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サギタリウス・チャレンジ - sagittarius challenge -

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2004年度 入賞者作品

受賞作品

優秀賞

「ユメは360° 〜『天』から『ペン』へ〜」
理学部物理学科 3年次 松原 正和(まつばら まさかず)

審査員講評

 行動力に溢れた学生生活の軌跡を読んでいて、小気味よい。人生の可能性は、360゜の視界で開けている。その可能性の中から、自分のやりたいことを実現するためにあらゆるチャンスを活かして行動していく。本学で天文学を学び、夢は「天文学者」にという未来の自分をめがけて、学生生活のすべてを賭けて突進していく実践力、しかもその実践による成果が、広く社会の人々に認められていったこと、これは得難い経験になる。そして、360゜の視界の中での目標の転換、「天」から「ペン」への転換。いつもプラス思考で、あらゆるチャンスを活かして行動する先には、「天文雑誌」編集というユメの実現があることを確信したい。

作品内容

「ユメは360° 〜『天』から『ペン』へ〜」 松原 正和

 「天文学者になりたい!いや、なってみせる!」
 私の夢だった。自分は天文学の道を行く。この夢が変わることは絶対にありえない。最近まで、そう思っていた。360°周りを見渡せる「視野」は、そう簡単には身につかない。

 北海道の片田舎、じゃがいもと牛乳がおいしい十勝平野から、私は関西へやってきた。京都産業大学で、「天文学」を学ぶためだ。高校時代から根っからの理系で、星をながめることが大好きだった私は、当然のように天文学という分野に興味を持った。
 そして、高校3年のとき、友達と見た「しし座流星群」が決定打になった。周り一面360°流星が降り注ぐ夜空に、北海道の夜の寒さも忘れ、畑ではしゃぎまわった。そのとき、脳裏に強い思いが走った。「この神秘的な宇宙のことを、もっと知りたい!」それからは、天文学の分野しか目に入らなくなった。

 私は、京産大に入学してすぐ天文同好会に入った。学長表彰を受賞するなど、優秀な結果を出しているクラブだ。ここなら、自分のやりたいことができる。そう思うと心が躍り、嬉しさが込み上げた。
 欲しかったが、お金がなくて買えなかった天体望遠鏡が目の前にある。知識がなく、できなかった天体写真の撮影も、先輩方が教えてくれる。思う存分カメラのシャッターをきれる。レンタカーで、どこへだって天体観測に行く。すべてが初めての体験ばかりで、毎日がすごく楽しかった。素晴らしい先輩や仲間にも恵まれ、何もかも順調だった。物理学科での授業にも力を入れ、「天文学者」という夢に着実に近づいている。そう思っていた。

 大学生活にも慣れると、私は先輩方と積極的に天文イベントに参加した。京都にはじまり、大阪、兵庫、和歌山、東京など、自分でもおどろくほど積極的に飛びまわった。
 なかには、参加費が高いイベントもあった。交通費を含めると、バイト代が全部消えることもめずらしくないのだ。だが、まったく苦にはならなかった。他大学の学生や天文台の職員、さらに有名な先生方と、天文学について多くの話ができたからだ。テレビによく出演されるほどの先生と、肩を組んで酒を飲み交わすという貴重な体験もした。

 こうして私は、大学の外へと恐れずに飛び出し、多くの人と触れ合うことの大切さを学んだ。出会った人達の考えや価値観に触れることで、私の視野は広がっただろう。ずっと部屋に閉じこもったままでは、何の発見もないし、狭い範囲しか見渡せない。勇気を出してチャレンジすれば、新しい何かを発見できるのだ。「もっともっと積極的に!」私は心の中で、このスローガンを掲げた。そして、いろいろな場面でそれを実践していった。

 天文同好会では、ボランティア活動も積極的に行なっている。京都府の天田郡夜久野町。ここでは定期的に星の観望会が開かれている。また、この町は京産大の創設者であり、初代学長の荒木俊馬先生が過ごされたことのある土地だ。そんな縁があり、私たちに助っ人として白羽の矢が立ったのだ。私はとくに積極的に参加した。
 望遠鏡に映る木星や土星は、子どもたちを満面の笑みにさせる。その笑顔は、私たちまで幸せにしてくれる。それだけで、遠く夜久野まで赴くには十分な褒賞だ。
 最初のころは、会議で論点のずれた話し合いになることも多かったが、今では夜久野側の人々と理解し合えるようになった。子どもたちに星を見せたい。その共通の思いが、信頼関係を築き上げたのだ。そのおかげで、観望会には毎回呼ばれている。

