【暮らし】’09総選挙 暮らし見つめて(4) 今回の数字「2200億円」 去りゆく勤務医 社会保障費の年間抑制額2009年8月21日
土曜日の午後。愛知県内の民間病院の一室で、A医師(51)は、前立腺がんの手術を受ける患者に説明を始めた。 「保険の契約みたいで、すみませんね」と言いながら、順に書類を見せ、署名を求める。 入院診療計画書、手術処置承諾書、輸血同意書、自己血輸血同意書、麻酔説明書、同意書…。署名書類は、多いときには十種を超える。説明に一時間かかることも珍しくはない。 「平日は外来と手術で余裕がないので、週末に来ていただきます。だから、土日も休めません」とA医師は苦笑した。 患者への説明と同意が重視される時代になって、入院や手術・検査に伴う書類が大幅に増え、手術や検査の多い外科系の医師は、膨大な書類仕事に追われるようになった。その労力増が診療報酬に反映されないことに、勤務医たちの不満は大きい。 二年に一度ずつ改定される診療報酬は、構造改革を目指す小泉政権下で抑制が強まり、二〇〇二年以降マイナス改定が続いた。自民党が圧勝した〇五年総選挙の直後に打ち出された「骨太の方針二〇〇六」では、医療や介護などの社会保障費の伸びを年間二千二百億円(五年間で一兆一千億円)抑制する方針が、改革のシンボルとして掲げられた。 その中で起きたのが「勤務医不足」。忙しすぎる生活に見切りを付けて開業する中堅医師が相次いだ。自由なアルバイト生活を選ぶ若手医師も増えた。出産で現場を離れた女性医師たちも「育児と両立は大変」と、復帰に消極的になった。 勤務時間が長く、訴訟リスクが高い外科や産婦人科では医師不足が特に顕著で、日本外科学会の調べ(〇七年)では、一九九六年から〇四年の八年間に全医師数は11・5%増えたのに、外科系は2・1%減、産婦人科は1・1%減。医学生も外科系を敬遠する風潮が強まり、同学会の新規入会者数も、九五年度の千六百六十七人から〇八年度は八百三十二人と半減した。 医療崩壊の危機感が高まる中で、国は二千二百億円の抑制方針の撤回を六月に閣議決定したが、A医師は「それだけでは不十分」と力を込めた。 「私の周りでも、四十代の勤務医が次々に開業して去り、その上の世代が何とか支えている。指導医が減って、若手の技術も伸びない。私たちが引退したら、手術ができない国になってしまう。個々の病院の取り組みで解決できることじゃない。国が本腰を入れなければ」 ◆政策ここをチェック医療の再生なるか自民党は医師数増加、思い切った補正予算による地域医療の再生、医学教育の充実、救急体制の整備、勤務環境の改善などを挙げる。批判の多い高齢者医療制度については「現行の枠組みを維持しながら抜本的な改善・見直し」の立場だ。 民主党は二千二百億円削減方針の撤回に加え「医師数を一・五倍に」の数値目標を打ち出した。他の医療従事者の増員や地域医療計画の抜本的な見直し、救急、産科、小児科、外科系の医療提供体制の再編、後期高齢者医療制度の廃止も掲げる。 日本の医療費・医師数抑制政策を批判してきた日本福祉大の二木立教授(医療経済学・医療政策学)は「民主党が医師数一・五倍増を打ち出したのは画期的。ただ、その財源が明確に示されていないことは最大の弱点だ。自民党も医師数や医療費の抑制を見直しており、自公連立政権が存続する場合でも『小さな政府』路線から中負担・中福祉路線への転換は確実に進む」と話す。 (安藤明夫)
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