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パティシエのクチコミ!


厳選パティシエじゅずつなぎ

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No.19
Pâtissier es KOYAMA  兵庫エリア
 
【お店】パティシエ エス コヤマ
【パティシエ】小山 進

【住所】 兵庫県三田市ゆりのき台5-32-1  

【TEL】0795-64-3192
【営業時間】10:00〜18:00
【定休日】水曜日(※木曜日不定休)
【HP】有り→




【パティシエ・プロフィール】
1964年 京都生まれ

1983

潟Xイス菓子ハイジ入社

1991

兵庫県クリスマスケーキコンテスト 県知事賞 最優秀賞受賞

1992

全国洋菓子コンクール ジャパンケーキショウ神戸代表 銀賞

1993 兵庫県クリスマスケーキコンテスト県知事賞 最優秀賞
TVチャンピオンケーキ職人選手権大会「クリスマス」優勝



【パティシエ】 小山 進

1994

TVチャンピオンケーキ選手権大会「ウェディング」優勝

1995

TVチャンピオンケーキ職人選手権大会グランドチャンピオン大会「クリスマス」準優勝

1996

TVチャンピオンケーキ職人選手権大会 日仏対決「クリスマス」優勝

1997

カリフォルニアレーズン(味覚)コンテスト本線第3位

1998

バター生クリームを使ったプロによる洋菓子コンクール(味覚)本選第3位
兵庫県優秀技能者賞受賞

1999

スイス菓子ハイジ 退社

2000

(有)パティシエ エス・コヤマ設立(全国10数社の商品開発・技術指導を行う)

2001

TVチャンピオン グランドチャンピオン大会(フランス)
1ラウンド・決勝 両ラウンド 味覚部門第1位

2003

パティシエ エス・コヤマ OPEN

パティシエ 小山 進さんが修行されていた企業
潟Xイス菓子ハイジ

【「なるな。」と言われるとなりたくなって・・・父親への思い】
この世界を目指した理由・・・・よく聞かれますね。僕は、ケーキ職人の息子なんです。父は自分では、商売していないんですけどね。独立するようなタイプの人じゃない。とても穏やかで、人を統率して前へ出るような人ではないからね。
父親は、和菓子屋のケーキ部門を任されていて、ケーキは神戸の人に習ったと言っていました。だから「ケーキをするんだったら、神戸へ行け。」と言われました。神戸の人がケーキは凄いんだと言う思いがあったみたいで、自分が教えるよりも神戸の人にちゃんと習ったほうがいいと思っていたみたいです。

子供の時から、母親とおばちゃんにずっと「ケーキ屋には絶対になったらあかん!朝は早い、夜は遅い、給料安い・・・最悪の仕事やで。絶対にあかん!」って言われてた。そう言われて育った・・・・そう言われたら・・・なる方向に向かっていくんです。僕ね、自然と。母親が「こんなおいしいもん。」とか言うと、僕嫌いになるんです。中学の頃、母親が漬物屋で働いていたんです。母親が、漬物のこと「こんなおいしいもん。こんなおいしいもん。」って言うんです。だから、僕は漬物大嫌いなんです。
母親の言うことに従えない自分がいるんです。「ケーキ屋になるな。」って言われると、なりたくなってきてね。もともと、物を作るのが好きだったから。

中学、高校とクリスマスには、父親の手伝いをしにアルバイトで行っていた。父親ってクリスマスの時、自分は何日も徹夜しているのに、和菓子の部門の人たちを帰らせるんです。それを見て、中学の時、父親を偉い人だなあと思うよりも、「俺の家に子供の頃、毎年クリスマスがなかったのはこれが原因ちゃうか・・・」って思ったんです。「何で、帰すんや!手伝だうって言ってはるのに・・・みんなでやったら早く終わるんちゃうんか!」と思って・・・

気兼ねもせずに帰ろうとする職人がいたから、「ちょっと待て!考えてみてくれ。なんかおかしくないか?同じ会社やろう?同じ会社だったらみんなで協力して、イベントであるクリスマスを終わらしたらいいのと違うか?みんなでやったら早く終わるだろう。」って言ったんです。中学生の僕が・・・。
その時初めて、親父にどつかれました。「いらんこと言うな!俺の世界や。関係ない。」って。・・・すごいなあ・・・一生懸命働いているんだ・・・ってはじめて感じました。
 

いい仕事じゃないというイメージを持っている母親とおばあちゃんに父親が今更それを変えることは出来ないけれど、僕がそれを変えないと・・・父親に申し訳ないなあ・・・納得させないと・・・一生懸命がんばっていて、多少なりとも影響をうけた親父に対して申し訳ないなあ・・・と思ってね・・・でも、これは、ええかっこ(笑)。

もうひとつ理由があってね、ある時、テレビで『こんなときアルファー』という番組をやってたんです。当時『ミッシェル』という芦屋川にあったお店の安部チーフという方が出られていた。この方は、ホテルプラザのシェフもされたことのある方でね。その人がアメ細工をされていたんです。デザートに飾る。「うわー!こんな世界があるのか!」と思ってね。何かクリエイティブな仕事をしたいと思っていた僕が、父親の仕事もあって決定つけたのは、阿部さんのあめ細工だったんですよ。

「わーかっこいい!」と思ったんです。かっこいいから入ったんです。絶対になろうと思って。こんな世界があるんだったら・・・こんなアートな世界があるんだったら絶対やろうと思ったんです。父親のしていた仕事でもあるし・・・この世界には、僕の好きなことのすべてがあるなあと思って。


【やんちゃないたずらっ子】

子供の頃はやんちゃでしたよ。いたずらっ子。ほんとに。だからといって、ヤンキーとかだったわけじゃないよ。パンチパーマかけていたわけでもないしね(笑)。僕、音楽やってたからね。ギターとボーカルしていたんです。

