Monologue

独想録 


このページ、タイトルを変えました。
独想なので、ほかのページとは文体がちがいます。

00/10/10から01/07までのテキストは、
ひとりごと過去ログのページに移しました。

話題


「メディア規制法案」各メディア
「立花隆先生、かなりヘンですよ」谷田和一郎、洋泉社
「スターリングラード」ジャン・ジャック・アノー監督、ビデオ
「ファストフードが世界を食いつくす」エリック・シュローサー、草思社
「不審船に銃撃」その2
「不審船に銃撃」各メディア
「牧草肥料に肉骨粉、ホクレン分年間1700トン」北海道新聞
「二頭目の狂牛病感染牛発見」各メディア
「高山植物の宝庫、標茶・西別岳、目立つマナーの悪さ」北海道新聞
「報復は不毛と、日本のメディアはなぜ言えなかったのか」SIGHT
「9月11日のある酒場の光景」北海道新聞
「謎とき日本合戦史」講談社現代新書
「本を短命化から救うには」野口悠紀雄
「ニューヨーク総領事館、テロ事件で見せた心なき対応」日経ビジネス
「大正天皇」原武史
「報道特集、ブロードバンドの夢と挫折」
「13デイズ」ビデオ
「山田風太郎訃報」各メディア

いわゆる『メディア規制法案』各メディア

いま、出版や報道に関わる者にとっての大問題として、
いわゆる「メディア規制三法案」が、ありとあらゆる場所で論じられている。
多くのジャーナリストやメディア・トップたちが、この法案への反対を表明し、
この法律が通れば、報道の自由がなくなる、と主張している。
わたしも、報道に対する一切の法的規制はあるべきではない、という立場を取るが、
「報道の危機」を訴える一部ジャーナリストやメディア関係者たちに対して、
ある種の特権的意識を感じることは、正直に告白しておきたい。
これはたぶん、日本の一般市民が昨今のジャーナリズム
あるいはメディアにどことなく冷やかであるのと共通の気分のはずである。

そもそも『報道の自由』が』が法律的に保証されているから、『報道』があるのではない。
権力から自由な報道(記者クラブ制度なんて発想とは無縁の報道)が先にあって、
その権利を普遍的な価値とすべく生まれた概念が『報道の自由』のはずである。

地球上を見渡してみても、『報道の自由』が保証されているのは、
先進民主主義国のごく一部であるが、
だからといってほかの国に『報道』がないわけでもない。

非民主主義国では、ジャーナリストたること、メディアを持つということは、
同時に具体的なリスクを引き受けることと一緒だ。
この記事を書くことで投獄されてもよいかと、
ジャーナリストはたえず自分の仕事の価値をはかりにかけ、その上で記事を
発表しているはずである。その愚劣な下半身スキャンダルを書くことと、投獄とを
引き換えにできるか、日本のメディアの現場で働く者たちだって、
つねに自分の仕事を自己検証してもよいのではないか。


たとえ法律で規制されたとしても、骨のあるジャーナリストならば、
自分の信念に従って取材し、書くだろうし、もしそれが報道に値する記事であったならば、
取材の違法性が問われたとしても、世間はそのジャーナリストを支持するだろう。
判事も些末な法の条文よりは、憲法の理念に照らして判断するはずである。

追記
30年以上前、沖縄返還をめぐる密約について、いわゆる『外務省機密漏洩事件』と
いうものがあった。これは、スクープされた中身よりも取材の方法が問題とされ、
地裁判決は噴飯ものになったけれども、あのときあの事件を、毎日新聞の取材者と
外務省内部告発者とのあいだのスキャンダル報道にしてしまったのは、当の
マスメディアである。政府・司法機関の言い分そのまま、ほかのメディアも
取材方法のほうに報道価値があるとして、当事者たちをおもしろがって叩いたのだ
(いや、メディア、と雑にまとめることはできない、
という反論はあるかもしれないが、わたしの基本的な印象としてはそうである)。
あのとき、問題を取材方法に矮小化すべきではない、という意識を
メディア関係者が強く持っていたなら、結末はちがったものになっていたのではないか。


また大新聞は、いわゆるぶらさがり取材や夜討ち朝駆け取材が規制されると反対している。
しかし、あのぶらさがり取材や夜討ち朝駆けにどんな意味があるのか。
大新聞社の新人の精神教育以上の意味はないはずである。
森前総理はぶらさがり取材を嫌ったことで大新聞に叩かれたけれども、
そのぶらさがりではたして意味のある質問が出ていたのだろうか? 
あった、というなら、そのつど「総理、コメント拒否」と大きく報道すればよかったはずである。
ところが、コメントを取れなくてもまったく問題にはしていなかったのだから、
そもそもぶら下がり取材には最初から何の意味もなかったのだ。


テレビのコメンテーターたち、キャスターたちが、揃って反対を表明した。
彼らが自分たちの仕事をジャーナリズムと認識していることに異論はないが、
彼らが所属するメディアの全体はちがう。あるいは取材現場はちがう。
そこにあるのはジャーナリズムなどではない。ただのコマーシャリズムである。

メディアに関わるひとの大半は、最初からジャーナリズムとは無縁なのだ。
自分がジャーナリストという意識を持ったひとなど、きわめて少数だろう。
彼らに、問題の『人権』についての配慮など、最初から期待できるものではない。


たとえば、鈴木宗男を徹底取材して懲役一年。
これはむしろ、ジャーナリストにとって勲章ではないか。
もちろん、投獄されないにこしたことはないけれど、たとえその危険を冒しても、
本物のジャーナリストなら取材・発表に手加減はしないだろう。

だけど、河野さんサリン散布犯人報道の関係者は、書きっぱなし、やりっぱなしで
何のおとがめもなし? なぜ? それが報道だから? 
規制反対のキャンペーンに当の河野さんを引っ張り出した新聞もあったけれど、
図々しいと感じたのはわたしだけか?(あの新聞だけは、河野さんと和解したのか?) 

