武田美保の母
 〜 人魚を育てた反省会 〜
第205話      2005年10月30日放送

「縫っているときは自分の子に一番似合うようにね、綺麗に見えるようにね」

シンクロナイズドスイミングのスイマー、武田美保、29歳。
アトランタ、シドニー、アテネ五輪の3大会に連続で出場、合計で5つのメダルはデュエットのパートナー、立花美哉と並び日本人女性の中で最多の数である。
「オリンピックに出たい!」それが彼女の子供の頃からの夢。
そんな彼女をシンクロの世界へと導き、叱咤激励しながら彼女と共に歩んできたのが、母・玉子だった。

武田美保は1976年、京都で生まれた。
幼い時はのんびりとした子で、母は娘を『トロ子』と呼んで可愛がった。
母・玉子はスポーツが得意でどんな競技でもこなしたという玉子。
娘とは対照的なほどチャキチャキとした、活動的だったお母さんである。
美保は5歳の時に近所にある名門スイミングクラブ、京都踏水会に入門。
そして7歳の時に初めて見たシンクロに、幼いながらも大きな衝撃を受ける。
彼女は即座にシンクロコースへと進む決断をした。
シンクロコースに進んでからは、順調に成長を続けた美保。
その影には常に彼女に声をかけ続け、支え続けた母・玉子の姿があった。

美保の着る水着の装飾は、なんと全て母・玉子の手作り。
多いときには一つの大会で6枚もの水着にスパンコールを縫い付けなければならなかった。
しかし、母はそれを苦にすることなく、ただ娘が綺麗に見えるようにと、スパンコールを縫い続けた。

そんな母の思いに応えるように、美保はメキメキと実力を付けていく。
そして、17歳の時にはナショナルチームに入り、20歳の時には子供の頃からの夢、オリンピックへの出場を果した。
そして翌年、ついに日本のエース・立花美哉とデュエットを組むこととなる。
しかし、立花の動きに同調させなければいけないプレッシャーに、美保の苦悩の日々が続いた。
そんな娘に母は毎日向き合い、全てを娘に語らせた。
そして、2000年のシドニー五輪、金メダルの期待がかかる中、競技中、武田と立花の足があたるという痛恨のミスを犯してしまう。
結果は銀メダル。
しかし、翌年の世界選手権では王者ロシアを破り、ついに金メダルを獲得した。

失意のどん底から頂点へ行くまでのその一年間、母と子はいかに向き合ったのか、知られざる秘話を紹介します。
また、子供の頃からシンクロ一筋で、故郷・京都を見ずに育った娘。
そんな娘と母の京都の旅を交えながら、二人の足跡を追っていきます。


取材先:
京都府
ハワイ
出演者:
武田美保
制作担当:
プロデューサー 加納 満 (ViViA)
  プロデューサー 高梨 聞吉 (テレビ朝日)
  演     出    大澤 康二 (ViViA)