・・・進路は早く決めたかったんです。僕、遊んでたけど、成績悪くなかったんですよ。結構良かった。京都産業大学推薦で受けさせてくれっていってたんです。はじめは。なぜかと言うと、音楽をやりたかったから。大学に行って・・・それから将来自分が何をやるのか考えようと思っていた。音楽・お菓子どちらをやるのか・・・。お菓子の世界は、お守りのように考えていた。音楽で食べていくのは、難しいから。

今でもお店のスタッフを面接する時に言うんです。大学行ってからケーキ屋になってもいいよって。大学行ったら大学行ったなりのことが学べると思うからね。

技術的なことは、自分が人より遅れていると思って、ハングリーな気持ちになって、必死でやれば、それでいいんだから。早いこと技術を覚えた方がいいという人もいるかもしれませんが、僕は違います。

 


【手っ取り早い目標】
母親やおばあちゃん・・・ケーキ職人にあんまりいいイメージを抱いていない彼女たちを納得させるためには、具体的な分かりやすい方法でないといけないなあと思って。
自分としては、短期でクリアーしたいなあと思っていた目標が
2つ。1つは、テレビに出ること。もう1つは、雑誌に載ること。これが、おばあちゃんなんかを納得させるのに一番手っ取り早いと思った。いかにもミーハー的ですけどね。(笑)


 【『スイス菓子ハイジ』就職・・・「ハイジ」と「プロバンド」2足のわらじ】
就職を決める時、『スイス菓子ハイジ』の面接日が105日、『アンリシャルパンティエ』の面接日が1110日だった。『スイス菓子ハイジ』に決めたのは、面接日が早かったというのも理由の1つ。就職先を早く決めたかったから・・・。

でも、決定つけた理由は他にもあるんです。
『スイス菓子ハイジ』の本店に「パティシエになりたいから見学させてほしい。」と言って行かせてもらった時、帰りに『フランクフルター・クランツ』というケーキを
1台お土産にもらったんです。見学に来た、ただの学生に対して・・・。その心使いにすごく温かみを感じてね。僕は、企業的なところよりも、温かみのある場所で働きたかったので・・・、それで決めたんです。
それと、もう
1つ理由があって、見学に行った時、従業員の中に頭を金髪に染めている人がいたんです。当時、僕は音楽活動をしていたから、髪の毛を染めたりしていた。「ここだったら、僕もこの頭のままでも働けるんだ・・・」っと思って。(笑)

『スイス菓子ハイジ』に就職した頃、僕は、『ノヴェラ』というバンドのボーカルのソロプロジェクトバンドのオーディションに合格して、そのメンバーの一員としてプロ活動をしていたんです。オーデションでは、デビットボウイの『モダンラブ』と『チャイナガール』を「何度でハモってくれ。次は何度で・・・」と言われて、いきなり歌わされましたよ。(笑)
だから、『スイス菓子ハイジ』に就職した当初は、2足のわらじ。就職して早々、上司に「普段は1日も休みいらないから、バンドの全国ツアーの時だけ休ませてほしい。」ってお願いしていました。



【最初の配属、芦屋店 喫茶】
たまたま
1年目の僕の配属が芦屋店だったんです。「幸先いいなあ・・・芦屋店か。」と思って行ったら、タイムカードに『喫茶』って書いてある。「喫茶か!ちょっと待ってくれ!・・・父親に、どんなケーキ覚えたか言わなあかんのに!」っと思いました。

やってみたら、喫茶にはデザートがあった。デザートを強化させたいから社員を一人配属させろということだったみたいです。僕は一番声が大きかったんです。だから、あいつをお客様の前に出せということだったみたいです。それは、後で分かった。

喫茶では、スピードと最後まで自分で責任を取るということを学びました。
当時芦屋店には、コーヒーがなかったんです。紅茶の専門店。紅茶が10種類以上あった。それを
19歳の自分がすぐ覚えないといけない。僕はそういうところからスタートしているから、まずスピードを覚えました。それから優先順位。そして、紅茶の種類を一生懸命覚えました。結構良かったですよ、今から思うとその経験は。お客さまに何も手をつけずに返されたこともあります。そうなると飲んでみたくなる。飲んでみると凄く薄かったり、濃く出してはいけないものを濃く出してしまったりね。その時代から店のお客様の前に出る仕事ばっかりでした。
結局僕は、『スイス菓子ハイジ』というところで
17年間お世話になったんです。


【ケーキを作りたい】
芦屋店でケーキ覚えられないから、何とか覚えるために朝早く来ようと思ってね。先輩が協力してくれて、朝3時に毎朝迎えに来てくれたんです。
みんな来るのが
7時頃。先輩たちが7時頃に来られた時に、朝食のトーストとカフェオレを用意して、岡本店と芦屋店のケーキを全部そろえて待つというのが自分なりのステータスだった。そこまでやってやろうと思いました。それを2年間続けました。毎日3時、みんなは夕方帰るけど、僕は喫茶だから9時に終わった後、片付けをして10時。10時〜12時までマジパンの練習をして帰る。そして朝3時に迎えに来てもらってました。それを毎日続けました。

喫茶しなくてはいけないけど、もっとケーキ作りたい・・・覚えたいという気持ちが強かったから・・・そういうハングリー精神がありました。

ある日、喫茶で暇な時間帯があってぼーっとしていたんです。それまでは、トーストセットに添えるバターは四角く切るよう言われて、そうしていた。
それを見て、単純な発想で「ケーキ屋なのに・・・他に何かないのかなぁ・・・自分はバラ絞れるかもしれないなぁ・・」と思いついたんです。幼い頃から父親が店でバラを絞っているのをずっと見ていたんです。見よう見まねでやってみたら何とか絞れたんで、バターをやわらかくして、バラを絞ってトーストに添えていたんです。

