川端・中洲--飢人地蔵(その2)
中洲からこの橋を渡るとすぐ前に櫛田神社が見える。
江戸時代の地図にもあるくらい、古くからの橋だ。
福岡城下から櫛田神社にお参りするのに便利なようにつくったのかもしれない。
1800年頃まで、中洲は畠が広がる場所だったそうだ。
飢人地蔵を建てたのも、ここに死者を埋葬したからとのことで、土地が空いていたんだろうね。
中洲が今のような歓楽街になったのは、天保年間、福岡藩の改革により、茶屋・芝居小屋など遊興の場を作らせたのが始まりだという。江戸歌舞伎の市川団十郎もやってきて芝居を見せたとか(それで今でも博多川の船乗り込みを歌舞伎役者がやっている)。
ただ、藩政改革(財政再建)はうまくいかず、幕末維新で福岡藩は勝ち組になれなかった。しかし中洲は発展して九州一と言われる歓楽街になったのである。
その間も、食べるもの無く死んでしまった人たちを弔う飢人地蔵は、中洲の片隅にずっといる。
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