日本のメディアは、あの人権侵害報道に対して、
いまだただのひとりの処分者も出していないはずである。
メディア関係者の語る「自浄努力」など、信じるわけにはゆかない。

「報道の自由」「報道の危機」は、逮捕・投獄あるいは発行停止・免許取り上げの
覚悟を持って報道にあたる者だけが語りうる言葉だ。
逮捕されるんなら取材できねえ、というならば、それはすでにジャーナリズムではない。
あるいは、ジャーナリズムが伝えるべきニュースではない。

02/4/27



『立花隆先生、かなりヘンですよ』
谷田和一郎、洋泉社

政治や社会を論ずるときの立花隆は、刺激的であり、魅力的である。
わたしの書棚にはけっこう、ジャーナリストとしての彼の著作が並んでいる。
あのひとの執筆活動の砦『猫ビル』にも、物書きとして激しい羨望さえ持ったものだ。

でも、たしかにこのところ、おかしい、と感じる発言も増えた気がしていた。
とくにこの数年、環境ホルモンと遺伝子組み換え技術についての発言は、
やたらにファナティックであり、攻撃的である。

また、前者についてはその危険性について熱っぽく語るのに、後者については
全面的な支持であり、遺伝子組み換え食品の安全性に疑問を投げる者は、
ほとんど野蛮人扱い、というのも、奇妙なことと感じていた。

本書は、その「かなりヘン」になってきた立花隆を論じるたいへん面白い論考。
結論を言えば、立花隆は自然科学がまるでわかっていないひとだということである。
本書は立花隆の仕事のうち、とくに「インターネット」「人工知能」「宇宙」
「環境ホルモンと遺伝子組み換え技術」の四つについて、立花隆の主張のあやしさを
論破している。正直なところ、わたしは立花隆がこれほどオカルティズムに傾斜し、
超能力や超科学を信じているひとだとは思っていなかった。

本書にも引用されているが、立花隆は、『インターネットはグローバル・ブレイン』という
著作の中で、コンピュータとのインターフェースに超能力を使えないか(電磁波等で、
人間の脳とコンピュータとが直接コミュニケートできないか)、とビル・ゲイツに
質問している。

わたしは、これは単に、立花隆はキーボードが苦手、という表現なのかと読んだのだが、
本書を読むと、立花隆は本気で、超能力が開発されて人類が「次の段階に進化する」
ことを期待しているようなのだ。しかもそれは、人工知能(人間の知能を超えたAI)と
人間とがハイブリッド的に合体した人類なのだという(このあたりの主張については、
わたしは軽く読み流していた)。あのビル・ゲイツへの質問は、
「わたしはキーボードが使えなくて」という冗談ではなかったのだ。

その部分にだけ納得したわけではないのだが、
やはり、自然科学や技術を論じる立花隆は、かなりヘンか。

非・自然科学系の素養、オカルト癖、広すぎる好奇心と浅い掘り下げ、
データが読めない理解力、独善が許される立場、社会からの遊離(読書中心の生活)・・・と、
著者は立花隆がヘンになった理由を挙げる。

ヘンになっていった時期は、自然科学分野に参入していった83年ごろからで、
とくに90年代に入ってから急速に怪しくなり、
そのピークが96年の『インターネット探検』だという。
著者は、立花隆の怪しさ(非科学性・非論理性)を、「暴走」と表現している。

自分に引き寄せて考えれば、猫ビルにこもることは考えもの、
ということなのかもしれない。

02/1/31



『スターリングラード』(Enemy at the gates、ジャン・ジャック・アノー監督)


独ソ名狙撃手同士の闘い、という素材に惹かれ、早く観たかった作品。
廃墟となったスターリングラードのオープンセットは、見物だ。
わたしたちの未来戦争のひとつのイメージ(高集積の巨大都市が瓦礫の山となり、
そこで時代を逆行したかのようなプリミティブな闘いが繰り広げられる)というのは、
このスターリングラード戦の歴史的映像が刷り込まれているせいではないだろうか。

ストーリーの基本的な骨格は有名な史実に基づいている。
最近、この史実を小説化した『鼠たちの戦争』という本が刊行されたようだけれど、
わたしは未読(もしかして映画の原作か?)。
見終わってから手持ちの資料で確認してみると、あの闘い(いわば「決闘」)の顛末も
ほぼ記録どおりだった。

映画の主人公ワシーリ・ザイツェフのキャラクターは、彼の部下だった
ニコライ・クリコフやニコライ・イリューシンとを合成したものだろう。
ケーニッヒ少佐は、なぜか役名を変えられているが、
ドイツ陸軍狙撃学校校長のハインツ・トールバルトSS大佐がそれにあたる。
政治将校のイワン・ダニロフも実在で、あの場面で撃たれたのも史実のままだ。
スターリングラード戦のこの挿話は、独ソ双方のプロパガンダのおかげで、
ヨーロッパのひとたちにはかなり親しいものだということなのだろう。

ザイツェフが凄腕のドイツ軍狙撃手の存在を意識したとき、
その狙撃手が潜んでいた場所で煙草の吸殻を拾って、慎重に匂いをかぐ。
これはあとでケーニッヒ少佐の待ち伏せに気づくときの伏線なのかと思っていたら、
このエピソードはそれきりで発展しなかった。カットされたシーンがあるのだろうか。

最後の決闘の場面、ザイツェフとケーニッヒ少佐は、互いに認識票を持たない状態で
対峙する。つまりふたりとも、この決闘の際には軍籍を離れていたことになる。
軍の思惑とは無縁の裸の狙撃手同士として闘うのだ、という暗喩なのだろうが、
このテーマの押しが足りないように思う。

