ピョコタン

 このブログにもリンクしているピョコタンなる人物います。彼は私よりかなり年上なのですが、なかなかリアルではお目にかかれない職業の漫画家さんです。

 おそらく、道行く人100人に聞いたら1人知ってましたぐらいの知名度でしょう。ゲームラボと少年タケシという雑誌に連載していますが、他にもラジオをやったり雑誌の企画に参加したりしています。

 私の裁判に来てもらって漫画も書いてくれたので感謝しています。ただ、書いている漫画がレポートみたいなので、これだと漫画家なのか記者なのかタレントなのかよくわからない面もあります。本を作る人という意味では同じなんですけどね。

 私も漫画家って何人か会ったことあるんですけど、やっぱりその職業性格ってのがありまして、なんか共通する部分があるんですよね。色んなタイプの人いるけど、やっぱり何かこうものの考え方が全方位なんですよね。柔軟というか。会って話した限りではピョコタンはとても良い人ですよ、たぶん。

 
 

私はダメ人間だけどわりと良い人ですよ

 性格が良い、悪いって話はしますね。何をもって基準とするのかもちろん明確なものなんてあるハズもありません。ありませんが、まぁだいたい自分勝手で、他人に迷惑ばっかりかけて、自分のことしか考えず、他人が不幸な目に合っているのを見て喜び、弱いものいじめや嫌がらせをして、不正行為ばっかりして、いつも嘘をつくなんていうのが性格の悪い人でしょう。
 
 他人のことを思いやる、勤勉で意欲がある、社会貢献を考える、低姿勢で、人に優しく自分に厳しい、社会のルールは守り、正直で隠し事はせず、清潔でキチッ、キチッとしているような人が性格の良い人ではないですかね。

 ダメ人間っていうのはこれとはちょっと違う気がするんですよね。なんか、いい加減で怠惰で、口ばっかり動かして体は動かさない、楽ばっかりして、ふざけているみたいなのがダメ人間ではないですかね。

 私はダメ人間だけど、性格はそんなに悪くはないと思いますよ。逆に、仕事できても性格悪い人って沢山いますからね。東京地裁の両脇の裁判官なんかまさにそうです。取調べ官もそうですが、まさに性格悪い事この上ないです。こんな悪い人間が多い日本だったら、普通ぐらいの私でもかなり性格は良い部類に入るんじゃないですかね。
 

コメントの削除と投稿拒否

 ブログには投稿というものがつきもので、このブログにもこれまでコメントができるように自然となっていたのですが、私はこれをできないようにしました。また、今までのコメントも全部削除しました。たぶん、これからは投稿できないようになってると思います。

 理由は迷惑メールと荒らしコメントばかりだからです。まぁ、私もさんざん人のチャットやブログを荒らした経験があるのでその心理はよく分かるんですが、これはやっぱり相手の顔も見れない、誰だかもわからない、しかも匿名だからという理由でメチャメチャ書きこめるのです。

 このブログにもリンクしている「廃墟少女さまりー」のブログが閉鎖されてしまいました。理由はわかりませんが、おそらくメールが叩きばっかりだったからでしょう。

 匿名、自分が問われないというのは恐ろしいもので、何でもできるものです。これは私の人間観ですが、人間というのはそもそも自分勝手で、1人じゃ生きられないのに自分さえ良ければよいという性質を誰もが持っている。これは私を含めて誰もがそうです。しかし、現実社会では相手がある。相手があるから何事にも勝ち負けがあって押し引きが生じるし、本当は10やりたいが、相手に7取られたから3しかできなかった。これでは悔しい、不満なのでせめて相手と同じ5は取りたいと思う。でも、そのためには相手と同じだけのことをしなければならない。7取るには相手よりも多くのことをしなければならない。こうやって努力や頑張りの価値とか実感が表れてくるのです。