そんな時ちょうど社長が来られたんです。「あーまたなんか言われるなあ・・・」と思ってたら、シェフを連れて入ってこられて、「おいこれをみろ!これが大事なんや!商売では!少しでも人を喜ばせようと思うこの精神が大切なんや!こいつは何者や!」って言われてね。「新人です。」って言ったら「
19歳の新人がこんなことできるのにお前たちは、なにやってるんや!」とシェフが社長に怒られたんです。
「社長がシェフを怒ったら後で僕のところにしわ寄せがくるやんか・・・」と思ってたら、案の定来たんですけどね(笑)。でも、社長が「こいつにケーキを作らせろ!」と言って下さったんです。それで、ケーキ作る時間が増えたんです。



【ケーキの取材・・・「僕を撮って下さい。」】
たまたま、喫茶で夜みんな帰った後残っていたら、雑誌社の方が来られて、「芦屋のケーキ屋のガイドブックの取材に来ました。今日、ケーキの撮影することになってるんですが」と言われるんです。でも、どこにもケーキがないんです。聞いていないしね。どうしようかなあと思って・・・。
その時、とっさに僕のズルセンサーが働いて、「僕を撮ってください。」って言ってしまったんです。そしたら、「それも面白いかもしれないですね。」って言われて撮って下さったんです。その頃、作り手がメンイで雑誌に載ることは、ほとんど無かったと思います。

『スイス菓子ハイジ・芦屋店のケーキを創り出す小山進さん』って結構でかでかと雑誌に載ったんです。『創り出す』ですよ。ケーキなんて作れないのに・・・紅茶は入れられたけどね(笑)。社長がそれを見て大絶賛ですよ。「お前はあほか天才かどっちや!そのわけの分からん考え方が面白い!」と言ってくださったんです。

・・・自分の中に目標があったからね。雑誌に載るというね。それがこんなに早く来るとは・・・・自分の前にきたらぱっと掴む。この時にチャンスがきたら掴むということを覚えましたね。



【星稜台店(垂水)店長】
21歳の時、新しい店を垂水に出すことになって、お前が行けと言われました。「ケーキ作れないんですけど。」と言ったら「作れなかったら覚えろ。お前が店長だ。」って言われました。
住み込みですよ。それまでは王子公園の寮にいました。
8人部屋。一部屋に二段ベット4つ。嘘みたいでしょ。その後、先輩と一緒に部屋借りてね。そんな時に住み込みでの仕事だったので、やったー!って思って行きましたよ。自分の部屋だ!と思ってね。でも、店の二階が自分の部屋でしたから、休みの日でも朝9時になったらお店からクラッシックが聞こえてくるんです。寝てられないですよ(笑)。

夜中でも思い立ったら店に下りていって新しい商品考えてましたね。今から見たらめちゃくちゃだったけど、自分なりには一生懸命商品作ったりしてましたよ。
当時『あんコーヒーゼリー』というのをやっていたんです。僕は京都出身。京都の喫茶店で『あんコーヒー』というのを出していたお店があってね。それでそれをコーヒーゼリーにしてやろうと思ったんです。そしたら結構売れました。


ちょうどその頃、津曲さん(ケーキハウスツマガリ)堀尾さん(ホリオロワール)佐野さん(レーブドゥシェフ)がお店によく来てくださいました。
津曲さんには、「どうしたら、おいしそうに見えるか。どうしたら元気よく見えるのか。」という商品の陳列パフォーマンスを、これでもかっていうくらい教えていただきました。訪ねてくださるたびに、次々と課題を見つけてはアドバイスして下さいました。アドバイス頂いた事をその通りにやっているうちに、当初
10万程度の売上のお店が2年間くらいで平日40万売れるお店になったんです。

 


【営業職時代・・・TVチャンピオン(YV東京)出場・・・優勝】
『スイス菓子ハイジ』の中で色んな店を経験して、26歳の時、突然、上司に「明日から白衣着るな。今からアオキか青山に行ってスーツ買ってこい。営業回れ。」と言われました。売上管理をする店舗管理部。全店の売上を達成するのがお前の仕事だって。次の日から、営業です。デパートのバイヤーの方とかと交渉する仕事をすることになったんです。

そんな時に、話があって
TVチャンピオン(TV東京)に出たんです。ケーキ作ってなかった時に。ケーキ作っていないから、今、技術的に何が流行っているのかイマイチ分からない。でも、唯一コンクールには出てもいいと言われていたので、年に1回ある西日本コンテストには出ていた。そして、それで優勝したりしていた。それを見て、リサーチ会社が僕のところに来たんです。

TV
チャンピオン(TV東京)では、ちょうど友達の横川君(菓子工房 T.Yokogawa)が優勝している時だった。僕は、TVチャンピオン(TV東京)で初めて関西から出場したパティシエだった。それで2連覇してしまったんです。なぜかと言うと営業側の目線で物を作ったから。アメ細工とか、中途半端にしか出来ないものは、はじめからしなかった。マジパンしか出来ないからマジパンで分かりやすいお菓子を作った。


アメ細工を作っている人はガラス細工にしか見えなかったけど、僕のマジパンにはほのぼのとした雰囲気があったんだと思う。それが勝因だったと思います。今のお店作りにも、その精神(単純明快なわかりやすさ)が宿っていると思います。



【イメージトレーニング】
1年目の時からずっとそうなんですが・・・、朝、花の水遣りから始まるんです。
花の水遣りをやっている間にカスタードクリームの牛乳を沸かしてね。カスタードクリームの牛乳を10本分沸かしている間に花の水遣りをして表の掃除を終わらせる。走り回らないとクリアーできないんです。そうやって、時間決めて時間決めて行動をしていました。

