不整脈による内出血のため3日に死去した女優・大原麗子さん(享年62)のお別れの会が23日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、発起人の女優・森光子(89)、元夫の俳優・渡瀬恒彦(65)、歌手の森進一(61)ら関係者400人、一般ファン600人が参列した。発起人の1人で、生前の大原さんと親しかった女優・浅丘ルリ子(69)は、大原さんが10年来苦しんだギラン・バレー症候群の壮絶な闘病の様子を告白。親しい友人に深夜の不満電話をかけるなど、大女優の寂しい晩年を明かした。
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やるせない気持ちでいっぱいだった。「あんなにやさしくて可愛かったのに、突然わがままで頑固に」。88年に撮影された澄まし顔の遺影の前で、浅丘は瞳に涙をためながら、あえて“妹”との苦い日々を明かした。
運動神経の障害を起こし、手足に力が入らなくなる難病「ギラン・バレー症候群」の闘病は、想像以上に過酷だった。徐々に体の自由が利かなくなり、大原さんは、気を許せる人に電話でストレスをぶつけた。
深夜2時、3時でもお構いなし。中身は他人や自身への不平不満。何度も同じことを聞かされたという。
大原さんと浅丘は33年の付き合いで姉妹同然だった。お互い結婚しても、毎年正月は浅丘の実家で過ごし、大原さんが浅丘の両親や姉の最期に立ち会うほどだった。だが電話の件もあり「ここ数年、何度も言い合いし、ケンカし、距離を置いたこともありました」と明かした。
昨年11月、大原さんが都内の自宅で足元がふらつき転倒、右手首を骨折した。心配した浅丘が家を訪ねると、大原さんが飛びついてきて「何ですぐに来てくれなかったの?ずっと待ってたのよ」。大原さんは泣きながら怒った。それが、最後の対面だった。訃報(ふほう)を受け入れられない浅丘は、遺影が泣き顔に見え、抱えた病が大原さんをかたくなにしていたことに気づいたという。
この日会場では、NHK大河ドラマ「春日局」などメモリアルVTRが上映された。親しい人との関係も壊れるほど壮絶な闘病をした大原さん。晩年、表舞台から遠ざかったが、それでもCMの名ゼリフ通り、長〜く愛され続けた大女優だった。