歴史的な選挙戦のスタートである。先月21日の衆院解散からほぼ1カ月。「助走」の長い選挙戦は、実際には折り返し点を過ぎて終盤に差し掛かった感もある。
「歴史的」なのは、言うまでもなく政権選択の選挙だからだ。外国では選挙による政権交代は何ら珍しくない。しかし、日本では1955年の保守合同以来、もっぱら自民党を中心とする政治が続いてきた。
その長期支配こそが日本の安定的な経済成長に役立ったという見方がある一方で、政治や官僚機構の「金属疲労」はもはや限界との声もある。いずれにせよ、日本独特の戦後体制について有権者の歴史観が問われる選挙でもあるはずだ。
しかし、17日に日本記者クラブで開かれた党首討論会を聞いて釈然としないものが残った。社会保障や雇用、子育てなど、暮らしに直結する問題を重点的に論じるのは当然だが、政権選択の判断材料はそれだけではない。外交や安全保障も含めて「日本をこういう国にしたい」という将来展望を国民にきちんと示すことも大切だ。
そもそも各党のマニフェストが外交・安保に割いたスペースは少なく、党首討論会での議論も限られていた。大きな曲がり角の選挙なのに、曲がり角の先に将来の日本の姿が明確に見えてこないのが実情だろう。
米紙ロサンゼルス・タイムズの東京支局長を務めたサム・ジェームソンさん(73)は60年秋から半世紀近く日本に住んでいるが、今の日本人は60年代の「ハングリー精神」を失ったように見えるという。経済的な目標も低めに設定されているようで、日本はもっとやれるのに、というはがゆさを覚えるらしい。
外交も同様だ。「相手が米国でも国連でも、反対されそうだと日本は提案しない傾向がある。たとえ反対されても継続してやることです。黙っていたら、日本の気持ちは同盟国の米国だって分かりませんよ」
前回総選挙で自民が大勝した05年は、日本が国連安保理の常任理事国入りを切望しながら、よりによって米国の実質的な「ノー」で望みを絶たれた年でもあった。
ジェームソンさんはそんな米国の態度を「同盟国の裏切り行為」と批判する一方で、最近の日本の防衛論議を憂慮する。「米国へ向かうミサイルを迎撃する能力があるのに日本がそうしないなら、日本は米国人の信頼を失い、日米同盟は実質的に終わるでしょう」
さらに現行の防衛分担を「米国は『危険、きつい、汚い』の3K、日本は『きれい、賢い、カッコいい』の3K」と表現し、手を汚すまいとする日本の姿勢に首をかしげる。日本の右派からもよく聞く主張ではあるが、知日派ジャーナリストの日本への憂いが伝わってくる。
日本の政治家や官僚が米国の顔色をうかがう傾向は昔から指摘されてきた。だが、「対米追従」の実態とは何だろう。米国が有無を言わせず日本を従わせているのではなく、むしろ日本が自己規制や自縄自縛によって「思考停止」の状態に陥っているだけではないのかという指摘もある。だとすれば、米国自身が同盟国の助言を求めている昨今、「対米追従」に最も迷惑するのはオバマ政権、という逆説も成り立とう。
この辺の問題を整理するのは大切である。表立った争点にはなっていないが、イラク戦争への対応も含めて「対米追従」への疑問は日本人の胸にわだかまり、各種選挙にも微妙な影響を与えてきた。マニフェストで自民は「日米同盟の強化」を、民主は「緊密で対等な日米同盟」をうたっているが、日米が率直に議論する同盟関係でなければ空疎な美辞麗句に終わってしまう。
とりわけ今は日本が発言すべき時である。北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対して日本には「ダモクレスの剣」にも似た不安が広がる。北朝鮮を念頭に置く敵基地攻撃や核武装をめぐる論争が起きているのも、そうした不安の反映だろうが、かといって非現実的な核武装などを論じても問題解決にはつながるまい。
核をめぐる恐怖は60年代初頭、キューバ危機に直面した米国が一番よく承知していよう。時のケネディ大統領はソ連と談判してキューバから核ミサイルを撤去させた。だが、21世紀の東アジアに、北朝鮮の核兵器を廃棄に導く指導者(たち)が果たして現れるだろうか。
厳しい局面にこそ冷静な議論が必要だ。今回の選挙では、あくまで生活上の諸問題が主な争点だが、日本は国際社会でどう生きていくかという、戦後の大きな懸案が改めて問われている。この歴史的な節目に当たり有権者は各党のマニフェストや論戦を吟味し、30日には貴重な一票を投じるべきである。
毎日新聞 2009年8月18日 0時22分