これが、後々40分のコンクールで1つのデコレーションを作り上げるということに役立ちました。デコレーションの練習という実際の練習以外にもシュミレーションをして想定して、練習できるような考え方が身につきました。デコレーションの練習をしなくてもイメージトレーニングはいろんなことを利用してできる。
特に若いパティシエは、自分の時間がたっぷりあるわけではないからね。それが後々、TVチャンピオン(TV東京)という番組に出た時にもすごく役に立った。
そこでは、8時間という時間を決めて対決をしなければいけない。まともに練習してくる人もいるし、設計図書いてくる人もいる。僕は設計図なんて書かない。8時間のイメージを持って、当日初めてやるんだけど、出ると決めてからずっとそのことしか考えない。頭の中で何をやっている時でも、それをやっているようにイメージして動いていた。いちごのデコレーション1つ作るにしても、10分かかっていたところを8分で出来ないか・・・とか、日常の仕事の中でイメージトレーニングしていましたよ。



【商品開発・商品企画・デザイン】
お客様から僕の作るお菓子を要望されるようになって・・・、もう一回本店のお客様の見えるところでケーキを作れる状況になったんです。テレビのお陰でね。またケーキを作るようになってからは、商品開発や商品企画をしていました。

『アルハンブラ』という生チョコをサンドしたお菓子のリニューアル開発をやって、それが大ヒットして売上が4〜5倍になったんです。・・・『スイス菓子ハイジ』を辞める直前には、パソコンの前に座ってましたよ。
Mac(マッキントッシュ)使ってデザインやってた。会社からはデザイナー方面でやっていけという方向になっていた。確かに一時期グラフィックデザイナーを志したこともあったから・・・だから、今の店のポップも自分でデザインしたりしてますよ。

僕は、『スイス菓子ハイジ』という会社が部門化される前の過渡期の時にいたので、何もかもしなければいけなかった。でも、そのことで自分自身、職人とは違う視線で、物事を見られる力がすごく付いたと思います。


僕は、トータルなプロデュースをするのが好きなんです。『スイス菓子ハイジ』で仕事をしていた時も『僕は、いずれこの会社の社長になろう』と思っていた。入社した1年目からね。それは、全部自分が切り盛りしたいから・・・、一部分は嫌なんです。

 


【企画プロデュース会社】
前の会社を辞めて・・・。19991231日で辞めたんです。その時いろんなことが重なって・・・、子供が病気になったりね・・・・。

会社だけは
12月に作っておいて、すぐに独立はしなかった。そして、商品開発とプロデュースの会社を作ったんです。商品開発や企画でプロデュース、演出のお手伝いをする側になろうと思って・・・。
そしたら、
TVチャンピオンで優勝した経験があったせいか、結構クライアントがついたんです。全国で10社くらい顧問をして、3年半の間、全国行脚です。1日も休むことなく・・・、止まると置いて行かれそうな気がして・・・、ただがむしゃらに突き進みました。

その間、東京でシュークリームブームなんかを引き起こすきっかけになったりもしました。自分の店舗を
OPENさせた今でも5社くらいはまだ引き続き顧問をしています。新たな依頼もありますね。

企画プロデュース会社を立ち上げたことによって、自分なりのお菓子屋の商売の考え方を色んな角度から見ることが出来た。色んなお店を立ち上げることによって・・・

情報を自分自身鮮度アップしていかないと。だから、休みの日でも僕は必ず外に出るんです。今でも、月に
4回休みがあったら、必ず顧問先に出向いています。



【東京、シュークリームブームの火付け役】
ある時、ある会社から「老朽化が進んでいるので何とかしてほしい。」と言われたんです。行ってみたらみんな目が死んでいる。トイレ行っても靴を脱ぎっぱなし・・・・、規律も何も無い。

これを見て僕は、「あーきっとこの人たちは、成功体験が無いんだなぁ・・・」と思ったんです。
その時ちょうど、東京を市場調査して回っていた。当時東京ではシュークリーム
250円だったんです。高い!と思ってね。ここでシュークリーム売ったら売れるだろうなあと思って、企画してみたんです。そしたら、「何でもいいからやってくれ。みんなが元気になるんだったら・・・あなたにかけてみる。」って言われたんです。それで、シュークリームの専門店を立ち上げたんです。

僕は東京で出店するんだったら単品の主力を持っていかないといけない。という考え方だったので、俺の考えが合ってる試してやろうと思ってね。
デパートでゲリラ的に催事をやって、それで爆発的に売って、それが注目されているうちに本体を立て直そうと思ったんです。いくら新しいことをやったって、お客様が見てくれていなかったら、お金捨ててるのと同じですから。
それをやったら売れたんです。社員一丸となってみんな本当にがんばってくれたので、結局
1年間で1品で10億売ったんです。そこからシュークリームブームが巻き起こった。その時、『ビジネスサテライト』という社会現象なんかを取り上げるニュース番組に出演して、『なぜシュークリームをやろうと思ったんですか?』と取材されたり、経済雑誌に載ったりしました。

僕のコンサルタントのスタートの仕事として、すごくうまくいった。それで注目されるようになった。僕は個人店でも単品主力商品がきちっとあるお店でないとこれからの時代無理だと思うんです。『あれがあるからこの店に行こう!』というのがないとね。ショートケーキはお店の花ではあるけど、単品主力(戦略商品)にはなりえないと思うんです。名物というのは、箱単位で動く分かりやすいものでないと。

 


【エスコヤマOPEN・・・場所・切り株の大テーブル・銅の人形】
『場所』
この場所は、僕が『スイス菓子ハイジ』を辞めたときに見に来て、分譲地として区画整理をしている時だった。すごく気に入ったんですが、分譲じゃ無理だな・・・と思ってあきらめていたんです。それから色んなところを探しましたよ。京田辺や
精華町 ・・・・、どの場所も最初に見た場所のイメージに重ね合わせて見ていた。

あきらめて三宮の物件と契約をしようとしていた前の日に「借地になったんですがどうですか?」と連絡が来たんです。即決ですよ。それがちょうど春くらいだったのかな・・・去年の。それでその秋の11月にお店をOPENしました。