また、最後の一発、が、どうにも軽い。
これで劇的対立が解決した、という気分にならないのだ。演出のせいか。

とはいえ、語ってみたくなるだけの映画。web上で評を眺めてみると、
ヒロイン・ターニャのお尻について触れているものが多かった。たしかにあれは印象的だ。


そういえば、高校生のころ、清水正二郎(胡桃沢耕史)の冒険小説で、
女性を含む日本人のグループが、スターリングラード攻防戦に参加した、
という素材のものを読んだことがある。タイトルは忘れてしまったが、
官能描写も大胆な、じつにおもしろい小説だった。この作品では、日本人のひとりが
名狙撃手として名を揚げ、ソ連軍の英雄となるのだ。

02/1/21



『ファストフードが世界を食いつくす』
エリック・シュローサー、草思社

タイトルや帯から著者の主張は予測がついたし、衛生面でかなり衝撃的な
事実が記されているだろうとも、読む前から想像がついていた。
しかし、徹底的な取材で描かれたファストフード業界、精肉業界の
「反社会性」「反道徳性」は、予想もできないレベルの話だった。
ほとんど19世紀か20世紀前半の野蛮な資本主義についてのルポのようである。

ファストフード業界や精肉業界と戦って疲れ、鬱になって自殺したコロラドの牧場主の
エピソードが痛ましい。これが19世紀のことであれば、あの牧場主はほんとに銃を取り、
マック兄弟一味との戦いに出て行ったのだろうに。

しかしBSEの発生もある。日本で、マクドナルドがビジネスの成功例として語られ、
称賛される時代も、そろそろ終わるのではないだろうか。
ファストフードを食べるのは気色悪くてダサくて格好悪い、という
イメージが一気に広まるような気がする。そのとき、さしものファストフード業界も、
あんがい呆気なく凋落してゆくように思う。

わたしが最後にマクドナルドに入ったのは95年の秋だ。絶対避けたいと思っていたのに
入る羽目になったのでよく覚えているのだが、本書を読んでしまった以上、
あれがほんとにわたしの人生の最後のマクドナルド体験になるだろう。

共和党族議員と精肉業界の癒着、クリントン政権がとろうとした農業安全政策など、
アメリカ政治の構図についての情報も興味深いものだった。
昨日観た『ザ・コンテンダー』を思い出すのだが、牛肉を食べる、というのは、
いまやもうほとんど共和党的人格・世界観の記号のようだ。
わたし自身は、パッケージされたものはともかく、牛肉はまだ食べ続けるだろう。
武部農水大臣へのノーの意志表示として、当面オージービーフだけになると思うが。

02/1/13



『不審船に銃撃』その2


昨日からテレビのワイドショーは、まるで東京都庁ビルにハイジャック機が
突っ込んだかのような規模で「不審船」特集。
しかし、関係者は、どこかうれしそうで、はしゃいでいるようにも感じられる。
日本も素材を選べば、911事件並みの報道の盛り上がりは可能だ、と気づいたかのようだ。
アメリカにアルカイーダがあれば、日本には北朝鮮がある、ということか。

少しはちがう見方がないかとWeb上をまわっていたら、元週刊文春の勝谷誠彦氏は、
あの事件をこう言っていた。「東支那海海戦」。
「正当防衛」という説明にしても、暴走族を追跡していたお巡りじゃないんだからと、その欺瞞性を指摘。
乗組員を救助しなかったことについても、危険性を認めたうえでこうだ。
「撃たれろよ。しかし敵を救えよ」

たぶんこのかたとわたしは、歴史認識などであまり共通点はないと思うのだが、
あの事件の「素の部分」をどう見るかについては、近いように思う。
繰り返すけれども、あの事件は、911事件以降やる気満々の海上保安庁が、
独断で国籍不明船を挑発、先制攻撃の後、交戦に持ち込み、「見事」撃沈した、ということだ。
世論が、この国籍不明船撃沈にやんやの喝采を送っているように受け取れるのだけれど、
ちがうだろうか。わたしの感じかたは極端か?

2001年、日本のあらたな「戦前」が始まったのではないか、と思う。

01/12/26



『不審船に銃撃』各メディア

なるほど、911以降、「世界は変った」のかもしれない。「悪」と目される勢力に対しては
歯止めなしの攻撃が許され、世論も歓迎する。かさにかかって、「悪」叩きがおこなわれている。
しかし、船体への銃撃がどうして「威嚇射撃」なのだ? 
あの最初の銃撃がどうして「正当防衛」なのだろう? 
事実も、事実の前後関係も無視した言葉で、事件が説明されている。

領海内ならともかく、排他的経済水域内とはいえ、公海である。
無断操漁しているわけでもなく、海底油田の調査をしていたわけでもない船を、
不審だから、というだけで停船させることができるのか。
この場合は、国際海洋法が規定するところの停船命令の要件(経済権益侵犯の
明白な証拠があるとき)を満たしていない。

この事態は、警察権行使、というレベルをはるかに超えている。
世界に通用する言いかたで表現すれば、こうなる。
「日本のコーストガード艦船が、東シナ海で国籍不明船と交戦、これを撃沈した」

コーストガードは、多くの国で、有事には海軍に編入される。国際常識でいえば、
それは「海の警察」ではなく、「沿岸部の海軍」である。

ある評論家が「危機管理、危機管理」と騒いでいたが、不審船一隻、それほどの危機なのだろうか。
たとえその船が覚醒剤を運んでいようと、スパイを乗せていようと、
どらちも領海内に入ってから警察力で対処できる問題のはず。
公海上(撃沈地点は中国の経済水域内)で武力行使するほどの大問題ではない。

むしろ問題は、政府が知らないうちに、現場組織が他国経済水域内で、事実上の「海戦」をはじめて
しまったことだろう。政府はこの行動を追認している。過剰な反応、と見る冷静さすらない。
軍部が暴走していった昭和史を、いやでも思い起こしてしまう。つぎは、工作船根拠地の爆撃か?

