あるところにおまわりさんがいました。
 そのおまわりさんは、小さな村のはずれにある交番に勤めていました。
 そこは、同僚のおまわりさんが他に2人いるだけの小さな交番でしたが、3人が朝・昼・夜とひとりずつ見回りに行くのがきまりになっていました。
 村の道をひとつ残さず見回ったあと(と言っても小さな村なので簡単なことなのですけど)、村の向こう側にある広い野原と森を通り抜けると隣村との境い目になるので、そこからまた戻ってくるのが見回りのルートでした。

 そのおまわりさんは夜の見回りが担当でした。
 夜の野原、夜の森──。おまわりさんはこの見回りが初めは少し怖かったのです。
 大人の男であるおまわりさんだって、もしかしたら数人のゴウトウに囲まれるかもしれない、と考えると、やはり怖いものなのです。
 でも、もう何年も毎夜歩いていると何となく平気になってきました。
 時には、森の中で聞きなれない物音が聞こえたり、見えるはずのないものが見えたような気がしたり、そんなときもありましたが、気づかないふりをして通り過ぎてしまえば大丈夫なのです。
 いちばん怖いのは人間かもな、そう言っておまわりさんは同僚のおまわりさんたちと笑うのでした。
 冬になると夜は冷えこむので、そんなときはおまわりさんの奥さんが、暖かいココアを見回り時間の前に、小さなポットに入れて交番に届けてくれるのでした。

 その日もおまわりさんは、奥さんが持ってきてくれた小さなポットを持って夜の見回りにでかけていました。
 村の道を歩いていると、もうすっかり仲良くなった勤め帰りのお父さんたちや、畑帰りのお母さんたちと、
「寒くなりましたね。」
「お宅のおじいちゃんの腰の具合はどうですか。」
「今度一杯やりましょう。」
 そんな会話をするのも見回りの楽しみでした。