即決したのはいいけど、みんなに言ってなかったので、すぐ連絡して見てもらったら、「お前ここは無いだろう。鳥のえさ作るつもりか?」って言われましたよ。確かに鳥はたくさんいるなあと思って・・・、そうかなあ・・・あかんか・・・と思ってね。僕の頭の中には、子供達が遊び周れるような、庭付きの郊外型の一軒家パティスリーを作ることしか頭に無かったから・・・。

お店の中で色んな商品をしたいから・・・、やっぱり売れてほしいと思いました。僕の考えている郊外店というのは、常に車が入っているようなお店がイメージにあったからね。みんなにここはだめだって言われたので、どうかなあと思ったけど、いざ
OPENしてみたら、OPENの日と次の日、2000名、2000名、お客様が来て下さいましたよ。

オープニングの時はコヤマロール
400本焼きました。でも、品切れになってしまって・・・、作るのが精一杯、苦情の嵐。オープニングフェアーが終わってからも、しばらくの期間は、開店して1時間でショーケースがらがらになってしまって 、せっかくお客様がお店に来てくださったのに商品が無い、買えないという状況でした。・・・何とかしないといけないという思いでいっぱいでした。
・・・やっとゆっくりいろんなこと考えてできるようになってきたのは。ここ
2ヶ月くらいです。

このロケーションだから、苺でも近所から朝取りいちごを毎朝8時に届けてくださる。牛乳も氷上牛乳というのを届けてもらってる。このロケーションだからこそ出来ることをやっていきたい。今風のお菓子作り(スローフード・地産地消)のことも頭においてね。その方が発想、イメージがどんどん、どんどんわいてくる。

『切り株の大テーブル・銅の人形』
店内にある大きなテーブルあるでしょ。あれを一番最初に決めた。あれからスタートした。あの大きな木のテーブルと庭にある銅の人形だけが決まっていた。銅の人形は、北海道の作家さんにお願いして自分の描いたストーリーにあわせて作ってもらいました。

あのテーブルは、エス・コヤマの『命』。あそこから全てが始まった。

 


【曲線的な動線・・・店内】
『パン』
パンは焼き色と匂いをだしたかったんです。ケーキ屋はバターとか使うの得意だから、デニッシュとかクロワッサンとかは、得意なんです。
僕、父親がケーキとパンやっていてね。パンは焼きたての香りがすごくいい。朝、店をオープンした時に焼けてるでしょ。お店に入って来た瞬間にすごくいい香りに包まれる。

ヨーロッパのケーキ屋さんが、クロワッサンを店先に山のように並べている姿見て、『ああ・・・こういうケーキ屋さんしたいなあ・・・』って思ったんです。朝、デニッシュとかクロワッサンとかが、ザーッと並んだ姿を見たら爽快と言うか、すごいかっこいいんです。デニッシュやクイニーアマンの持つ独特の焼き色・・・テカッとしたつやのある深い焼色・・この色に僕はヨーロッパ的なものを感じるんです。そして高級感や本物感を・・・、そういう空気をお客様に伝えたいと思って・・・。この焼色は他のお菓子では表現できない。


朝一番にそんな焼色と香りに包まれると、「ああ今日もいけるなあ・・・」と自分でぽんとハンコを押すような気持ちになれる。そんな気持ちで朝スタートしたいからやってるんです。お店の中でこの空間だけ、ライブ感というか迫力と生活感を出したかったんです。

僕のお店のレイアウトのコンセプトはね、入ってまず生活に近いところから始まっている。そうやって回遊しているんです。最後はギフト。
ここの建物は、コンビニ用として建てられていた建物なんです。そこを店にしたので外観は、シャープな切り口で直線的なんだけど、本当はもっともっと丸いアールを使った建物にしたかった。外が直線的だから、中を出来るだけ丸く、曲線的にしたんです。

 


【こだわりの庭】
入り口に立った時に、シンメトリーで全部見えていた。はじめはね。でも、隠れている部分がないと子供達は楽しくないんですよ。歩きながら発見(トリック)できないとわくわくしない。

はじめ入り口に立つと、コラボラのアーチがちょうど額縁のような感じで・・・、星の果物 を取っている人とそれを受け取っている人の人形がちょうど額縁の中に入っているんです。
まずそこにぽんと目線がいって、そこに向かって歩いていこうとするんだけど、横をぱっと見たら山に登る入り口があったり、泉があったりする。隠しながら見せながらというバランスを取りながら作らないと庭って楽しくないんだろうなあと思って。

後は音ね。風が吹くと音が鳴るようなものもあるんだけど・・・、今、僕が考えているのは、北海道の牧場でアイスクリームをしている店とかチーズやっている店とかにある鐘。ひもが付いていてカランカランって鳴らせる。
その鐘って子供が鳴らしているというよりは、お父さんが鳴らしているんです。だいたい。お父さんって子供の時に
遊んで、今でもこういう空間で遊んだ思い出とか、遊びたいと思う気持ちとかがあるんですよ。だから、お父さんも一緒に来ても退屈しないような空間を作りたいと思って・・・。
それは僕自身が退屈しない空間でもあるんです。そういうものを作りたい。それが僕のお菓子創りとか店作り・・・いたずら心というか。
『スイートトリック』・・・『お菓子でいたずら』という意味だけど、誰かに何かを感じてもらおうと思ってする。

こんな立地で商売している意味っていうのもこの庭に現れていないとおかしいなあと思って。
えらい辺鄙なところでやったなあと言われるんだけど、ここでしか出来ないことをやりたかった。パブリックな建物の間に・・・、交通の便や交通のアクセスがいい場所に店があったとしても、僕流の本当の店というのは出来ない。

僕は、幼い時カブトムシとかクワガタムシとかをよく取った思い出が自分の中にある。そういう遊び心の中でケーキ創りをしていきたい。庭の世話をしていること自体が苦痛ではなく、楽しいですよ。朝、ここに来て花に水遣りをしたり、今日もいい天気だなあとか感じたりする時間から僕は始まるから。自分がそこに立って居心地のいい空間で仕事をしたいなあと思った。それがここなんです。それが僕のオリジナル。僕が僕らしくあるために・・・僕が元気でなければ・・僕が物事に飽きずにいれるために・・・いるためにはここなんです。

