アフガニスタンの旧支配勢力タリバンと90年代に激しい内戦を展開した北部同盟のタジク人軍閥、故マスード将軍の拠点、北部パンジシール。タリバン政権崩壊の原動力となったことで、発足当初のカルザイ政権を支えたパンジシール勢力だが、マスード氏の側近だったアブドラ元外相が大統領選に立候補したことで、「親カルザイ」派と「反カルザイ」派にたもとを分けた。双方の支持者の言い分は、アフガンが抱える苦悩を象徴している。【パンジシールで栗田慎一】
「カルザイは7年前に仕事を増やすと約束したのに、うそをついた」。アブドラ氏派の商店主のアサドラさん(26)が言うと、運転手のダートさん(35)が「この国は30年も戦争してきたんだ。元に戻すだけでも長い時間が必要だ」とカルザイ氏を擁護した。路上で始まった口論は人の輪を広げ、交通整理の警官も加わる騒動に。議論は真っ二つに割れた。
02年に誕生したカルザイ政権は、パンジシール勢力を構成するタジク人が、主要閣僚を独占。タリバンと同じ民族で人口の半数近くを占めるパシュトゥン人が排斥されたことなどから、政府の武装解除も滞り、カルザイ氏は政権内の「タジク色」を薄めていく。
外相だったアブドラ氏も、この流れの中で03年に政権を離脱。タジク人の間で反感が高まると、カルザイ氏は、マスード氏の後任司令官ファヒム氏を第1副大統領に迎えた。
今回の大統領選で、ファヒム氏が「カルザイ支持」を打ち出したため、パンジシールは、「アブドラ派」と「ファヒム=カルザイ派」に分裂した。
パンジシールは、峡谷に24の村が点在する人口約40万人の小さな州。幹線道路は舗装整備されたが、電気は1日4時間前後しか供給されない。今も国内外への出稼ぎ者が絶えず、人々の生活の貧しさは内戦時代とほとんど変わらないという。
生活の改善が進まないのは、カブール以外の他地域でも見られるが、それを「裏切り」や「約束ほご」とみなすか、「立ち直る過程」とみるか。貧困にあえぐ人々の議論は尽きないが、その輪の中で、果物店主のガウスさん(60)が「こんな討論も武器なしでできるようになった」と言うと、場が和んだ。
アフガニスタンで日本政府特別代表として武装解除を指揮した東京外語大の伊勢崎賢治教授(52)に、アフガンの現状を聞いた。【佐藤賢二郎】
--治安悪化要因は。
◆タリバン政権崩壊後の北部同盟の武装解除でゲリラ戦にたけた優秀な兵士が前線を離れ、政権側に「力の空白」ができた。警察も機能しておらず、末端の警察官はタリバンと区別がつかない。隣国パキスタンでのイスラム原理主義台頭による情勢悪化も影響を与えている。
--多国籍軍は兵力を増強しているが。
◆タリバンは社会運動としてアフガンに根付き、住民から一定の支持がある。武力のみでの解決は不可能だ。それぞれの政権任期内で成果を求められる多国籍軍と、長期的戦略を立てるタリバンでは勝負にならない。
--治安回復にはどのような対処が必要か。
◆穏健派タリバンとの対話を進めるしかない。それには(1)タリバンを政権内に取り込む「パワーシェアリング」(権力の共有)(2)将来的な多国籍軍の撤退(3)パシュトゥン人の掟(おきて)を反映した厳格なシャリア(イスラム法)導入--の可能性を具体化する必要がある。
--最大の障害は。
◆イスラム原理主義に対する西側社会の偏見だろう。「民主主義に反するもの」ではなく価値観の違いとみなし、二重基準を認めることが必要だ。
--現政権の汚職も問題になっている。
◆これだけ国際社会が介入しても汚職がまん延した「民主国家」はかつてなかった。しかし、欧米や日本も長い時間をかけて民主主義を根付かせてきた。放置できないのなら、それを前提とした支援を続けるしかない。
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■ことば
79年にアフガンに軍事侵攻した旧ソ連軍と戦い、90年代は他民族軍閥と内戦を展開。反タリバン連合「北部同盟」の司令官。「パンジシールの獅子」として地元住民から英雄視されているが、他民族の間には「内戦中の虐殺行為」への憎悪が残っている。
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■独立後のアフガニスタンの主な歩み
1919年 8月 3度の対英戦争を経て独立
33年11月 ザヒル・シャーが国王即位
73年 7月 ダウド元首相が国王廃止
78年 4月 タラキ人民民主党書記長による左派政権誕生
79年 9月 クーデターでアミン首相が革命評議会議長に就任
12月 ソ連が軍事介入、カルマル親ソ政権成立。反政府ゲリラ(ムジャヒディン)との内戦突入
86年 5月 カルマル議長解任、ナジブラ氏が実権掌握
89年 2月 ソ連軍の撤退完了
91年12月 ソ連崩壊
92年 4月 ナジブラ大統領解任、共産政権崩壊。ムジャヒディンが暫定評議会設置、ゲリラ間の主導権争いで内戦状態に
94年11月 「神学生」を意味するタリバンが南部カンダハルを制圧
96年 9月 タリバンが首都カブール制圧、新政権発足
98年 8月 米国が求めたビンラディン容疑者の引き渡しをタリバン政権が拒否、米国が報復ミサイル攻撃
99年11月 国連のタリバン政権に対する経済制裁が発効
01年 1月 ブッシュ米政権発足
3月 タリバンがバーミヤン・巨大石仏爆破
9月 北部同盟司令官、マスード将軍暗殺。米国で同時多発テロ
10月 米英軍がアフガン空爆開始
11月 北部同盟がカブール制圧、タリバン政権崩壊
12月 暫定行政機構が発足し、カルザイ氏が議長に就任
02年 1月 東京でアフガン復興支援会議、45億ドルの支援額決まる
6月 カルザイ議長を大統領に選出
03年 3月 米軍がイラク侵攻、フセイン政権崩壊
04年11月 大統領選挙でカルザイ氏当選
05年 タリバンが勢力回復、自爆攻撃を急拡大
08年11月 米大統領選でオバマ氏勝利
09年 2月 オバマ大統領が計1万7000人の増派計画承認
8月 第2回大統領選挙
毎日新聞 2009年8月21日 東京朝刊