沈没した艦船の乗組員が、ただのひとりも救助されていない。
遺体がライフジャッケットをつけていたのだから、救助を拒んだわけではないだろう。
海上保安庁は、世界の海の男に対して、なんと釈明するのだろう。

相手が北朝鮮となると、世論一般の雰囲気が妙に居丈高で高圧的になる。
日本人の多くが、マッチョで、かつブッシュのようになってしまう、と感じる。
この雰囲気は、怖い。このひとりごとを書くのも、じつは怖い。

01/12/24



『牧草肥料に肉骨粉、ホクレン分年間1700トン』
北海道新聞


また怒りにまかせてこの話題。
肉骨分が牧草地に肥料としてまかれていた、ということが、北海道などの調べでわかったという。
先日は、飼料を運ぶバルク車が牛の飼料に肉骨粉の混じるルートでは
ないかと報じられている。
どちらも、酪農の現場の常識ではないのか。
いままで農業団体や行政が把握していなかったはずはない。
二頭目の感染牛が発見されたので、
こらえきれなくなって白状した、というのが現実だろう。

もっと言えば、肉骨粉は牧草地の肥料としてまかれただけではない。
牧草の食いがよくなるとして、放牧地の草に、いわば「ふりかけ」としてまく酪農家も
あったと聞いている。つまり、異常プリオンは、土壌に分解される前に、牛に摂取されていた。
もちろんこの場合も、酪農家に聞き取り調査をしたところで、
飼料とした与えたことはない、という答が返るだけだろう。
日本の牛が安全、というのは、根拠のない虚構だ。

先日、知り合いの酪農家さんからもらったメールも、悲しい実態を示していた。
そのひと、牛肉消費の落ち込みに対抗して、和牛肉の生産者団体が主催した
関係者の試食会に参加したそうだ。ここで出された肉があまりまずいので聞いたところ、
主催者側は、9歳の牛だ、と答えたという。

和牛(の肉用牛)を9歳まで肥育することはありえない。
だから、これは明らかに乳牛の廃用牛の肉だろう。
身内意識もあってうっかり正直に答えたのだろうが
この生産者団体は、和牛肉と称してべつの肉を売っていたことになる。
試食会は、はからずも消費者の牛肉離れにまたひとつ正当性を与えたようなものだ。
(関係者は、和牛は狂牛病発症前の2歳で食肉とするから安全、としてきた。
しかし、和牛のはずの肉が廃用の乳牛のものだとしたら、
消費者は牛肉すべてを同じリスクで見なければならない)。

最近何かのビジネス記事で見つけた言葉。
購買とは、その企業、そのブランドに対する投票行動なのだという。
消費者の牛肉離れを、この言葉で考えると、いっそうわかりやすく思える。

01/11/30



『二頭目の狂牛病感染牛発見』
各メディア


一頭目の狂牛病感染牛発見からはじまったドタバタは、収拾もつかないままに第二幕だ。
笑えないスラップスティック。武部農水大臣と、坂口厚生大臣は、また焼き肉に食らいつく
パフォーマンスをやるのだろうか。あれが効果があるのは、その言動が信用されている人間が
やった場合だけだ。あの映像が出てくるたびに、わたしはむしろ食欲を失う。

行政側は、意識的にこの問題を、「誠実な生産者」と「風評に惑わされる消費者」という
対立の構図に入れようとしている。ほんとうは安全なのに、消費者が無知だから、
必要以上に問題がおおごとになって、牛肉が売れなくなるのだ、というものだ。

しかし、消費者が牛肉を買わないのは、その肉の安全性が心配ということよりもなにより、
行政のお粗末さと、行政の生産者や農協、飼料メーカー側に立った対応に怒っているせいだ。
消費者の牛肉離れは、「風評」によるものではない。事態を正確に認識したうえでの、
懲罰的不買運動と見るべきだろう。消費者による行政へのパニッシュメントだ。

5、6年前、貝のアオヤギが食中毒菌を持っているとかで、東京の市場から消えたことがあった。
原因についてはついに特定できなかった、と報道されたが、少し時間がたってから、
ある寿司屋が種明かしをしてくれた。市場では、韓国産のアオヤギが駄目ということで、
流通が停止となったのだという。ただし、表向きはあくまでも「どれが悪いのか特定もできず」
「原因も解明できなかった」。

同じような話を消費者はいろいろ耳に入れてしまっているはずだ。
行政やホクレンがどんなに否定しても、隠されている情報がある、と確信している。
感染ルートがわからないはずはないと、みなしているのだ。いまになって情報を小出しにして
きたところで、消費者の不安は消えるものか。不信はいっそう確固たるものになるだけだ。

肉牛生産者も、そのほかの畜産農家も、敵を消費者だと見誤るべきではない。

01/11/26



『標茶・西別岳、目立つマナーの悪さ』
北海道新聞 根室・釧路版記事


誤解されないように最初に書くが、この記事の主旨には賛同できない。
これは、いわば地元の問題なので、猛烈に腹を立てて書いている。

記事によれば、標茶山岳会のメンバーが、最近西別岳に登るひとのマナーの悪さに
激怒している。北海道新聞の標茶の通信員も、その怒りに全面的に賛同という記事だ。

山岳会のメンバーのひとりが、お花畑で遊んでいた小学校のグループを見て嘆く。
「子供たちに自然の大切さを教えられないようでは・・・。そんなことで山に登ってもらっては困る」

登山者のマナーを向上させようという主張については、一般論で賛成だが、
この山岳会のひとの発言が、妙に偉そうに聞こえるのは、わたしだけか。

「もっとひどいケース」として、「マウンテン・バイクで駆け登った」とか、
「馬で急斜面を登ろうとしたひともいた」という。
このふたつ、どこが問題なのだろう?
マウンテン・バイクや馬による登山は自然破壊だ、と言いたいのだろうか。
でも、四輪駆動車で登山道を登るのとはちがう。登山道を作ってしまった時点で、
そこはすでに、人間が楽しみのために利用する施設である。
自転車(エンジンはついていない)や、馬(自然の一部)の乗り入れがなぜいけないか。

