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朝鮮は「ロケット先進国」だった(下)

■2段式ロケット「散火神機箭」

 「小神機箭」は、矢が火薬の力で放たれ、敵を直接攻撃した。長さ1メートルの竹製の矢の 前部に12グラムの火薬を詰めた薬筒をつり下げ、100メートルほど飛ばした。「中神機箭」は爆弾を装着した。長さ1.42メートルの竹製の矢の前部に、44グラムの火薬を詰めた薬筒と、「小発火」と呼ばれた小型の紙爆弾をつり下げ、約200メートル飛ばした上、爆弾が爆発するように設計されていた。これは一種の「ミサイル」といってよい。

 最も大きな「大神機箭」は、長さ5.3メートルの竹製の矢の前部に、2.9キロの火薬を詰めた薬筒をつり下げ、最大で700-800メートルも飛ばすことができた。昨年復元され、発射も成功した。薬とんの前部には「大神機箭発火筒」という大型の紙爆弾を取り付け、目標物に到達した時点で爆発するよう設計されていた。外国では3キロの火薬を詰めた大型ロケットが登場したのが、19世紀初めのことだった。それに匹敵する大型ロケットが、韓国でははるか昔に開発されていたというわけだ。

 一方、「火花が四方に飛び散る神機箭」という意味で命名された「散火神機箭」は、2段式ロケットの構造を有するものだった。大きさは「大神機箭」と同じだが、大型の爆弾を搭載する代わりに、薬筒の上方に小型の爆弾「小発火」と、小型のロケットエンジンといえる「地火筒」を合わせたものを幾つも取り付けた。第1段ロケットに当たる薬筒が燃え尽きた後、第2段ロケットに当たる地火筒に点火され、あちこちを飛び回った後、最後に「小発火」が爆発する仕組みだ。針路を見失ったかのように空のあちこちを飛び回り、最後に爆弾が爆発したため、敵軍は戦意を失わざるを得なかったのだ。

■ミリメートル単位の精密度も

 記録によると、世宗27年(1447年)、平安道と咸吉道(後の咸鏡道)だけで約3万5000発の「走火」や神機箭が作られた。当時、世界的な科学者であるイタリアのレオナルド・ダビンチが火薬を用いた兵器の想像図を作成していたが、韓国ではすでにロケット兵器が実戦配備されていたというわけだ。

 もちろん、当時製作された神機箭は今では残っていない。だが、復元が可能なほど詳細な設計記録が『国朝五礼序例』の『兵器図説』に残っている。現在のところ、15世紀以前のロケットの設計図が残っているのは、神機箭をおいてほかにはない。

 神機箭の設計技術は、現在使われているあらゆる機械の設計技術と変わらない。例えば、薬筒のサイズについては、内径や外殻の厚さだけでなく、外径も明記している。内径と外殻の厚さを合わせれば外径が分かるが、これらの数値が誤っている可能性もある。個別の数値だけでなく、合計の数値も記し、ミスの可能性をなくそうというわけだ。また、設計に用いられた長さの単位も、釐(り)=1釐は0.3ミリ=を用いており、これもまた驚くべきことだ。

蔡連錫(チェ・ヨンソク)韓国航空宇宙研究院長

李永完(イ・ヨンワン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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