「たそがれ清兵衛」などの時代小説で知られる作家の藤沢周平さんは織田信長が嫌いだった。「信長ぎらい」と題するエッセーを書いている。
信長ブームが起きていた時期だ。ブームの背景には、世の中に閉塞(へいそく)感が漂い、信長の先見性や果敢な行動力を求める空気があるとされていた。藤沢さんはさもありなんとする一方で「まてよ」とあえて異を唱える。
時代に流されまいとする反骨精神が表に出る。1927年生まれの藤沢さんは、軍国少年だった。軍国主義に疑いを持たなかったが、敗戦とともに価値観が一変し、権力者に従順な集団の熱狂の恐ろしさに気付いたとされる。
政権選択を問う衆院選がきょう公示される。各党のマニフェスト(政権公約)を掲げた熱い戦いが繰り広げられる。有権者の歓心を買おうと、あの手この手の甘い政策もちりばめられている。うかつにのってはしっぺ返しを受けかねない。
藤沢さんは「信長ぎらい」で記す。「たとえ先行き不透明だろうと、人物払底だろうと、われわれは、民意を汲(く)むことにつとめ、無力な者を虐げたりしない、われわれよりは少し賢い政府、指導者の舵(かじ)取りで暮らしたいものである」。
賢い政府をつくるのは有権者の一票だ。マニフェストを吟味し、冷静な判断が問われる。有権者の責任は重い。