道立自然公園・釧路湿原のどさんこトレッキングは、北海道新聞もたびたび取り上げる
自然探索のモデルケースだが、このひとたち(道新通信員を含め)は、
あの湿原探索の様式も否定しているのだろうか。

この山岳会のひとたち、最近の登山者が使うストックについても、
「山の中は穴がぼこぼこ開く」と反対している。しかしこの山岳会のひとたちだって、
まちがいなくビブラム底に鋲を打った登山靴を履いているはずである。
自然へのインパクトという点にどれほどのちがいがあるだろう?
原理主義的極論、という気がする。

記者の意見なのか、山岳会のひとの発言なのかはっきりしないのだが、
こうも記されている。
「登るひとは、(ストックを使わずに)自力で登れるぐらいの体力をつくってほしい」

わたしには、この場合の、自力と非自力の境界がわからない。
登山靴は自力のうちで、ストックは他力なのか?
それともこの文章は、いくつか前の段落で言及された自転車と馬についての論評なのか。
その場合、馬はともかく、自転車は「自力」ではないと決めつけたなら、サイクリストは
怒り出すことだろう。

さらに問えば、山小屋を使った登山のスタイルを、このひとたちはどう考えているのだろう。
あれは、テントと食糧の荷揚げを他人任せにし、金を払ってサービスを買うということだが、
この場合は、それでも「自力」の登山ということになるのか。
それとも否定されるべき「他力」登山なのか。
あるいは、その極限的形態として、シェルパに荷運びをさせるヒマラヤ登山は、
「自力」登山なのか、「他力」登山なのか。

またこの標茶山岳会は、登山道補修のボランティア作業のとき、危険な箇所には「通行止め」の
テープを貼ったそうだ。「この先危険」の表示を出したというならわかるが、通行を止める
どんな権利がこのひとたちにあるのか? 西別岳は、このひとたちのものか?

このひとたちの主張は、あまりに特権的な高みからのものに感じられる。
記事全体にも、どことなくファシズムの匂いを感じる。偏狭な健康志向。安直な排除の発想。
自分たちには絶対の「正しさ」があるという確信と、その「正しさ」の布教への情熱。

いつかわたしは、馬で西別岳に登ってやろう。

01/11/17



『「報復は不毛」と日本のメディアはなぜ言えなかったのか』
SIGHT(ROCKIN’ON JAPAN増刊)


音楽雑誌の編集部が出した、9月11日の事件とその後についての読みでのある臨時増刊。
宮台真司と、藤原帰一というひとの文章・インタビューが興味深いものだった。

藤原氏は、この事件について、
「これは大量殺人であって戦争ではない」と主張する。
たしかに戦争と言ってしまえば、実行者側を主権国家とみなし、
その行為を、国際法上認められた交戦の権利と認めてしまうことになる。

この点は、この増刊号に載っている吉本隆明のインタビューと対照的。
「これは新しい戦争だ、という(ブッシュの)第一声はものすごくよくわかりました」という
吉本氏の言葉など、え?というぐらいに常識的だ。とてもあの思想家の認識とは思えない。
数年前、ある文学賞の授賞式の発言を間近で聞いたことがあるが、
吉本氏はもう健康がかなり悪化しているのではないか。インタビューそのものが
無理だったのだと思う。

それはさておき、しかし、ではこれをテロリズムと言ってよいのか?
恐怖政治、という広い定義では、そう言いうるのかもしれないが、この事件勃発以降、
わたしはメディアが「テロ」と呼ぶたびに、違和感を持ち続けてきた。
その政治性と、行為者の自爆、という要件だけで、これをほんとうにテロと呼んでいいのか。

テロリズムとは、「効率」をなにより第一義におく政治的営為ではないだろうか。
権力の側が実施するテロも同様だが、そこには手続きのショートカットによる
政治的成果の獲得、ということが、必ず一番の問題になっているはずである。
テロリズムの目的は、プロパガンダではない。

白色テロのような政治的反対派の抹殺と、
独裁者の暗殺(講和交渉に入るためにヒトラーの暗殺がはかられた、という場合が典型的)とが、
同じようにテロという言葉でくくられるのである以上、
この両者の共通項はけっして道義性ではなく、政治的効率性であるはずだ。
しかし、9月11日の事件に、どんな「効率」が想定されるだろう。
実行者は、どんな政治的成果を得たろうか。成果は生まれつつあるのか?

思考がまとまっているわけではないのだが、『SIGHT』の特集を読んで。

01/11/7



『9月11日の事件のときの、ある酒場の光景』
北海道新聞10月29日朝刊

10月29日付け北海道新聞朝刊に、作家H氏が、9月11日の事件が報じられたときの
ある酒場の光景を記している。中年サラリーマン層の多かったその居酒屋では、
それがテロだとわかったとき、喝采が起こったのだという。

H氏が、単なるどよめきを喝采と受け取ったのかもしれないが、
わたしの同世代のある知り合いも、ニュースを聞いたたとき、
数パーセントだけ快哉を叫びたい気分だった、と言っていた。
この感覚は、中年の日本人男性にとって、けっこう普遍性のあるものだったのか?
(それともペンタゴン突入の部分だけなら、喝采なのか)。

断じて許せない、という声が圧倒的で、それゆえに自衛隊の派遣まであれよあれよと
決まってゆくのかと思っていたら、日本の社会には、「ざまあみろ」という気分も
じつは濃厚に流れている、ということなのだろう。誰もおおっぴらには語っていないが。

正直なところ、わたしにはこの感覚は理解できない。
喝采や快哉の根拠を(皮肉ではなしに)知りたい。
そして、メディアも、世論の細部を雑駁にまとめることなく取り上げてもらいたいと思う。
「許さん。空爆全面支持だ」がほんとに日本人の多数派なのか。
「ざまあみろ」がけっこうなパーセンテージでいるのかどうか。
あるいは「ざまあみろ。だけども空爆は支持」が、本音ということなのか。