僕・・・、こんなこと言うと怒られるかも知れないんだけど・・・、『お客様が喜ばれること』ということよりも、『自分やスタッフたちが楽しくなれる場所』ということを考えていて・・・、それがたまたまお客様にとっても楽しい場所なんだなあ・・・という感じ。

・・・この庭をリニューアルした時から子供達が本気で遊び始めたんです。ここには色んな遊び道具がいっぱいある。
子供達の遊ぶ姿をよく写真に撮られているんです。そんな場面で「お写真お取りしましょうか?」と声をかけれるようなお店にしたいと思ってますね。ちょっとした気使い・気配りができるお店。

 

庭では、子供達に本気で遊んでもらいたいんです。本気で遊んでくれないと、もう一度戻って来たいと思えない。本気で遊んでもらうためには仕掛けが必要なんです。
最近です・・・。子供が本気で遊んでくれるようになったのは。色んな場所に登って見る景色が違うんです。小さな庭なんだけどね。

庭にこの小さな山を作ろうと思った発想は、工事に入ってから浮かんだんです。駐車場を更地にしなければいけなかった。そこから生まれてくる土を捨てると70万〜80万かかるって言われてね。自分の中にマイナスのものにに対してお金を払うという感覚がなかったんで・・・捨てるのにお金がかかるのかって。困ったなあ・・・ってね。それで、山を作ったんです。

ゼロのものを1から作り出すのがすごく好きなんです。庭・・・わくわくしてますよ。・・・・やっぱり自分の店っていいなあって思います。

 


大人気のケーキ教室】
お菓子教室をしてるんです。見えるところでお菓子教室がしたかったんです。
募集をしたら、ありがたいことに何百人も応募あったんです。それをクラスわけするのが大変な作業で、東京、広島、京都、岐阜、千葉・・・からね。「何で?」・・・ってこっちがびっくりするくらい、日本全国から応募して下さって・・・、ありがたいですね。
・・・だけど、逆にプレッシャー感じますよね。どんなお菓子教室を期待して来られるのかなあ・・・って思って。

僕流の教室が出来たらなあと思っています。他の教室とは、違った小山流の『スイートトリック』の世界を伝えることが出来たらなあと思っています。

 


【小山ロール】
TV
チャンピオン(TV東京)のグランドチャンピオン大会・パリ対決というのに出場した時・・・、今まで決勝大会では、どのパティシエもすごく手の込んだ凝ったケーキを作られていた。
凝ったケーキに同じような凝ったケーキを作っても何の印象も残らない。確実性を持って勝つためには、もっとインパクトのある商品を作らなくてはいけない。

その時、ロールケーキがはやる兆しがあったので、僕が今まで食べた中で一番おいしいロールケーキを作ろうと思ってね。作ったんです。そしたら案の定ダントツで一位。
100人中80人以上が僕に投票してくれた。その瞬間に「ケーキの名前は?」ってインタビューされたんです。何も考えていなかったので、とっさに『小山ロール』って言ったんです。それが、これなんです。

僕の商品にはみんなストーリとこだわりがあります。やっぱり、一番『コヤマロール』にはありますね。絶対においしい生地を作ろうというところから入ってるからね。ここオープンしてからも、まだ、試行錯誤していて、蜂蜜を変えただけでもこうなってしまうのか・・・とか、粉も変えて・・・ぎりぎりまで・・・。最近も少し変えましたね。

基本的にお店では、『播州地卵100日地鶏』という有名な鳥の有精卵を使ってるんです。阪急百貨店なんかだと1100円するような卵です。バームクーヘンなんかはこの卵を使ってるんだけど、『コヤマロール』だけは、普通の卵を使っている。その卵を使うと蜂蜜の味とか僕がイメージしているカステラを思わせるような昔懐かしい味がしないんです。けんかしてしまう。あまりに主張し過ぎてね。プリンとかクレームブリュレにはいいんだけどね。

基本的にはふわふわしたものが好きなんですよ。しっとりしたものが。僕は、スポンジにシロップ打ったりすることはほとんど無いんです。なるべく打たずに作りたいなあというのがあってね。シロップを打たなくてはいけないような生地は作りたくないなあ・・・と思って。お酒も必要以上には使いません。

 


【バームクーヘン】  
僕が幼いときに、カブトムシやクワガタムシを取ったフィールド・・・その思い出が木なんです。子供の頃見たクヌギの木というのがすごく大きかった・・・・田舎でね。

・・・そして、ここの地名がウッデイタウンだということもあって、木にまつわるお菓子を作らないといけないなあと思って、それで、バームクーヘンを作ったんです。『思い出の大きな木』と言う名前もすぐに決まって。

・・・・俺はね、60歳から昆虫博士になるんだ。もうすぐ虫としゃべれるようになると思うよ・・・・。

『バームクーヘン』やろうと思ったきっかけは、この、ウッデイタウンというロケーション、ネーミングもあるんだけど、それだけじゃない。『バームクーヘン』に対するお客様のイメージが、「ドイツ菓子」、「のどに詰まる」、「ぱさぱさしている」、とそんなにいいイメージばっかりじゃなかったんです。だから、そうじゃないものを発明する。弱点を克服して強みに変える。これが小山流の物創りの方程式なんです。
お陰様で、『小山ロール』と『バームクーヘン』はそれを目当てにお客様がわざわざお店まで足を運んでくださるような単品主力商品に育てて頂いています。

 


【50種類のジャム・・・ショコラフランボワーズ】
このジャム。まだ出来たばっかりなんだけど・・・これ
3人か4人試食してもらったら全員買って帰られましたよ。これ、うまいこと出来たなあと思って。ショコラフランボワーズ。ジャムを炊いた後、刻んだチョコレートの中にジャム入れて・・・。

