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思えばずいぶん齢を重ねてきたものでございます。いまだに自分の年齢が信じられない思いでございます。 気持ちとしては10代、20代のときと少しも変わってはおりません。 もちろん体があちこち不自由にはなってまいりますが、頭がぼけたという自覚は全くございません。 むしろ若い頃よりも余計なことを考えない分だけ明瞭になった気がいたします。 「おばあちゃんよりも今の若い人のほうがよっぽどボケてるよ」とよく孫娘に言われるほどでございます。 老眼がありますものの、耳はよく聞こえます。歯も自分の歯で食べられないものはありません。 足はまったく衰えておりませんで、JRの駅でしたら2、3駅分は容易に歩いてしまいます。 海外から知人が来たときは、いまだに私が通訳ガイドとして国内を案内しております。 端的に申し上げれば「老い」はその方しだいだと思っております。 「年老いた」と思うのは、自分で決めているのでございます。 「齢を重ねた」いうことと「年老いた」とでは、全く意味が違ってまいります。 いくら齢を重ねても、「老いる」必要はないのでございます。 私が大嫌いな言葉がございます。 「老いては子に従え」 それならば「私はまだ子供ですから、あなたの言うことは聞きませんよ」と申しましょう。 子育てが終わると、子は親離れし、親は子離れします。 親は「木の上に立って見る」と書きます。 年齢を重ねた分だけ、子供よりも遠く見通せる位置にいるのでございます。 周囲には私より年配の友人がたくさんおりまして、皆さん、矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいます。 最高齢は98歳のご婦人ですが、毎日大きな拡大鏡で新聞を隅から隅まで読んでいらっしゃいます。 最新のベストセラーの大半を読んでいるそうでございます。 歴史のことなど聞けば、教科書に載っていないことまでこと細かく教えてくださる生き字引でございます。 若い人には及びもつかないほど聡明な方でいらっしゃいます。 私の見ますところ、ぼけない人というのは若い頃からぼけない生き方をしているようでございます。 逆にぼける人というのは若い頃からぼける生き方をしているようでございます。 もちろん齢を重ねてだんだんとぼけられる方もおられましょう。 人間、少しぼけたほうが楽ということもありまして、それもまたその人の好き好きでありましょう。 人生の晩秋の季節には、その人の半生がそのまま現れるような気がいたします。
最終更新日
2009.08.22 00:07:20
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