わたしには、WTCビルで働く友人はいないが、
わたし自身はまちがいなく、郵便制度と航空システムが機能する社会の中で生きている。
どんなに自分の胸のうち深くをのぞきこんでみても、あれに喝采する自分は見つからない。

01/10/29



『謎とき日本合戦史』鈴木真哉
講談社現代新書

著者は、防衛庁勤務の経験のある戦史研究家だ。先日もわたしはこのひとの
『刀と首取り』(平凡社新書)を読んだばかりである。
本書でも、著者は、日本史上の常識・定説とされる合戦のありかたについて、
疑義を投げかける。というか、ほぼこのひとの説でまちがいなかろうという説を
提示してくれる。

それはつまり、日本の戦は、基本的には遠戦であって、主要な武器は古くは弓矢、
後には鉄砲となったということ。刀による白兵戦というのは、日本史上の虚構である、とする
ものである。この説を証明するために、著書は史料を精査して、合戦ごとの死者や負傷者の
傷の種類を探り、そこから合戦の様相を想像するのだ。その結果、
日本の合戦はほぼ例外なく、遠距離から弓矢・鉄砲弾を撃ち掛け合うものであったと
断じるのである。

また、いまやわりあい広く知られてきたことだと思うが、
長篠の戦いに於ける「信長の鉄砲三段配備」や「一斉射撃」、
武田の「騎馬゛軍団゛の突撃」なるものなどなかった、と著者はいう。これらも虚構であると。

しかし、徳川時代の「泰平」の世の間に、戦いのありかたが誤解され、
白刃主義(肉薄接近、日本刀による斬り合い)が、日本古来からの伝統的戦法と
されてしまった。これが幕末の攘夷思想にまでつながるのだが、
ペリー来航以降の外国列強との接触の過程で、白兵戦主義は一度捨て去られる。
しかし本書によれば、日露戦争後の歩兵操典の改正によって、ふたたびよみがえるのだ。
それは徹底的な精神主義の強調であり、
行き着くところは玉砕主義(つまりは戦術思想の破綻、放棄)ということだという。
歩兵操典の改正による白兵戦主義の採用という事実については、
初めて知る事実だった。日本陸軍は、非合理を意識的に選びとった軍隊なのだと
いうことになる。

教えられるところの多い啓蒙書であるが、一点、異論がある。
この著者も、日本の戦国時代までの馬はきわめて小柄であって、
騎馬突撃などできぬ実用性の低いものだった、とするのだが、
わたしはむしろ、この定説が虚構だと思うようになっている。

著者は本書中で、サラブレッドを馬の標準体格と考え、
記録に出てくる145センチの馬や142センチの馬を「きわめて小型」と断じるのだが、
これだけあれば20世紀の騎兵の馬としても十分である(小格馬にはちがいないが)。
ましてや150センチ前後と考えられる戦国期の日本人男性の平均身長を考えると、
当時の馬の標準的体高(135センチ前後)は、むしろ十分に騎馬突撃も可能な
大きさだったと言えるのではないか。
日本の中世・戦国期の馬は体格貧弱で騎馬戦は不可能だった、とする定説は、
著者を含め、日本人一般に馬の基本的知識がないことからくる誤解と思える。

01/10/10



『本を短命化から救うには』野口悠紀雄
「超」整理日誌(web site)


わたしはある時期から、「今年のミステリ・ベストテン」といった企画には、いっさい
参加しないようになった。アンケート・ハガキがきても、回答していない。
面白い本を紹介し、読者を増やす、という目的ではじまったはずのこうした企画が
じつは、本(小説)の寿命を、その年かぎりのものにしてしまってはいないか、
と思うようになったからだ。ただし、「あなたの人生のベストスリー」といった企画には、
参加している。小説の価値を、数十年という長いスパンで再検証するという企画には
大賛成である。

野口悠紀雄氏のこのエッセイは、同じ問題意識から書かれた鋭いコラム。
単行本が、月刊誌並みの寿命しか持たなくなったことを憂い、その原因が供給側にあることを
指摘している。そのことはけっきょく、出版不況をいっそう構造的なものにするだろうとも。
氏は、教養主義的文化人の立場で発言しているわけではないから、提言は
「むかしはよかった」式の、ぼやきや愚痴になってはいない。
むしろ、氏はインターネットとの補完で、出版が復興することを期待している。
ITという技術を活用して、既刊書籍に対する需要を顕在化できるはずだと。

氏は書いている。
「以上で提案したのは、出版業のスタイルを、新刊書というフローだけを追求する現行のものから、
既刊書というストックも活用するものに転換させるということだ」
「適切に利用すれば、ITは出版業の新たな可能性を切り開くための強力な道具となるのである」

映画はかつては封切り直後だけの短い寿命しか持たないものであった
(ヒット作品は7年後にリバイバル上映、というディズニーのマーケティングは
むしろ例外的だった)。過去の名作を観るには、そうとうの努力と運が必要だった。
しかしVHSビデオ・テープという技術と、レンタル・ビデオというシステムが、
映画会社が持っていたストックに再び価値を与えた。
いま映像ソフトの店にゆくと、ビデオのとき以上の勢いで、
古典や名作、カルト的作品がDVDソフトに復刻されているのがわかる。
新しいテクノロジーが、旧作の「中身」に、商品としての新しい命を与えているわけだ。
氏は、映画がこのようにストック活用のビジネスとなったことの理由として、
膨大なデータベースができていることを挙げている。

文庫にしているじゃないか、という出版業界からの反論が聞こえてきそうだけれど、
文庫もまた短命化してはいないだろうか。あるいは雑誌化。
この業界に生きている者として、こういう提言がとても気になる。