 「学生のうちでも、社会に一足はやく触れておくことは必要だ」様々な経験を通じ、私が感じたことだった。会議での駆け引き術を先輩から学び、自分の名刺の作り方も覚えた。緊張して震える手で、社会人と名刺交換もした。自ら進んで多くの人の話や考えを聞き、今まで以上に様々な価値観に触れた。自分の視野が、広がっていくのがわかった。
 また、子どもたちに星の話をしてあげると、新しい情報に子どもたちは聞き入る。それは大人でも同じで、いっしょに観望会の準備をした町の人も、私たちの説明に感嘆の声を上げた。新しい情報や人の知らない情報を伝えることに、私は興味を持ち始めていた。

 1回生も終わりに近づくころ、私にすごい話が飛び込んできた。何度も研究会でお会いし、天文台の浴場で裸で語り合った東海大の方からだ。私は、彼の研究グループが行なっている「地球照分光観測」に非常に興味をもっていた。天文イベントでそのグループの先生にお会いしたとき、「もしよければ、私を使ってください!」と、名刺を渡したほどだ。それが縁となり、日本でまだ始まったばかりの観測に、参加させてもらうことになった。
 将来、必ず行なわれる地球外生命体の探査。その模擬となるすごい観測に参加できるなんて、またとないチャンスだ。私は、飛び跳ねるように夜行バスに乗り込み、東京の国立天文台へ向かった。
 私の仕事は、観測データをパソコンに入力するなど、簡単な役目ばかりだった。しかし、日本ではまだ、だれも行なっていない観測である。それに参加できるなんて、人生の中でそうそうあるものではない。目の前の巨大な天体望遠鏡を、リモコンで操作することもでき、私は大満足だった。
 夜は、国立天文台の先生方といっしょに酒盛りをした。私以外は皆、その道のプロである。数年後には、ノーベル賞も確実という先生もいらっしゃった。「こんなチャンスを逃してはならない!」私は、緊張で震えながらも、全員と朝まで語り尽くした。
 ある先生が私に言った。「早くに目標や夢を定めすぎて、視野が狭くなっていないかい?君はまだ1回生だろう。もしかしたら、もっとやりたいことが見つかるかもしれない。天文以外にも、いろいろなことに手を出してみたらどうだい?」。

 京都へ向かう帰りのバスに揺られ、ずっと考えていた。「もっともっと観測を手伝って、さらに深いことを学んでいきたい!」私はそう感じなかった。私に込み上げてきたのは、「この観測のことを、まだ知らない人たちに伝えたい!」という思いだった。

 国立天文台での貴重な体験を、私はレポートに書いた。私たちの天文同好会は、月に一度、「夢限大」という冊子を作成している。観測結果や、イベント参加のレポートをまとめたものだ。自分たちで表紙から裏表紙まで作り、何百枚も印刷する。そして、何十部にもわけ、ホッチキスで留めて製本する。それらは、大学をはじめ、多くの天文台や研究をしている先生方、そして天文雑誌を発行している出版社に送付される。
 心から伝えたいことを文章にまとめ、私の運命を大きく変えることになる夢限大No.35号の送付が終わった。

 3ヶ月後、耳を疑う知らせが舞い込んだ。有名な天文雑誌に、私の書いたレポートが掲載されたというのだ。すぐに書店に走り、その雑誌を手にとってページをめくった。見たことのある記事が載っている。間違いなく、私の書いたレポートだった。「地球照分光観測のご紹介」というタイトルで、徹夜で考えた文章がそこにはあった。この観測のすばらしさを、少しでも多くの人に知ってほしくて書いたレポート。それが、全国誌に掲載され、1つの情報として各地に発信されたのだ。たった半ページの記事だったが、今まで迷っていた思いを固めるには、十分な量であった。視野が広がって、ようやく形が見えた。

