衆院選がきょう公示される。30日の投開票へ向け、選挙戦は事実上の終盤戦に入る。
本格的な二大政党の時代になってから初めて、政権が交代する可能性が高まっている。政治をどの党、どの党首に委ねるか、目を凝らしたい。投ずる一票によって、私たちは社会と暮らしを変えることができる。
一票の権利の行使。それは同時に、いい結果であれ期待に反する結果であれ、選択の結果をわたしたち有権者が引き受けることを意味する。
憲法前文にうたわれている。
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
選んだ党、政治家が期待通りの仕事をしなかったら、判断ミスを反省しつつ、次の選挙で選び直すことを考える。それが民主政治のプロセスだ。
<ばらまきが目立つ>
麻生太郎首相が衆院解散を表明してからの流れを見ていて、気になることがある。政権の座を激しく争う自民、民主の二大政党の政策の違いが、ますます分かりにくくなってきたことだ。
定額給付金、エコポイントなど景気刺激型の財政運営を続けてきた自民党は、選挙に向けて幼児教育の無償化や新しい奨学金制度を打ち出した。民主党は高速道路の無料化、農漁業の戸別所得補償、月額2万6千円の「子ども手当」が目玉政策だ。
耳には心地よく響くものの、厳しい財政事情に目をふさいだ人気取りの印象も受ける。両党は実際、互いに「ばらまきだ」と攻撃し合っている。
万年与党・万年野党の座に安住する政治から、政権交代の可能性を常にはらむ政治へ。その変化が意味するところは大きい。政治と行政の透明化が進むからだ。
しかし政権党が代わっても政策の中身があまり変わらないとすれば、意義は半減する。
<対立軸はどこに>
違いがなぜ分かりにくいのか。両党それぞれ事情がある。
自民党は小泉政権の約5年間、競争政策を推し進めた。その中でひずみがたまり、社会問題になっている。「ワーキングプア」をはじめとする格差への対応は“ポスト小泉”の自民党にとり、最も急を要する課題である。
しかし4年前の「郵政選挙」での勝利があまりに劇的だったために、自民党は明確な軌道修正ができなかった。政策を変えれば郵政選挙の結果の否定になる。「それなら衆院を解散し、総選挙を」との声が国民から上がるのは避けられないからだ。
安倍−福田−麻生の3代の政権が選んだ道は、はっきり国民に説明しないままの、なし崩しの財政拡大路線だった。
民主党は旧新進党、旧社会党など、さまざまな経歴を持つ政治家の集まりだ。政策運営の軸を定めにくい弱点を持っている。政権の座が近づくにつれ、こちらも安易な人気取りに傾いた。
民主党の公約には経済成長を促す戦略がない−。麻生首相はこう批判する。
民主党はかねて「国民の生活が第一」を旗印に掲げてきた。マニフェスト(政権公約)には「ヨコ型の絆(きずな)の社会」「中央集権から地域主権へ」といった言葉が並ぶ。政策は全体に、分配を重視する色彩が濃い。
自民党が生産面を重視し、民主党が社会政策を重んじる政権運営を心掛けるなら、米国の共和党と民主党、英国の保守党と労働党との競い合いに似た図式になる。投票するときの目安として、国民には分かりやすい。
鳩山由紀夫代表はきのうの日本記者クラブ主催の党首討論で「子ども手当」創設に伴う一部世帯の負担増について、「社会全体で子どもをはぐくむ発想として理解してもらいたい」と述べた。ここを丁寧に説明すれば、民主党の主張はより鮮明になる。
少子化、高齢化が急速に進んでいる。成長を前提にしたばらまき政策がもう不可能なことは、国民は分かっている。低成長に伴う痛みは、誰かが何らかの形で引き受けなければならない。
どうするか。小泉流の「小さな政府」路線を進むか、負担増を国民に求めるか、それとも第三の道があるのか。国民はそこを聞きたい。なのに各党とも大きな方向を示せないでいる。
<構想力が問われる>
大事なのは、どんな社会を目指すのかという構想力だ。投票日まで約2週間。政治理念と政策を分かりやすく訴えるよう各党に求める。外交、安全保障、憲法、地方分権…。こうした問題も含め選択肢を示してほしい。
二大政党に対抗して、公明、共産、社民、国民新党などほかの政党もそれぞれ存在感を発揮する。政権選択の選挙というのなら、そんなダイナミックな政治のドラマを見せてもらいたい。