01/10/02



『ニューヨーク総領事館、テロ事件で見せた心なき対応』
日経ビジネス10月1日号

日本官僚機構の現状を嘆こうと思ったら、毎日毎日素材には苦労しないが、
ニューヨークのテロについても、また外務省の出先は、徹底的に日本国民無視の姿勢だったらしい。
日経ビジネス誌10月1日号では、『日本人保護より大臣接待が大切』という見出しで
ニューヨークの日本総領事館の「杜撰な」対応を記事にしている。しかしこれは「杜撰」というよりは
埼玉県警・上尾署並みの犯罪的サボタージュと言うべきではないのだろうか。

総領事館は、テロのあと、在留邦人の安否確認については、まったくやっていない。
在留届けの提出を義務づけていながら、WTCビル周辺の事業所や住人に対して、
安否問い合わせすらしていなかったという。日経ビジネスが調べて、
安否確認を受けたと答えた日本人は、ひとりだけだったそうだ。
すべては大手企業による自主的な安否確認に頼っており、中小企業や
個人については、「手が回っていない」。要するに、何もやっていないのだ。

また、足止めをくらった旅行者が困りきって総領事館を訪ねても、スキンヘッドのガードマンを
入り口に立たせて、いっさい館内には入れなかったという。このため多くの日本人旅行者が、
ホテルもなく街をさまよい、日本企業や日本料理店に助けを求めた、と記事は記す。

関連して、文春の記者・田中さんのホームページ(リンク参照)のレポートを思い出す。
日本人の被災状況は、ミッドタウンの紀伊国屋のウインドウに貼り出されているとのこと。
これは阪神大震災のときの状況と同じだ。あのときも総領事館は在留邦人に対して
いっさいの情報提供を拒んだ。しかたなく共同通信が壁新聞を紀伊国屋のガラスに貼り出して、
被災状況を気づかう日本人の要望に応えたのだ。
そもそも阪神大震災当日は、アメリカはマーチン・ルーサー・キングズ・デイで休日。
多くの日本人が震災のニュースを聞いて、アメリカ各地の総領事館に問い合わせの電話を
入れたが、総領事館はどこも、休日なのでかけなおせという留守録を流し続けたのだった。

日本に、こんな外務省って必要なのだろうか。
個人的に見聞きする外国の外務省や在外公館の例を持ち出すのもむなしい。

01/09/29



『大正天皇』原武史
朝日選書


一年前に出てずいぶん評判になった本。積んどいたままで、ようやく昨日読んだ。
ほとんどその人となりについて情報のない大正天皇について、当時の記録を丹念に渉猟、
比較して、その実像に迫ろうとする書物。すごい。最後には泣けてくる。
(それにしても、本書がこんな中身だとストレートに書いていた書評にはお目にかかっていないぞ)

大正天皇について、生まれつき精神薄弱だった、とする噂があるが、
この本は、その類の噂は「天皇制」を守るために日本政府と側近たちが作りだした虚構とする。
病弱ではあったし、多動症候群と思える部分もある。
晩年近くはたしかに知的活動は難しくなり、言語障害も出ていた。
しかしこの本が明らかにする大正天皇の全体像は、きわめて人間味ある、
けっして知的にも劣ってはいない近代型の君主の姿だ。
ざっくばらんで、家族を愛し、一夫一婦制を断固として守った天皇である。
側室の子として生まれ、無理やりに母親から引き剥がされ、
しかも母親は明治天皇の正室だと教えられて育った、というその生い立ちが哀しい。

第一次大戦後、世界から王国、君主国がつぎつぎと消えていった。
大正天皇が帝位にあったのは、ちょうどそんな時代である(1912〜26)。
そしてその現実を目の当たりにして、たいへんな危機感を抱いた連中がいたのだった。
その中心人物として本書が名指しするのは、牧野伸顕(大久保利通の次男)である。
彼は、天皇制を守るために大正天皇を早くに引退させ、
明治天皇型の、強く、神秘的な君主をもう一度復活させようとするのだ。
そのために、病気がちの大正天皇について、彼(ら)は21年ころから意識的に重病説をひろめ、
回復の見込みがなくなってからは、誕生直後の病気のために「御脳力」が衰退していた、
とするキャンペーンを張るのである。
皇太子の摂政就任(大正天皇の事実上の引退)を納得させるための世論工作である。
今日まで残る「大正天皇の生まれつきのご病気・説」は、このキャンペーンが起源なのだ。

天皇の権威の象徴たる印籠の箱を、側近たちが病床の大正天皇の抵抗を無視して
奪い取ってゆく場面が生々しい。

本書は記す。
「その結果、大正天皇は江戸時代の大名家にしばしば見られたように、自らの意志に反して
強制的に「押し込め」られ、天皇としての実権を完全に失うに至ったのである」

ああ、なんと可哀相なファミリー。

01/08/29



『報道特集、ブロードバンドの夢と挫折』
TBS系


この特集番組、正確には『ネット革命の激流』というメインタイトルがあって、その第四回目が
今回の『夢と挫折』篇だったらしい。三回目までは、見ていない。
三つのケースが取り上げられるのだが、見ものだったのは、Oなんとかという芸能界出身の
人物(業界では有名なのだろうか?)が興したオリジナル・アニメーション配信の会社の例。
スタン・リー(だったか?)というアメリカの漫画家と組んで、全世界にインターネットでアニメーションを
配給しようとするのだが、スタン・リーの会社は提携後ほどなくして倒産する。
O氏の会社も、インターネット配信をあきらめ、映画製作のほうに軸を移す。
(CG版宇宙戦艦ヤマトだそうだ)。

『報道特集』は、たぶんO氏ご本人から話が持ち込まれて、
O氏をずっと追いかけてきたのだろう。
一年以上前のO氏とクリントン大統領との接触の様子とか、
日本の漫画家20人だかを中国・桂林に招待した旅行の映像が挿入されるのだ
O氏の側から事前の情報提供があって、取材に全面的に協力していないかぎり、
撮れない映像だ。もしO氏が成功していたら、これらの映像はたぶん
O氏の手でちがう意味づけでセールスプロモーションに使われていたにちがいない。
でも、いくらなんでもいかがわしすぎるセンスとバブルぶりではないか。