 自分が問われないというのは責任を取らされないということです。普通、人というのは例えば、何か盗みたい、ムカツク奴を殺したいと思ってもそうすると、今度は自分が逮捕されて刑務所行きになるので普通はやらない。それでもやる奴はいるけれども、まぁ、そういう自分に跳ね返ってくるということが大きな抑止力になっている。

 だから、ネットの世界が汚いということはなくて、そもそも人間が汚いのです。その汚い部分というのが普段の会話ではある程度、抑えられているけれどもネットの世界では本音の多くが出されているというだけの話なのです。こんなことは誰もがわかってると思いますけどね。
 

ウサイン ボルト

 2009年、ベルリンの世界陸上において100m9秒58  200m19秒19 という世界記録が出された。この世界一速い選手はジャマイカのウサインボルト。どちらも自身が持つ2008年の北京オリンピックの記録をさらに更新した。

 さて、ここで私が考えるのは、このウサインボルト選手は100mを9秒58で走ったとき、200mを19秒19で走ったときに、しんどい、辛いと感じたかどうかということだ。私は体を動かすのが好きじゃないので全速力で走っている瞬間なんて辛いだけで楽しくもなんともない。が、ボルト選手はおそらく走るのが好きなんだろう。だから、全速力で走っている瞬間は集中して充実しているに違いない。

 人間というのは、本来自分が持っている実力よりも低いものしか出すことがでいないという苦痛は、努力そのものの苦痛よりもはるかに大きいものなのだということに、案外、気づいていない。これをこのボルト選手の例に当てはめてみると、彼に今後一切、100mを10秒以下で走ることを禁止する。200mを20秒以下で走ることを禁止する。と制約するということだ。こんな制約をされたらボルト選手は苦痛のあまりおかしくなってしまうかも知れないのである。

 これは、あらゆることに言える。我々は小学校、中学校、高校、大学とずっと長い、人生の前半期を学校で終える。この間、学校で学ぶことはくだらない授業で、これは集中してやれば1日で終わるようなことを1週間、1ヶ月かけてやっている。集中してやれば1年で終わることを3年も5年も10年もかけてダラダラやっている。

 社会に出ても、社会的な力というものは年寄りがほとんど握ってしまっていて、若い人というのはその多くが陽の目を見ない。そして、この国の将来性を考えたら、一生単位で見ても今の若い人は恵まれないだろう。

 この国の若い人が苦しめられている一番の原因は、この「ゆっくり走れ」という社会的な制約であろう。若い人の中には数多く100メートルを12秒で走る、15秒で走る実力があるのに、一部の遅い20秒ぐらいの人に基準を合わせられて全体として進行速度を遅められてしまっている。その一方で30秒とか1分とか、或いは足が悪くて歩けないというような極々、一部の障害者は走ることを免除されて、保護が与えられる。

 この歪んだ社会構成が全体の走る気力の低下の最大の原因であると思われる。今現在、社会で猛スピードで走っている人達というのは、実はそんなに能力の高い人間ではなく、この歪んだ社会構成の中でも走る気力を失わずに走り続けている人達なのだ。本来、もっと彼らよりも速い10秒や、ひょっとしたら9秒で走れるかもしれない人が20秒や30秒で走ってしまっているということが問題の根本なのです。
 

無罪活動、宣伝

 やっぱり、この事件を広く社会に知ってもらうために、無罪活動を繰り広げる必要がある。よく、裁判所の前で街宣活動やビラ配りをしている人がいるが、あれはうざいのでやっぱり私はネットを中心に活動したいと思います。

 例えば、1日に10個コピペすれば控訴審が終わる100日までに1000個コピペがネットに出回ることになる。そうすると、1つのコピペを10人が見たとすると全部で1万人が見ることになる。やっぱり、ネットというのは宣伝にも適していると思うんですよ。

 あとは、やっぱり警察やら都庁やら弁護士事務所やらあっちこっちに電話することだ。
 
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