 「編集者になりたい!」新たな思いだった。
物理や数学にのめり込んでいた私の目には、編集という仕事はなかなか映り込まなかった。いや、目に見えても、視野の外に追い出していたのだろう。今までと全くちがう方向へ、今さら夢を変える自信がなかったのだ。物理学科に入り、天文の勉強をしていた自分がマスコミに行けるのか?そう考えると、怖くてしかたなかった。
 だが、天文同好会で経験した出来事は、私の視野を大いに広げてくれた。自分にも自信がついたし、チャレンジすることも学んだ。そして、私の思いは揺らぎ始め、自分の真にやりたいことに気づいたとき、私の夢は大きく方向を変えた。今、私の目には、「編集」という仕事がはっきり映っている。より大きく、視野の真ん中に。

 こうして、星を愛する理系人間の、マスコミへの挑戦がスタートした。一般的には、物理学科からマスコミ、その中でも出版に行くなんて、無謀だと思われるだろう。自分でもそう思っていたのだから。なんといっても、私は漢字が苦手だ。大学に入ってからは、普通の日本語の文章よりも、数式とにらめっこしていた時間のほうが長い。不安になるのも当然だった。自分以外のマスコミ志望者から見ると、私はとても出遅れていると。
 しかし、いつまでも悩むことはなかった。自分の気持ちは、はっきりしているのだから。苦手な部分は勉強すればいい。答えは単純だ。定まった目標ができれば、考え方がすべてプラス思考になるのは、私の強みである。

 最近、私はメモ長を持ち歩いている。おもしろいネタが思い浮かんだら、すぐに書き留めるためだ。ネタ帳と言ったほうが正しい。それを基に文を書き、文章力をつけるのが狙いだ。そして、漢字検定の勉強もしている。より深く理解しながら、難解な文章を読めるようになりたいので、卒業までに準1級は取得するつもりだ。
 また、夢限大の製作時に、校正の作業にも非常に興味を持ったので、校正技能検定の通信教育も同時にやっている。楽しく勉強できて、図書館を出るのはいつも閉館ギリギリだ。
 それから、もう1つの私の弱点である「政治」も勉強している。新聞やテレビを見てもさっぱりわからないので、詳しい友達に質問攻めだ。そうやって、私の理解できる言葉で説明してもらう。頼りになる友達だ。そのうち、食事でもおごってあげよう。
 天文同好会では、「オープンキャンパス」や「サタデージャンボリー」にも参加した。大勢の子どもに追いかけ回されてへとへとだったが、すごく楽しかった。

 さらに、視野をもっと広げて社交性を養うため、今まで以上にボランティア活動に取り組んでいる。今年の6月には、柊野小学校で観望会のお手伝いもした。私は校長先生をはじめ、多くの先生方と積極的に話し合いをして、とても良い経験ができた。
 「何してるん?」観望会当日に、一人で準備していたとき、私は男の子に話しかけられた。スライド上映班のリーダーである私は、アンドロメダ銀河のフィルムを見せた。「すごいだろ。今日の夜の観望会はくるの?もっとすごいのを見せてあげるよ」すると、その男の子は興奮しながら「すっげぇ!夜また来るし、楽しみにしとるわ!」と笑顔を見せた。観望会は大成功に終わり、柊野小からは次の観望会の依頼もきている。

 星を見せたときのあの子の表情は、今でも覚えている。人に情報を伝える仕事をやりたいと、あらためて感じた。それも、やるなら一番好きな文という手段で。文章を書くことが大好きな私なら、出版の仕事はきっと「やりがい」がある。編集や校正など、書くことが主ではなくても、私は絶対に楽しくできる。流行を追うのも、人に伝えるのも大好きだから。あのときの男の子のように、知らなかった何かを知ったとき、感動してくれる人がいるなら、この仕事には意義がある。そして、多くの人と関わるこの仕事は、今まで以上に得るものがあるはずだ。さらに、星に関する記事を扱えたら、きっと自分にとってこれほど嬉しいことはないだろう。

 私は、天文学者になるためにがんばった時間を、決して無駄だとは思わない。すべてが自分にとってプラスになったし、今の自分を形成する大切な時間だった。これからは、趣味として星に触れていきたい。多くの経験は、必ずキャリアに結びつく。

 何かを始めようと思ったとき、遅すぎることはないのだ。「ユメは360°」いつだって、どこにだって、方向転換は可能だ。私は、必ず出版社に行ってみせる。
 そしていつか、自らの手で天文雑誌を刊行したい。多くの人の、夜空を見上げる時間が少しでも増えるように。
 「天」への思いはすべて、「ペン」へと託そう。それが私のキャリアプランだ。

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