医療事故への真摯な姿勢が国民の理解につながる
今年1月1日からスタートした産科医療補償制度は、日本の医療における初めての「無過失補償制度」であると同時に、行われた診療行為について医学的評価を行い、再発防止策を提言するという「原因分析」の仕組みも取り入れている。日本医療機能評価機構で同制度の事業管理者として策定に携わった上田茂理事は、金銭の補償だけにとどまらず、原因を明らかにして、不幸な医療事故の再発防止につなげることを目的にしたこの制度へ医療界が真摯に取り組むことが、国民の医療に対する評価や理解につながることと考えている。医療界が注目する同制度にかける思いを聞いた。(津川一馬)―産科医療補償制度の策定に至った背景を教えてください。
日本の周産期死亡率や新生児死亡率では世界でもトップクラスの低さです。しかし、近年は産科に従事する若手の医師が大きく減少し、産科の病医院や助産所が次々に廃院するという事態に至っています。
その要因はまず、産科医がハードワークであるということ。常に24時間の対応を求められます。もう一つは、訴訟の増加です。この問題がかなり産科医の負担になってきていました。
こうした問題について、2003年頃から「訴訟の問題については無過失補償制度で」という動きが医療界の中で出てきました。これを受け、自民党政務調査会でも、まずは現行制度の中で無過失補償制度を早く立ち上げようという考えをまとめました。これにより、厚生労働省から日本医療機能評価機構に無過失補償制度について検討するよう要請があり、準備委員会を立ち上げ、一年間検討してきました。
―検討過程ではどのような課題があったのでしょう。
今回の制度は、自民党の枠組みに沿って、補償対象を、分娩に関連して発症した重度の脳性まひに限定しています。その上で、「出生体重2000グラム以上かつ在胎週数33週以上」などの基準を設けました。ただ、先天性要因や未熟児の脳性まひを対象から外すことについては、疑問の声が上がりました。
また、3000万円の補償金を得ることができる人と、そうでない人が出てくることで、障害者の格差を生むという指摘や、仕組みが複雑すぎるとの指摘もありました。
私どもは、産科医療を守るという観点から制度設計しています。この守るというのは、「医師を守る」ことだけを意味しているのではありません。お産をする場所がなくなると困るのは妊産婦であり、国民です。国民にとっての産科医療を守ることでもあります。
これまで挙げたような産科医療の問題を解決するには、この制度以外にも、いろいろな対策を考えないといけません。もちろん、この制度も産科医療を維持、発展させるためには必要なので、まずできるだけ早く立ち上げて、実際に運用する中で、課題があれば見直していくことが大事ではないかと考えています。そのため、この制度は遅くとも5年後に見直すことになっています。
―金銭での補償にとどまらず、原因分析の視点を取り入れたのはなぜですか。
もともとの自民党の枠組みの中でも、障害への救済により紛争の早期解決を図るとともに、事故原因の分析を通して産科医療の質の向上を図る、という仕組みが盛り込まれています。
また、準備委員会で検討を進める中で、「単に補償をして解決を図るのは問題ではないか」、「障害を受けた家族は真相を知りたい」「同じようなことを繰り返してほしくない」などの意見が出ました。これを受けて私たちも、一つは補償、もう一つは原因分析と再発防止を制度の二本柱として、検討を進めることにしました。
―医療事故について「第三者委員会が調査する」とした死因究明制度をめぐる議論はなかなかまとまりませんが、それに先立って「原因分析」を実施することに難しさはありませんか。
やはり、患者側との対立を招くことを医療側は懸念しています。この制度は、医療側に積極的に協力していただかない限り、なかなか広がりません。原因分析を行うに当たっては、きちっとした情報を分娩機関から提出してもらう必要があるからです。
先駆的に医療事故補償制度を進めてきた国の一つであるスウェーデンでは、医療側から積極的に協力してもらえるような体制になっています。「No blame for doctors」、医療機関から提供された情報の中身については責めないという考え方があります。患者側からの苦情申し立てについては別の受け皿もありますが、この補償制度は、資料を出しやすく、そして協力しやすいように、という考え方の下で運営されています。
