いやはや、侮ってたわ。まったく。ぜんぜんアイドルのそれじゃねえんだ。いや、アイドルのコンサートを観に行ったつもりが、まさか延々とジャム・セッションが繰り広げられるという、異様な光景を目の当たりにするとはな。ぶっとんだし、感動したし、あらためて惚れ直した。惚れ直した。惚れ直したよ。完全に。
かねてより堂本剛というありようにはすごく関心があって、一度はそのライヴ・シーンを目撃したいと思っていたのだが、いよいよ、ようやく、とうとう、昨日(19日)、国立代々木競技場第一体育館で行われた「ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U」で、じっさいに体験することができたわけだれど、これがまた、予想をはるかに上回っていたね。
つい先日まで活動していた剛紫ではなく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIに名義を戻しての公演、ここでの主役、つまり堂本剛は、ケリーというペルソナを頂く一人の、マルチなミュージシャンである(したがって以後、基本的にケリーと表記する)。ENDLICHERI☆ENDLICHERIは、とくにファンク色のつよいプロジェクトであったが、そのスタイルを間違いなく誇示するパフォーマンスは、エレクトロニックなアプローチを高めた244 ENDLI-xや、スタティックな情緒とスケールの大きさを同居させた剛紫などの取り組みを経たこともあるのだろう、ちょっとびびるほどのインパクトを持ち合わせていた。
あらかじめ全体像を述べてしまえば、3時間強のショーにおいて、本編の半分ほどがバンド演奏によるインストゥルメンタル、うちアンコールの1時間はさらにフレキシブルさを増したジャム・セッションとなっており、披露された曲数自体は、たぶん、10に足りるか足りないかぐらいではなかったか。要するに、ほとんどが楽器の演奏で占められているのだ。
もちろん、その中心点はあくまでもケリーにほかならない。ギターをプレイしつつ、アドリブのヴォーカルを入れながら、バックのバンドと連携をはかる。そこにマッシヴでファンキッシュなグルーヴが生じている。こうしたステージ上の形態は、おそらく、彼が敬愛するスライ&ザ・ファミリー・ストーンにヒントを得ているに違いない。
オープニング、ENDLICHERI☆ENDLICHERIのマスコットであるSankakuの、電子的に加工された声のアナウンスを受け、重低音の強烈なダンス・ビートが響き渡る。06年のアルバム『Coward』の、まさしくトップを飾った「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」で幕を開けた。いやはや、大音量で耳にする打ち込み、リズムの、何ともテンションのあがることよ。プログラミングされたサウンドに合わせ、バンドが登場するとそのまま、演奏を引き継ぎ、よりはげしく、高揚の衝動を引き出す。このときのメンバー紹介によれば、パーカッションやホーン・セクション、女性のバック・コーラスを含め、メンバーのだいたいは、堂本剛のソロ・プロジェクトに所縁のあるミュージシャンたちであり、ドラムの屋敷豪太やギターの竹内朋康等々、銘々が相応に名を知られている。それが一個の巨大な出力をつくりだしているんだから、自然、こちらの体も動くし、当然、盛り上がらあ。レーザー光線のようなライティングもじつに効果的で決まっていた。
そして続くのは、うおお、244 ENDLI-xのアルバム『I AND 愛』において、柔軟にハイパーなリズムを轟かせていた「Let's get FUNKASY!!!」である。「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」のアップ・グレードなヴァージョンともいえるナンバーだが、初っぱなからこの2連発は、やばい、であろう。すくなくともその瞬間は、これが現在最高のダンス・ロック・アクトですよ、と言わてもまじで信じてしまいそうだった。
演奏の最中、あるいはMCの場面で、ケリーが何度も「ファンク」と声を出し、強調するとおり、躍動感あふれるダイナミズムが、またすでに述べたように、インストゥルメンタルにおおきく置かれた比重が、ショーの輪郭を象ってゆく。しばしばケリーが弾いてみせるのは、ジミ・ヘンドリックスふうの、ひずんだギター・ソロである。それが後ろのスクリーンに映し出された自作であるというサイケデリックなCGともマッチしている。
