韓国の国旗の意味
テーマ:韓流韓国の国旗ってどういう意味?
実際、わからないので調べてみた。
韓国国旗の誕生P156‾8
壬午軍の乱の結果、韓国の謝罪使節団は日本の明治丸に乗船して仁川港から日本に向かった。
この船中で現在も使われている韓国の国旗(太極旗)が生まれたのです。
その国旗が初めて日本で掲揚された事情を李博士が書いている。
明治丸は船長だけはイギリス人のジェームスを雇っていたが、この船長が好奇心を持って珍客 朴泳孝修信使一行と話を交えているうちに 「朝鮮国王の使節が礼訪するのだから 貴国の国旗を貸してくれればマストに掲げる」という話を持ち出した。
その時まで国旗の制定・使用をしていなかった朝鮮国王は慌てた。
幸い一行が出発する前に政府要路の間で、国旗問題が論議され、修信使は「必要なときには適当に作って使用せよ」という国王の内諾を得ていたから朴泳孝以下の使節団幹部は、明治丸の船上で、あらかじめ構想していた太極八卦を出し、アストン総領事の意見を求めた。旗に関してアストンよりも詳しいジェームスは、「太極の図案はよいが、周りの八卦は複雑だから、四卦だけを四隅に配するほうがよかろう」と言い出して、一行これに同意して決定となり、ジェームスの好意で最初の国旗標本として大、中、少の三本を画いてもらった。
一行が神戸に着いてから、八月十二日、宿所西村屋の屋上に韓国旗が初めて掲揚された。
その日から神戸に駐屯する国外外交官は、この珍奇な国旗を写していった。
「民族の閃光」より
民潭から
http://www.somnet.co.jp/mindanshonan/t-dai.html
今回は、私達の国大韓民国の象徴である太極旗 について触れてみたいと思います。
太極旗は1882年、朴泳孝(1861~1935)が特命全権大臣兼修信使として日本に渡航中考案、日本で掲揚し、今日の大韓民国の国旗となった。この時何と22歳の若さでした。
-線引きは近代朝鮮の外交と国際法受容より-
現バチカン大使 徐賢燮大使著
東洋哲学の陰と陽の原理を象徴している。 国旗の中心の円は二つ同じように分かれており、上の赤色の部分は、「陽」の宇宙の力を表し、下の青色の部分は「陰」の宇宙の力を意味している。
この二つの「力」は、無限の空間を象徴し、「継続的な動」と「バランス」「調和」の概念を意味している。円は四つ角の隅に書かれた、ひとつひとつが三つの線からなる「象徴」に囲まれている。それぞれの「象徴」は、四つの宇宙を創る要素を意味している。
民潭のページには何の説明もありませんが、
イギリス人の一言で何の考えもなく、八卦から四卦に減らすのはいかがなものかと。
これが後々の伏線になります。
次に八卦を示します。
これが正式な八卦です(wikipediaより)。
もともとデタラメに並んでいた事がわかりますw
正式な八卦を基にすると、上左から順に、
乾(ケン)、
艮(ゴン)、
坤(コン)、
巽(ソン)を置くべきですね。
そのまま方角が当てはまりますから、現在の太極旗では
「北西」 「北」
「中心」
「南」 「南西」
になっちゃうわけですw ワケワカランヽ(`Д´)ノウワァァン
次に太極旗に使われている卦の内容を見てみましょう。
すべてを見渡すところ、つまり、天を示します。健やかさ、豪快さ、天真爛漫、およそ人の持つプラスの価値をすべて示すと言っていいでしょう。
この卦は水を表しています。人でいえば困難に陥ってしまっている姿です。
離といいますから、離れることかと思うとそうではありません。お互い吸着する状態です。くっつき合い擦れ合えば熱が生じて火が起るのです。火を照らせば暗いところも見えてきます。
巨大な空隙があるわけですから、何でも受け入れてくれるはずです。すべてのものの入れ物、それは地です。
要約すると、
いつも幸せ回路全開で、困難に陥れば火病を起こして放火し、何でも受け入れて劣化コピーしないと生きていけないという事?
うーん、的確すぎww
さらに。
この八卦は家族を表す事もあります。
左上の
乾(ケン)は「父」を表し、右下の
坤(コン)は「母」を表します。
ところが、右上の
坎(カン)は「次男」。左下の
離(リ)は「次女」。
「父」 「次男」
「中心」
「次女」 「母」
つまり、なぜか長男、長女が不在なのですw
しかも、配置もいびつだしww
さらに。
八卦は組み合わせで様々な意味を表し、普通は陰陽二卦で表して占うのだそうです。
四卦使うのは不吉であり、さらにあの組み合わせは、
恨み、悪意、憎悪、破滅
をあらわす組み合わせだそうですw
まさに占い通りの国家、国民ではないですかw
これって、ジェームスの狙い通り
八卦てすごいにゃ~~~~
八卦すげてオモタ人はクリック
1 ■大清国属は
日清戦争後に、日本がはずしてやったのでしょうw。