一方、原因分析を行うに当たって、家族の意見を聞かないままでは、いくら専門家が作った報告書だといっても、受け入れていただけないのではないか、信頼されないのではないかと思います。
原因分析委員会でも患者側の委員から、家族の意見を十分に聞くべきとの指摘があったため、医学的評価を行う前に、分娩機関からだけではなく、家族にも意見を求める仕組みになっています。
―原因分析のあり方を検討する原因分析委員会では、脳性まひ回避の可能性の記載について特に議論が白熱しました。
行われた診療行為が、その時点において問題があったかなかったかという医学的評価は当然行います。ただ、脳性まひが回避できた可能性というものは、医学的評価では判断しづらいものなのです。
医学的評価の結果は、家族にしっかりと伝えなくてはならないと思います。しかし、もう一つ重要なのが、どのように再発防止をするかという点です。
往々にして、診療行為についての医学的評価と、再発防止のための改善事項が、整理されずに混同して書かれることがあります。大事なのは、原因を究明するための「診療行為が行われた時点での医学的評価」と、再発防止策を挙げるための「振り返った上での評価」を、明確に区別することです。
診療行為を振り返り、「ベストの医療を行うためにはこうすべき」と記載することは、再発防止策として当然必要な要素です。一方、「診療行為が行われた時点での医学的評価」については、「医療行為には幅がある」ということを勘案しなくてはいけません。
私は、医学的評価を厳しくすることで、まじめに医療に取り組む医師たちが委縮することは避けたいと思っています。
幅のある診療行為において、ミスが出た時にどう評価するかについては、これから整理が必要だと思います。
―原因分析が医療裁判に与える影響をどのように考えていますか。
今回の制度では、原因分析を行った後に、その結果を家族、分娩機関にフィードバックします。このことが逆に裁判につながるのではないか、あるいは補償金が入ることで裁判しやすくなるのではないかという意見は確かにあります。
しかし、きちんと医学的な問題点についての評価をした報告書を家族に示すとともに、医療側も報告書の内容を真摯に受け止めて、再発防止策も進めるということであれば、家族にはご理解いただけるのではないでしょうか。この報告書を基に医療側と家族側が話し合うことで、裁判の前の段階で解決を図ることが可能になるのではないかと思っています。
課題はこの原因分析報告書が評価されなくてはならないということです。
現在、原因分析委員会を開き、評価方法について検討を進めていますが、ここには医師、助産師、有識者、弁護士、患者の代表が入っています。さらに、中心となって原因分析を行う6つの部会についても弁護士が参加することになっています。こうした透明性の高い原因分析を行うことで、信頼性を高めなくてはいけません。
―無過失補償制度の対象は今後拡大していくのでしょうか。
準備委員会の報告書でも、「将来的には産科の枠を超えて」ということが書かれています。私たちとしては、できるだけ円滑にこの制度を進めていきたいと考えています。その中で、経験や実績を基に、対象者の拡大についても議論していくことになろうかと思います。
ただ、対象を広げた場合、どういう理念で、どういう障害を対象にするかなど、詰める話はまだまだあると思います。また、財源も大きな問題です。
私としてはこの制度をきちんと運用して成功させて、その中から考え方を整理していくことが大事だと思っています。
―この制度で医療界がどう変わることを求めていますか。
医療の評価や、原因分析を制度として行うのは初めてです。原因分析について、医療関係者は報告書が家族に渡されれば、かえって訴訟につながるのではなどと、いろいろ懸念されています。
そういう中で、報告書の作成に当たって家族の意見を丁寧に聞く形で進めていますし、原因分析委員会には弁護士なども参加してもらっています。また、報告書を家族にフィードバックするとともに、個人情報方保護に十分配慮して公開することを検討しています。原因分析は医療側に負担をかけますが、こうした医療界のオープンな取り組みが、長い目で見た時に、国民の医療に対する評価や理解につながっていくのではないかと思っています。
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更新:2009/08/22 15:45 キャリアブレイン
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