今週の本棚

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今週の本棚:田中優子・評 『1968』上・下=小熊英二・著

 (新曜社・各7140円)

 ◇複数視点で振り返る「現代的不幸」

 本書は六〇年安保の背景から始まり、全共闘運動を中心にして、七〇年代の運動の終焉(しゅうえん)とウーマン・リブの動きを追って終わる、文献研究による壮大なドキュメントだ。

 本文だけで上巻九六七頁(ページ)、下巻八六六頁の大著である。さすがに「拾い読みしようか」と思った。しかし、抜かせなかった。面白いのだ。たちまち引き込まれ、目が離せなくなった。「中世の戦記物を聞く人々もこうだったのでは」と思った。自分が生きていた時代、関(かか)わった動きの全体像が語られるとき、人はこういう体験をするものだろうか。読みながら、絶えずその中に自分を探すのである。「このとき、私はこの位置にいてこう感じていた」「私からは見えなかったが、こういうことだったのか」等々、私はあのころの自分自身の位置を見極めようとしながら読んだ。本書は体験者個人の視点や感慨で書かれたわけではなく、厖大(ぼうだい)な証言や資料によって立体的に構成しているがゆえに、その立体構造の中に自分を置くことができるのである。

 引き込まれたもうひとつの理由は、その文体が、あたかも複数視点で書かれた活劇だからである。羽田、佐世保、三里塚、王子闘争、日大闘争、国際反戦デー、新宿騒乱事件、べ平連の成立と新宿西口フォーク・ゲリラの出現などは臨場感あふれ、その中に飛び込んだかのようだった。この臨場感は、ひとりの人間による体験告白では生み出せない。学生、機動隊、高校生、教員、市民運動家、サラリーマン、職人、商店主、フーテン、主婦など、証言の残っているあらゆる視点から描いた筆致が生み出したものである。

 むろんここには、著者の時代分析がある。繰り返し語られるのは、当時の若者たちが戦争、貧困、飢餓という「近代的不幸」とは異なる、アイデンティティの不安、生の実感の欠落などの「現代的不幸」に直面していた、という指摘である。戦後生まれの人間たちは戦後民主主義を教え込まれた。しかし社会の実態は受験競争であり、アメリカ追随とベトナムを踏み台にした高度成長であった。これは、戦後日本の理想と現実の乖離(かいり)という意味では若者だけの問題ではなかったはずだが、政治政党は経済成長と票の獲得だけを目標とし、企業も学校も同じ方向へ突進した。その結果、六〇年代は個人生活も都市や農村のありようも激変し、置き去りにされた問題が山積みになった。現代的不幸は、大人による政治だけでは解決できなかったのである。

 では全共闘運動が肯定されているか、というとそうではない。本書はセクトの分裂と行動について丹念に書く。なぜならセクトが全共闘運動という形に誘導したと同時に、その排他的体質による「内ゲバ」こそが、全共闘と大学を暗く彩り、数々の殺人による終焉に導いたからである。本書は一方で湧(わ)き上がるような全共闘運動の祝祭的側面を生き生きと描きながら、同時に、そこに必ずついてまわった「内ゲバ」の陰惨さを書く。さらに、現代的不幸が乗り越えられるどころかますます深刻になっている現実を挙げ、それは全共闘世代がそれを言語化する努力を怠り、戦後民主主義を学ぶことなく否定し、大衆消費社会に順応したからだ、と結論している。本書は、今の若者が同じ轍(てつ)を踏まないために書かれた本なのだ。しかし当時の若者であった人間も、改めて自分自身のこの四〇年間の生き方に、向き合うことになる。

毎日新聞 2009年8月2日 東京朝刊

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