乳母車に乗せてあやしてくれたりして優しいのが面白いです。だからふたりとも、これといって心配はありませんが、何かやりたいことをやってつまづいた時に、自分で解決できなかったらお父さんに相談してくれればアドバイスくらいはできると思う。
 あすかもやんちゃだし、よく遊びまわっているけど、よくさとをつれて遊びに行ったりして面倒を見ています。まだまだ小さいけど、このまま、まっすぐに育ってほしい。上のお姉ちゃんみたいに、年ごろになったらあすかには一体どんな問題が起こるのかそれだけは今から若干心配ですが……。

 とりあえず、我が家は家族仲良くやっていくことが一番大事なことです。
 これから私はどんどん年を取って行くけど、家族はどんどん増えていくことでしょう。嫁に行く子供もいれば、嫁を取る子供もいると思う。それぞれが家を出て独立して、そこで新しい家族を築いても、今の青木家を同じように、愛情が溢れる家にしてほしいと思います。
 自分が家族のみんなから受けた愛情と同じように、新しい家族にも愛情を注いでほしい。それが一番嬉しい。
 そして新しい家族を連れて気軽にうちに来てほしい。みんながひょいと寄ってくれて晩飯をで囲む……豪華なおかずなんてなくてもいいんです。お茶漬け一杯でもみんなで食えればそれで嬉しい。
 私にとって、それが一番幸せなことです。

 しかし、まだまだ子供も孫も手が掛かる。
 私がのんびり隠居できるのは遥か先のようです……。
 私もあざみも、青木家の家族一同、これからも変わらず仲良く頑張りますので、どうか見守ってくださるとありがたいです。
 それでは……長い長いあとがきに代えて……。