しかし、やはり圧倒されるのは、その、声量のすばらしいヴォーカルであった。どこまでも伸びやかに通るそれは、ワン・フレーズ、ワン・センテンスの発音がもう、奇跡みたいなきらめき、アップ・テンポな局面では、扇情の意志をすみやかに波及させるし、本人のピアノで弾き語りされたバラード「ソメイヨシノ」におけるエモーショナルさ加減ときたら、〈ソメイヨシノきみは・この季節抱くたび・どんな想いを僕らに・ピンクのはなびら・美しく・身に纏って・風にもたれて・叫ぶ声がまた・墜落した〉という抽象性に、あざやかなメロディの、祈りにも似た印象を与える。
たとえば「ソメイヨシノ」直前の転換におけるMCのコーナーで聞かれたような、さすがの話術を生かしたおもしろトーク以外の、ともすれば大げさに過去と現在や生と死について述べるメッセージは、人によって興味が分かれるだろうし、必ずしも胸揺さぶられるとは言い難いかもしれないが、それが音楽化されたさい、なるほど、こうも力を持つのか、もしも歌や声に力があるとしたら、そうか、このようにあらわれるのか、と信じるよりほかないと思う。個人的な話をすれば、感激屋さんなのもあって、じつはすこし、泣いちゃいそうだった。
むろん、全編がシリアスなのではなく、先ほど述べたけれども、MCにはおもしろトークもあり、曲間ではパーカッション用のドラム缶に頭を突っ込んだまま叩かれるコント的なやりとりもあり、たしか『I AND 愛』からの「Love is the key」の間奏だったかな、ジェスチャーと火薬の演出を使って手の込んだジョークをやったりしていた。07年のアルバム『Neo Africa Rainbow Ax』に収録されていた「Blue Berry -NARA Fun9 Style-」のリズム・パートで、観客に指示を出し、何度も何度もジャンプさせていたのは、まあ大勢の女性がぴょんぴょん跳ねる姿はとても可愛らしく、楽しかったな。
本編の最後は、『Coward』のラストでもある「これだけの日を跨いできたのだから」だった。ゆるやかだがはずむ速度を、旺盛なアンサンブルが織り成すなか、ずっとずうっと力強いヴォーカルが〈悲惨な出来事なんて・あるのが当たり前じゃない・これだけの日を跨いで来たのだから・あたしたちはね・歩んでいるの・一歩一歩と人生って道を・あたしたちはね・歩んでいるの・一歩一歩と人生って輝きを〉と、泣き笑い、ポジティヴなフィーリングを高らかに宣誓する。気持ちの暗く重たく堅い部分が、ふわり、さわやかになれたエンディングを、おおきな拍手で送る。
いったんステージを去り、ふたたび姿を現したケリーが「あと1時間」と言う。これが、1時間のジャム・セッションをやるよ、という意味だとは、正直、思わなかったよね。とにかく、ファンクをベースにしながら、うねり、またたき、浮き沈みするグルーヴの、きわめて活発な演奏が展開されたのだった。
各プレイヤーのソロ・セクションを組み込みつつ、中心点であるケリーは、ギターやアドリブのヴォーカルばかりではなく、ドラム・セットに腰をおろしたりしながら、部分部分にあたらしく変調を付け加えてゆく。周囲の客席を眺めるに、置いていかれている向きもすくなくはなかったみたいだけれども、アーティストのマスターベーションとは決して見なせないだけの手応えが、たしかに生じていた。一方で、リズムに合わせた観客のハンド・クラップは鳴り止まない。あれだけの規模のハンド・クラップであれば、もはや演奏の一部といっても差し支えがないだろう。エネルギーは失われずに膨らみ続ける。ぐんぐん熱が高まる。
やがて、即興のヴォーカルが、メロディに詞を入れはじめる。それはつまり、「きみとぼくと愛と幸福」についてのテーマを、具体化したものである。繰り返すが、声量がたっぷりで、果てなく通る歌声は、聴く側の心を動かす。生きている、そのことの温度が、わずかの虚偽すら持たず、まっすぐ伝わってくるかのよう。ここはとても感動的であった。
そうして、あらかじめ1時間とアナウンスされたアンコールは、予定をすこし回ってしまてから、ようやくおしまいを迎える。どこがいちばんの絶頂であったか、といえば、すべて、と答えても惜しくはないほど、よどみなく。まさか、こんなにもの興奮を得られるだなんて。ENDLICHERI☆ENDLICHERI かあ。いやはや、侮ってはいけなかった。
ステージを去るときの大げさなスピーチと感謝でさえ、全部を見届けたあとでは、やたら清々しく、すっかり気持ちを持って行かれてしまったので弱るよ。たとえどれだけ悲しい日に遭っても自分に懸命であろう。
『空 〜 美しい我の空』『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』について→こちら
『I AND 愛』について→こちら
『Coward』について→こちら
「ソメイヨシノ」について→こちら
[si:]について→こちら
『僕の靴音』について→こちら