スタン・リーを日本のオフィスに招待したときの歓迎パーティの様子がグロテスクである。
日本のその会社の社員たちはみな黄色い揃いのハッピで、踊りながらリー氏を迎える。
その踊りはまさに、花見どきの上野公園の酔っぱらいたちのそれなのだ。
アメリカ人を迎えるので日本情緒を演出した、ということなのだろうが、
そこにはインターネット・ビジネスを担うひとが(本来なら)持つべき、先端性とか先進性、
あるいは国際性、知性、美的感受性といったものがまるで感じられないのだ。
『報道特集』のコメントもこの部分、皮肉っぽかったが、映像に映っていたのは、
正視しがたい浮かれぶりであり、自己陶酔だった。

このケースって、挫折、と呼ぶにも値しない無内容な破綻ではないだろうか。
ベンチャー・ビジネスの物語は、わたしはそもそも大好きなほうなのだが。

01/08/27



『13デイズ』ロジャー・ドナルドソン監督
ビデオ


月刊プレイボーイの連載もいよいよ「キューバ危機」(「十月危機」)の章に入る。
それで、気分をそちらに向けるために、このビデオを借りて観た。
原作がロバート・ケネディの回顧録『13日間』なので、ケネディ政権の決断の
正当性が高らかに讃えられるのは当然である。ここでは、悪はフルシチョフ・ソ連ですらなく、
アメリカの軍部である。そして当事者のひとりであるキューバ政権の描写は、
見事に捨てられている。その限界を承知で言っても、これは見応えのある政治映画だった。

とくに、外交とはいかなるセンス、いかなる感受性の持ち主が担うべきかを、
リアルに描き出している点。この危機のとき、アメリカ、ソ連の指導部双方に、
相手の出すシグナルを敏感にかつ正確に読み取ってゆく能力と感受性がなければ、
世界は核戦争にまで至っていた、という恐ろしい認識が、サスペンスフルに描かれる。

当然、わたしは一九四一年の日米交渉の経緯を連想する。
あの交渉の決裂とこれに続く戦争という結末は、要約してしまえば、
日本側にこの外交的感受性が致命的に欠けていたために起こったのだった。
日本側の認識ではいまだに、国務長官のハルに最後通牒を突きつけられて、
やむなく開戦に至った、とされているが、実際はちがう。
ハルは開戦回避のため、最後には「全中国からの撤退」の要求をさげ、
「中国からの撤退」という文言で、満州についての日本の既得権を認めようしとた。
ところが当時の日本の指導部は、この重大な戦争回避のシグナルさえ読み取れずに、
自爆的に開戦に踏み切ってしまったのだ。

東京裁判のとき、開戦時の外務大臣であった東郷茂徳が、アメリカ側から
「ここで言う『中国』には、満州は含まれていないとは解釈しなかったのか」と問われ、
「そうであれば話はちがった」と絶句した、というエピソードがある。

とまあ、そんなことを想いつつ観たビデオ。
興味深いキャスティングがあった。軍部高官のひとりで、エド・ローターが出てくる。
台詞はひとつもないのだが、彼の顔が何度か画面に出てくるたびに、
わたしはケネディ大統領暗殺事件を描いた映画『ダラスの熱い日』を思い出した。
あの映画の中で、エド・ローターはアメリカ産軍エスタブリッシュメントの依頼で
ケネディをじっさいに撃つ狙撃手の役を演じた。つまり『13デイズ』の結末を受けて、
エド・ローターは大統領暗殺犯となる、ということになる。大統領暗殺事件には、
キューバ危機でこけにされた軍部の意図が働いている、という制作者側の
メッセージと取るべきだろう。たぶんアメリカの観客の多くも、
『13デイズ』のこのキャスティングが意図するところのものを感じ取ったはずである。

もっとも、大統領補佐官ケネス・オドネルを演じたケビン・コスナーは、
『JFK』で大統領暗殺陰謀説を主張するギャリソン検事を演じてもいるが
たしか『さよならゲーム』(いや、べつの野球映画だったろうか?)では、
「ぼくはオズワルドの単独犯行説を支持する男だ」と、口にしているのだが。

01/08/14



『山田風太郎訃報』
各メディア


キューバ取材から帰ってきて、山田風太郎が死んだことを知った。
仰々しい葬儀などはなく、身内だけで密葬ということにしたらしい。
いかにも山田風太郎、と思う。大先達に対して、呼び捨ては失礼かと思うが。

わたしが最初に読んだ風太郎作品は『妖説太閤記』だった。
豊臣秀吉を、性的倒錯気味の権力亡者として描いた作品。
平岡正明『山田風太郎はこう読め』によれば、この作品は山田風太郎の
前期と後期とを分けるきわめて重要な作品だったらしい。
これに代表されるように、山田風太郎はけっして権力者を賛美するような作品は書かず、
徹底して稗史を描き続けた。作家姿勢はそれこそ「反骨」で、しかも「骨太」だった。
でも、その史観の過激さについてゆけないのか、
それとも忍法もの映画の原作者、としてのイメージが強すぎるせいか、
「堅気」の男性が、山田風太郎の愛読者、と名乗るのはあまりきかない。
日本の経営者などにアンケートを取っても、好きな作家として名を挙げられることは
ほとんどなかったのではないか。

文藝評論家の縄田一男氏(『武揚伝』の帯の推薦文を書いていただいた)が、
ある新聞紙上で書いていた言葉をあらためて思い出す。
「司馬遼太郎と山田風太郎の読者の割合が逆転すれば、日本も変るだろう」

いつかそんな日がくることを、わたしも期待し続ける。

01/08/10




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