これも小学4年生の事であると認識した上で読んで下さい。
「トール、ほらここ!ついてる」 私「ここ?」
「こっち!」 私「ここ?」
「ちがう、ここ、ここ!」 私「なーんだ。ここかぁ」
「トール、ほらここ!ついてる」 母が私の顔を見て、自分の頬に指を当てる。
「ここ?」 私は、母が右手で、右の頬を触っているので、右手で右の頬を探る。
「ちがう、ここ、ここ!」 母は逆の頬を触る。
「なーんだ。ここかぁ」 私も逆の頬を探って、ようやく顔に付いたごはんつぶを探り当てる。
本当は、もっと長いやりとりで、2人で顔を見ながら、右手を出したり、左手を出したり、コントの様なやりとりの後、
ようやく目的を達するのだ。
何十回も同じ様なやりとりの後、母も根負けしたのか、私の右頬に付いている時は、自分の右頬を指すようになった。
丁度同じ4年生の春の運動会シーズン。校庭で生徒が集まって体操の練習が始まった。
教師が壇上に登り、模範演技をする。当然こっちを向いて体操する。
私は、腕の右旋回、左旋回の時、教師がするのと同じ形、同じ方向に回した。
他の生徒は、教師と鏡の形で動くが、私ひとり、教師と全く同じに動く。当然みんなとは逆の動きだ。
「なんでみんな、分かんないんだろう。オレのやり方が正しいのだ」合同練習の度に、私だけ逆に動く。
(注:ここから先は、やはり最近思い出した事)
遂に、号令を掛ける先生の横で、鳥居先生が背中を向けて立った。
「鳥居先生は皆さんの体操の手本を示します。皆さんは鳥居先生と同じ動きをしましょう」
私は、「ほら、みんな分からないから、遂に鳥居先生が手本を見せる事になったんだ」と考え、
「今日は、ようやくみんな合ったな」 私一人納得して帰った。
実は、みんなが間違っていたのではなく、私一人「考え違い」していただけだったのだ。
これは、人が対峙した時、無意識に(自動的に)鏡の動きをするのだ。もちろんSAMの働きのおかげだ。
しかし、私には自動で動く「SAM」の自動プログラムが無いから、理屈で考え、それに従っていたのである。
当時、職員室では、如何に山岸を上手く体操させるかが、課題だったんだろう。
こんな生活を、「現実に」送っていると、とてもアスペルガー症候群が6%(伝聞)も居るとは思えない。
それなら、クラスに一人、運動会の度に、こんな子供が20人も30人も出てくるはずなんだ。
意図的に、アスペルガー症候群、発達障害を増やして、発達障害対象者を増やして、
「特殊教育から特別支援教育へ」という、意図によって作り出された数字である事が、今なら分かる。
障害者の為ではなく、障害者を商売に、儲けようとする人たちの為の政治をしようとする人たちが居るのだ。
2007/6/7(木)のブログ 復元記事