いま吾輩は、シナのカニバリズムにつき別途講義(のようなものを)しておるな。
その基礎知識としていくつかの単語を紹介しておこう。
<喫人>(ツイー・レン)とは「ヒトを食す」ことである。
「喫」は現代シナ語では、「吃」と書く。
意味は同じ。口にいれて食す、ことじゃ。ほかに、受身を表したり、騙される、という意を表すこともあるが、基本は「食べる」意である。
かの黄文雄先生は、「味わう」意もあるとおおせられておるぞ。
しかし広東語では、「喫」は「食」(セク)という。
ご飯を食べるは、北京語では<吃飯>(ツイー・ファン)じゃが、広東語では<食飯>(セク・ハン)となるようじゃ。
また「お茶を飲む」は北京語では<喝茶>(ホー・チャー)じゃが、広東語では<飲茶>(ヤム・チャー)となるのはご存知のとおりである。
だから広東語では<食人>でいいのかも知れん。
どうも漢字の古い使用法が日本と広東に残っているようじゃな。
よくシナでは、二本足で食べないのは両親だけ、四本足で食べないのは机と椅子だけ、と言われるな。
そのとおりかも知れぬ。
だから両親以外ならなんでも食す。たとえば我が子。他人ならなおさらじゃ。
飢饉のとき耐えかねて食人をする。しかしわが子はやはり食うに忍びない、そこで<易子而食>(イー・ズ・アル・スイー)ということが行われる。すなわち子供を交換して食すわけじゃ。この語は「正史」にたびたびその記述が見られる。
またヒトのことを<両脚羊>(リャング・ジアオ・ヤング)という。読んで字のごとく、「二本脚の羊」じゃな。
どうかな、役にたったであろう?
by 丸山光三
四川からの美女ミサイル