大体毎日
3種類くらいのジャムを作るんです。昨日はくるみとバナナのジャム。今50種類くらいになってるんです。とにかく増やす一方です。今、ものすごくジャムがはやってるんです。ヨーロッパで。東京でも少しはやり始めている。料理王国と言う雑誌でも8ページくらいのジャム特集組んだりしている。

フランスのアルザス地方にクリスティーヌ・フェルベールというおばちゃんがいてね。この人が作ったジャムを食べたときにすごくおいしくって、感動したんです。そのジャムを超えたいなあ・・・と言う思いで、今、夢中で作っている。

 



【ハッピーキッズ商品】

結構、アレルギーのお客様多いんです。住宅地なので小学生とか多いからね。ノンエッグチョコラとかノンエッグショートとかね。クッキーとかもある。

『ハッピーキッズ』というカテゴリーで、もっと優しいお菓子を提案していきたい。まだ、今は焼き菓子と生ケーキで
3種類。
 


以下2種類のケーキは夏季限定の商品ですが、小山シェフのケーキつくりのエッセンスがたっぷり詰まっているため掲載させていただきました。

M
IK(夏季限定)
これは、葛ですね。
夏はババロアなんかの配合も生クリームの配合を少なめにして、牛乳を多くして、ちょっとつるんとした食感に変えるんです。生クリームが多いと、もごもごしてしまうから・・・。
僕、京都生まれだから、天ぷらそばとか天ぷらうどんとか食べても、最後にゆずの皮がちょっと入っているのがすごく好きなんです。京都の料理だなあ・・・て感じがして。だから、一番底には葛にゆずをちょっと入れて・・・最後にちょっと香りがくる。
これは、『
made in 京都』『made in 小山』の2つをかけてネーミングしました。お米も入ってるんです。この、米の触感が最後に口に残るでしょ。これが、最後に余韻となって、記憶に残るんです。いま中に入れても湿気ない米を開発してもらっているんです。

上に乗っているアメ細工は、べちゃべちゃになりにくい砂糖を使っているんです。普通の砂糖だったらショーケースに入れると
1時間もすると溶けてくるからね。これは、糖尿病患者用の砂糖なんです。すごく透明感があってきれいでしょ。これは、シートの上に広げてオーブンで焼いたらこんな感じになるんです。焼いて溶けた時に米を振っているんです。

京都生まれの自分が、大人になって、あの時のああいう味って良かったよなあ・・・と思う時があるんです。ここは三田なんだけど、
40歳の今の時点で今の感覚で抹茶のお菓子を作ったらどんなものが出来るのかなあと思って作ったお菓子なんです。自分もどんなのが出来るのかすごく楽しみで作った。葛という和の素材を使ってね。

上にのっている栗は特別な栗なんです、熊本の大粒の栗。栗は、それぞれのお菓子によって産地を使い分けています。コヤマロールに入っている栗は又別の産地の栗です。

栗は、僕が
TVチャンピオンのとき自分で圧力釜で炊いた方法を業者さんに言って無漂白で作ってもらってる。自分が炊いていたんだから、漂白なんか出来ないよね。おばあちゃんが炊いた栗みたいな感覚でやってくれ、って言ってます。ちょっと茶色かったりするんだけど、すごくほくほくしている。
10
月から始まるモンブランは、四国の松山の宇和島の産地のもの。この寒暖の差が激しい場所で取れる完熟の栗で作るんです。栗も熟すんですよ。僕は、完熟の栗しか使わない。完全に熟して糖度ののったものを使うことによって、添加する砂糖の量が抑えられる。そうすると栗本来の味が出てくる。
だからうちのモンブランは
10月からしか作れないんです。

【白桃とライチのジュレ】(夏季限定)
これは、ライチ。真ん中にアクセントになるように濃い目のグアバのソースを入れて。
僕はゼリーが好きなんです。ライチはゼリーに炭酸入れるんです。最後にね。固まりかけの時に。それで切れが良くなるんです。ライチだけのピューレだったらもっとだるい感じなんだけど、ライチリキュール、レモンも結構入っています。

もう
1つ食べたくなるようなゼリー作りたいなあと思ってね。口の中での別れ際、去り際をどうしたらいいのかなあと思ったんです。昔、シャンパンゼリーを作った時・・・シャンパンゼリーって切れがいいなあと思って・・・。これはなにか・・・。炭酸なんですよ。
それで、色々やってみて、やってみて・・・、味を組み立てたんです。

上から見たときの色合いもきれいでしょ。柔らかすぎてもだめだし、硬すぎてもだめ。
ゼリー好きに言わせると、この硬さが微妙なんです。同じ配合でも、硬さが違うと味が違うからね。
やわらかすぎると甘く感じるし、硬すぎると、口の中で解けるまでに時間がかかるから味の感じ方が変わってくる。
中にグァバの濃いソースを入れることによって、メリハリが出てくる。このゼリーのわさび役。このシリーズは
3種類作ってます。


【マスカルポーネとブルーベリーのお菓子】
普通のデコレーションケーキとかのスポンジよりもバターが多い。
だから、口とけがいいんです。

ブルーベリーすごく好きなんです。果粉(実の周りを覆っている白い粉)が付いていて鮮度がある。飾っていてすごくかわいいでしょ。だから好きなんです。
基本的に優しい味わいのスポンジケーキが好きなんです。上は、マスカルポーネ。ブルーベリーにブルーベリーのソース使うのは、ベタだから、カシスのソース使ってます。カシスってこれをメンイにしたお菓子ってなかなかないんだけど、わさびのような脇役としては、最高の素材なんです。

 


【わさび役が必要】
一つ一つ思いは入るよね。変わった事しようとはあんまり思わないんだけど、年とともに美味しいものをちょっとづづ食べたいと思う気持ちが強くなってきたからね。
若い時はデザイン重視だったけど、味に関しては、今の方がすごく真剣に考えるようになった。