 そして森を抜け、広い野原を通る一本道を明かりを灯しながら歩いていると、カサッと草を分けるような音が聞こえました。
 そんなときは鳥か猫がいるものなので、おまわりさんはちらりとそっちを見て、人ではないことを確認すると、また森へ向かって歩き出しました。
 毎日森へ行っていると、なじみの動物ができるものなので、森に住んでいる猫やリスが、おまわりさんの歩いてくる音を聞きつけては、のぞきにやってくることがあるのでした。
 けれども、その音は、おまわりさんが歩く速度に合わせて、カサカサと森へ向かって進んでいるのでした。
「誰かいるのかい?」
 おまわりさんは、明かりを音のする方に向けて言いましたが、明かりで見えるのは草ばかりでした。
「変だなぁ。空耳かな。」
 そしておまわりさんは、森までたどり着いた時、いつものように森の入口の切り株にすわって奥さんのいれてくれたココアを、ポットのふたにあけて飲みはじめました。
 寒い冬の夜に、ココアは本当に温かそうに湯気をたてているのでした。
「ああ、奥さんのココアは暖まるなあ。」
 おまわりさんがココアをひと口飲んで、いつものように独り言を言った時です。
 ふと、目の前の木を見ると、そこからおまわりさんの方をのぞいているものがあることに気づいたのです。
 白い布をかぶったようなものに目が二つ。
 それは、幼い頃昔話や童話で見たユーレイそっくりでした。
「わっ! ユーレイ?!」
 おまわりさんはびっくりして叫びました。
 明かりをとるのももどかしく、野原を逆戻りして逃げようとしたときでした。
「待って! 逃げないで! 怖いこと何もしないから。」
 白いものは、そう言ったのです。
 おまわりさんは、おそるおそる振り返ると、白いものは涙をためて、
「何もしないから、話を聞いてください。」
 と、もう一度言いました。
 おまわりさんは、ユーレイってゾッとするような声でうらめしやぁっていうのかと思ったけれどこのユーレイはずいぶん若い声なんだなあ、と思いながら、また切り株にこしかけました。
「ありがとう。」
 そう言って、白いものは涙をぬぐってほほ笑みました。
「僕に話って何だい。」
 それでもまだ少しビクビクしながら、おまわりさんは聞きました。
「あの、さっきは驚かせてごめんなさい。野原であなたをみつけてずっとついてきたのは、ぼくなんです。ぼく、いろいろあってユーレイになってしまったんですけど、それで、他の所を点々とさまよいながら、この間この森に来たんです。でもニンゲンの人は、ぼくを見るとまるでユーレイでも見たかのように驚いて、ちょっと気配をさせただけでも、ビクビクして逃げてしまうんです。」
 そして、白いものはまた涙を浮かべました。
 おまわりさんは、あやうく「ユーレイでも見たようにって、だって君ユーレイじゃないか」と言いそうになりましたが、白いものを傷つけてしまいそうなのでやめて、カップの中のココアを黙って飲みほしました。
 白いものは、その様子をじっと見て言いました。
「それでね、あなたはいつも同じ時間にこの森にやってきて、その切り株にこしかけて、温かそうなココアを飲んで、奥さんのココアは暖まるなあ、と言うのです。
こんな素敵な人がぼくの友達だったらなあって。
ぼく、ひとりぼっちで、淋しくて。だから。」
 そして、白いものはおまわりさんの目を見て言いました。
「だから、お友達になって、ください。」
 おまわりさんは、びっくりして目をパチクリしました。
 たぶん、あなたも見知らぬユーレイから、うらめしやあ、ではなく、友達になって、と言われたらびっくりするでしょう?
 おまわりさんは、しばらくカップの中のココアを眺めながら黙っていましたが、やがてにっこり笑って言いました。
「それは、僕からお願いしたいな。君、僕と友達になってくれよ。そしたら、もうひとりじゃないよ。
僕だって、他の友達に自慢できちゃうな。だってユーレイの友達を持つのは、友達の中で僕が初めてなんだ。」
 そして、ポットからカップの中にまだ温かいココアを注いで、白いものに差し出しました。
「飲むかい。うちの奥さんがいれてくれたココアだけど、体が暖まるよ。」
「あ。ありがとうございます。」
 2人は同時にココアを飲んで、「温かいね」とにっこり笑い合いました。
 ふと気づくと、おまわりさんはもうちっとも怖くなくて、十年来の友達のようにすっかり心を開いているのでした。

 それから、おまわりさんと白いものは、時のたつのも忘れていろいろな話をしました。
 あんまり長い間おまわりさんが交番に戻ってこないので、同僚のおまわりさんが心配して様子を見に来たくらいでした。
 同僚のおまわりさんも白いものを見て「わっ! オバケ!」と言いましたが、おまわりさんが笑って「友達になったんだ」と言うと、同僚のおまわりさんは「なんだ、そうだったのか」とほほ笑んで、白いものと握手を交わしました。
 そして白いものはおまわりさんとも握手を交わして、おまわりさんたち2人は、交番に帰って行きました。
白いものは、森の入り口に立って2人が見えなくなるまで手を振って見送りました。

 それからの白いものは、もうひとりぼっちじゃありませんでした。
 あのおまわりさんは、村の人と挨拶を交わしたり、飲みに行ったりするたびに、自分の友達のユーレイが淋しがっていることを付け加えたので、はじめは怖がっていた村の人も森へ行って、遠まきに、ユーレイとおまわりさんが笑顔で仲良さそうに話しているのを見て、少しずつその話の輪の中に入って行ったのでした。
 だから白いものには、今では村の大人たちや子どもたち、朝や昼の見回りのおまわりさんなど、たくさんの友達ができました。

 けれど、白いものがいちばん好きなのは、夜の見回りのおまわりさんと、おまわりさんの奥さんが2人ぶんいれてくれた温かいココアをのみながら静かにお話することで、それはずっとずっと変わらなかったのでした。


END

おまわりさんのココア
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