新しいものを作るというのがライフワークになっているから・・・。特にそういう仕事をしだして、今までだったら1つ作るのにすぐ「出来た!」って感じだったけど、それが出来なくなった。1品を作り出すまでに費やす時間。・・・まだ違う・・・まだ違う・・・、すごく時間がかかるようになった。

ケーキを考える時、この中にわさび役はあるんだろうか?上のねたは新鮮だろうか?おいしいんだろうか?と考える。
例えば、これは、イチジクの形をしているけど、本当にイチジクの味がしているんだろうか?っていう風にね。味には、メリハリが無いといけない。
わさびになるものがあると味にリズムが出てくる。すると、もう一回もう一回と食べたくなる。この部分はどんな味だろう?ここは?と楽しみ方が出てくる。

 


【リアルタイムのHP
僕が独り言のように、日々庭で感じたことなんかを携帯のメールでコピーライターの人に送るんです。それをウエブデザイナーさんが形にしてくれる。だから、そのまま伝わる・・・・僕の日常が・・

 


【チョコレート&カフェ来秋OPEN予定】
隣の土地
300坪も借りたんです。
こちらにはチョコレートの専門店を作りたいと思っているんです。僕は、『スイス菓子ハイジ』で育ってるからチョコレートが大好きなんです。だからどうしてもチョコレートのお店を別枠でやりたかった。チョコレートに対する思い入れが強いんです。
チョコレートのケーキをメンイにして、横にショコラやトリフがざーっと並んでいるようなお店を作りたいんです。

関西ではショコラだけでは、気取りすぎていてだめだと思うんです。ケーキに近いショコラのメンイ商品が必要だと思って、今その商品を考えているところなんです。この秋から着工して、実際に
OPENするのは、来年の秋ですね。

・・・・やりたい事がここでやると色々出てくるだろうなあと思ってね。

自分の敷地内に道があるようなつながりが僕はすごく気に入っているんです。全部見えているよりはこちらの方が楽しい・・・

 


【夢・・・目標
お菓子のアミューズメントパーク的な空間・・・・待っていても待っている感覚がしないような空間を創っていきたいですね。関西であそこに行けば、東京に売っているような、パリに売っているような、物があるといわれるような・・・お菓子の全てがそろうと言われるようなお店にしたいです。
そして、自分が常に先頭切って作っているような場所でありたいですね。

 


取材を終えて・・・つぶやき・・・
小山さんのことをどこから表現したらいいのか・・・・今、戸惑っています。

これほどの卓越した感覚、感性、視点、そして自分らしさを持った方って世の中にどれくらいいるんだろうか・・・・それは、ほんの一握り。その一握りの手のひらの上でこの人は大の字になって寝っころがり、空を眺めているでしょう。風を見つめているでしょう。

この人の作り出していくものは、時代をとらえ、斬新、新鮮。新しいことを発信すれば必ずそれが世の中で注目を集める。ヒット、流行を作り出す・・・、必ず。なぜなら、目の前にある全てのものを、自分自身の視点と、哲学と方程式で冷静に分析し、整理し、自分の中にどんどん蓄積していっておられるから・・・。
しかし、それは決して複雑な事ではなく、いたってシンプル。この人の日々の積み重ねには何の無理も無い・・・。ただ、自分が自分らしくあるために・・・・ただそれだけのために生きているんだから・・・。自分自身楽しむために・・・・ただそれだけ。

この人の根源は、幼い少年の頃から全く変わってない。・・・・いたずら好きな少年のまま・・・びっくりさせたり、わくわくしたり、どきどきしたり・・・。そんないたずら心がお店にもお菓子にもちりばめられている・・・『
Sweet Trick』が・・・・。

ケーキを作ること、お菓子を作ることは、きっとこの人にとって、自分を表現する、自分らしく生きるためのほんの一部分に過ぎないのでしょう。
この人には、この地に注ぐ陽の光が見える。風が見える。虫の声が聞こえる。

・・・とどまることを知らないそのあわただしい日常の中で、人間には作り出すことの出来ない大いなるものとちゃんと対話している。

自分らしくあるために・・・・庭の花に水をやり・・・
自分らしく生きるため・・・・カスタードのミルクを温める。
自分らしくあるために・・・・風をみつめ・・・
自分らしく生きるため・・・・焼きたてパンの香りにつつまれる。
自分らしくあるために・・・・虫と会話し・・・
自分らしく生きるため・・・・『エス・コヤマ』&『
Sweet  Trick

・・・・・丘の向こうにある白い家にはね、ひとりのいたずら好きなお菓子の神様とメレンゲでできた小さな天使たちが住んでいてね、毎日オレンジ色の炎のオーブンで不思議なお菓子を焼いているんだよ・・・」(エス・コヤマ)

・・・・物語のある場所を・・・・一度訪れてみてください。

 


05.7.13up 4月にお話を伺った『パティシエロックナイト』が6月27日に開催されました。
『パティシエロックナイト/ボリューム
1』(ライブハウスチキンジョージ)のご報告はこちらからどうぞ
≫スイーツ取材隊がゆく「スイーツダイアリー」第3弾


05.4.20up 再び小山シェフのお話を伺う事ができました。
建設中の『カフェ&ショコラティエ』、そして
6月に行われる『パティシエロックナイト/ボリューム1』(ライブハウスチキンジョージ)のお話しを交えながら、『小山さんの今』についてたっぷりお話しを聞かせていただきました。
≫小山進氏との対談「桜サロン」

2004年10月14日、城本パティシエ(ナチューレ・シロモト)・福原パティシエ(リッチフィールド)と3人での共同商品;コラボゼリーの、発売記念スペシャルイベント講習会が開かれました。
≫コラボ発売記念スペシャルイベント講習会の様子はこちら!

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